94 霧雨

千恵が連れ去られた後。千鶴は追いかけようと部屋を飛び出し、庭の光景に目を奪われた。

原田が不知火と睨み合い、風間を永倉と土方が牽制している。

千鶴はその張り詰めた空気を破るように、思わず叫んでしまった。

「やめて下さい! 皆を傷つけないで! 私、ここに居たいんです、お願いしますっ!」

風間がチラリとこちらを見た。理解出来ない、といった表情を浮かべて。

それでも千鶴は気にせず、首を振って意志を伝えた。

ここに居たい。離れたくない。土方さんのそばが私の居場所だから。好きだから。

「お願い、しますっ。後生ですからっ! 私の幸せを奪わないで……」

咽が詰まり声が震え、千鶴の想いと言葉は小さな囁きになって……風間の耳にしっかりと届いた。

小さな声は確かに幸せと言っていた。目は真っ直ぐに風間を見つめ、真実を伝えている。

……好いた男がいるのか。なるほど、こいつも人を選んだか。

風間は刀を下ろし、千鶴をしっかり見返すと、そこに宿る深い想いに嘆息しながら納得した。

千姫の言葉が脳裏に甦る。

「私は二人が新選組で幸せを見つけたなら、その幸せを支えてあげたいの」

人に幸せを奪われながら、それでも人を愛す。それが……雪村と月宮の選んだ道か。

刀を鞘に納め、瞑目する。

千鶴を里の業火から連れ出し育てた綱道が、新選組に変若水を持ち込み、羅刹を生み出した。

ここに雪村が居るのは偶然か必然か……それとも神仏の悪戯か。

政治より余程面白い。そんな事を思いながら、千姫の意向を汲み、千鶴をここに預ける事を決めた。

「不知火、帰るぞ。まったく……興ざめもいいところだ。救いの手を払われるとはな。

 よかろう、好きにするがいい。だがこの先の道のりは険しいぞ? 惚れた男の晒し首を見たくなくば、

 いつでも連れて逃げて来い。まとめて里に迎えてやる。一応、警告はしたからな」

風間は薩長の密約を思い返し、ここもいずれは潰されるだろうと考えて道を残しておいてやった。

女の幸せを優先させてやりたいが、死なれては困る。まぁ、男はどうでもいいが。

「ふっ、男が死んだ時も遠慮せず来い。お前の血に相応しい男鬼を揃えてやるから好きに選べ」

「ふざけた事ぬかしてんじゃねぇ、誰が死ぬかっ! こいつは俺のもんだ、他の男に譲る気はねぇよ!」

風間の言葉に、土方はカッとなって後先考えず怒鳴りつける。一瞬、庭に沈黙が広がった。

「なっ!?お前……ククククッ、ハハハハ! そうか、相手は貴様か! ……なら、生き残れ。

 クククッ、久し振りに面白い話が聞けた。早速千姫に知らせてやろう。土方、女鬼は貴重だ。決して死なせるなよ?」

風間は愉快そうに口角を上げて土方を一瞥すると、不知火と共に軽く跳躍して塀を飛び越え、夜の闇に消えていった。



残されたのは、真っ赤な顔をした千鶴と、バツ悪そうにあさっての方向を見る土方と、苦笑する原田と、

呆然とする永倉だった。そしてもう一人。雨戸に寄りかかり、庭の会話を聞いていた沖田は、肩をすくめて部屋に戻った。

折角だるい体を起こして出てきたのに、聞こえたのは土方の盛大な告白だ。一気にやる気が失せた。

あんなに声を張り上げて惚気るなんて……馬鹿みたいだよね。

そう思いながらも、幸せを奪わないでと言った千鶴の真摯な恋心には、胸を揺さぶられた。

「健気で真っ直ぐで、土方さんには勿体無いな。俳句……今度は書きとめておいて、貼り出しちゃおうか」

その声は誰に聞こえたはずもないのに、庭に居る土方は嫌な予感がした。



土方が啖呵を切って千鶴への想いを披露した後。島田に付き添われて、千恵は幹部棟まで戻ってきた。

なんだか庭に甘い雰囲気が漂ってるのは気のせい? 皆土方さんの方を見ていて、こちらに全く気付かない。

千恵は島田と顔を見合わせて頷くと、皆に向けて元気よく声を掛けた。

「ただいま!」

その声に驚いた皆に手を振ると、千恵は千鶴に駆け寄って抱きついた。

「よかった、千鶴ちゃん無事だったんだね! 私も……フフ、戻って来れちゃった!」

「千恵ちゃん!! どうやって? だって担がれて……。でも良かった、天霧さん分かってくれたんだね」

「ハハ……まぁ、ね?」

あれは分かったというより、諦めたというか、呆れたというか?

大胆なシーンを見せ付けてしまった事を思い出し、千恵は本当に今更だけど恥ずかしくなった。

離れで始まり、鬼と人が想いをぶつけ合ったこの夜の騒動は、笑い声の響く屯所の庭で終わった。



千恵と千鶴がお互いの無事を喜び合い、手を繋いで眠った翌日。一人の羅刹隊士がこの世を去った。

享年二十五歳。志し高く京に上り隊務に精を出しながらも、魔がさして商家から金を奪った男の、人知れぬ最期だった。

島田は、最期に武士らしく吸血衝動を堪えて切腹した男の亡骸に土をかけると、手を合わせて経を唱えた。

日中の離れは静かだ。光を遮り、夜を待って眠る彼らは、どんな夢を見るんだろう。

返り血を浴びないよう手際よく介錯した山南の、目に見えない慟哭が、島田の胸に痛みを走らせた。

それでも。千恵と千鶴がここを選びここに居る事が、新選組にはそれだけの何かがある、と思わせてくれる。

昨夜は色々あったが、一番の驚きは副長の恋路だろう。副長と雪村君の赤い顔には自分まで照れた。

庭に漂っていた面映い雰囲気を思い出し、島田は穏やかに微笑んだ。

自分達では支えきれない幹部の心の部分を、二人の娘に支えて貰ってる気がした。

……案外、我々が守っているつもりで実は、お二人に守られているのかもしれませんね。

最後に綺麗に土をならすと、目印に大き目の石を置き、また手を合わせに来ます、と心で呟いて屯所に戻った。

霧のような小雨が、梅雨の到来を知らせていた。





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