93 刹那

千恵は強い気配に目を覚ますと、隣りで眠る千鶴を揺すりながら脇差に手を伸ばした。

バタン バンッ と襖や廊下の雨戸が開く音がして、沢山の足音と共に千恵達の部屋の襖も開かれた。

「夜分にすみません。風間達が貴女方を引き渡すよう要求しています。幹部の皆さんが引き止めていますから、

 今の内に何か羽織って、動けるように待機して下さい」

島田は夜着の二人を見ないよう、敷居のところで目線を落としながら、用件を告げた。

「風間さん達が? なぜ?!」

「変若水と羅刹が知れてしまい……貴女方を里に連れ帰ると言っています」

その言葉に弾かれたように、千鶴は布団から身を起こし、羽織に袖を通しながら首を振った。

「そんな一方的に! 困ります!」

「島田さん、私から話します。千鶴ちゃんは島田さんと一緒に居て!」

千恵は羽織を引っ掛けると、脇差を手に持ち部屋を飛び出ようとした。

が、それを遮るように島田の体が大きく傾いだかと思うと、畳にドサリと崩れ落ちる。

……ひと際大きな影が、部屋の出口を塞いだ。赤髪の男鬼、天霧だった。

千恵は千鶴を庇いながら後退り、部屋の隅で脇差の柄に手をかけた。

「行きません! 絶対に行きませんっ!! はじめさんのいない場所になんてっ!」

「ここにも斎藤はいない。……なぜそう意固地になるのです? 同胞としての我々はそれほど頼りになりませんか?

 強引な事はしたくありませんが、羅刹の側は危険です。駄々をこねるなら仕方ありません。御免!」

天霧は千恵の脇差を弾くとそのまま腰に腕を回し、彼女を肩に担ぎ上げた。

「嫌っ、離してっっ!!」

「なら貴女を下ろして千鶴さんを担ぐまでです。いずれにせよ、手ぶらで戻るつもりはない。

 ハァッ……暴れないで下さい、跳びます」

「千恵ちゃんっっ!!!」

千鶴の声も空しく。軽く弾みをつけて庭に跳躍した天霧は、そのまま門へと走り出した。



私は着地の衝撃で舌を噛んでしまい、口に血の味が広がった。けれど、痛みなんて今はどうでもよかった。

身を捩り逃れようとしたが、抱える天霧さんの腕は力強く、びくともしない。

遠ざかる屯所に、悔しい気持ちで一杯になり、彼の背中を叩いた。これじゃ誘拐じゃないの! そう思った。


その時。突然天霧さんが立ち止まった。人気のない夜の裏通りに、緊張が走る。

「斎藤、ですね。ハァ、今更何の用ですか。貴方は千恵さんを置いて行ったのでしょう?」

はじめさん!? 千恵は天霧の背中で体を捻り、なんとかしてその姿を見ようとした。

視界に斜めに映りこんだ黒い着物、白い襟巻き……最愛の人の姿がそこにあった。

「はじめさん! 助けてっ!!」

「天霧、俺は千恵を置いて行ったのではなく、預けているだけだ。妻を返して貰おう」

天霧にしてみれば、風間の指示とはいえ女を守りたいという思いから取った行動。なのにまるで悪漢扱いだ。

少々ムッとしながらも、夫から妻を返せと言われて連れ去る訳にはいかない。それはただの犯罪だ。

大仰に溜息をつくと千恵を下ろし、斎藤の元へ駆け寄る姿を、眉を下げて見つめた。

「こちらとしては親切のつもりだったのですが……仕方ない、お返ししましょう。

 ですが貴方がたが……なっ!? ふぅ、やれやれ。邪魔者は退散します、とんだ茶番だ」

天霧は目の前の光景に目を見張り……諦めたように微苦笑すると、肩をすくめてその場を後にした。

懸念は残ったが、千恵の行動は彼女の心情を明らかにしている。天霧は、二人の情熱と若さが少し羨ましい気がした。


千恵は刀を抜いて立つ斎藤の胸に飛び込むと、その首に腕を回してただ衝動のままに唇を寄せた。

会いたかった人が目の前にいる。その体温が感じられる。香りがして、息がかかって、触れて。

愛してる。好き。どうしようもなく好き。

込み上げる想いをぶつけるように重ねた唇。恥ずかしさなんてなくて、周りも見えなくなっていた。

天霧が去り安堵した斎藤は、牽制するように構えていた刀を下ろした。

突然与えられた甘い熱に驚きながらも、喜びが湧き上がる。守るようにしっかりと、千恵の腰を抱き寄せた。

だが、緩く開いた唇から差し込んだ舌に血の味が広がり、慌てて顔を離す。

「口の中を怪我しているのか? 殴られたのか!?」

「え? あ……違います。さっき天霧さんが跳んだ時に舌を噛んでしまって。でももう傷は治ってます。

 痛くないから……その、もう少しだけ。またすぐ行ってしまうんでしょう?」

千恵の言葉に安堵した斎藤は、続きをねだるように甘える様子にズクンと欲が疼いた。

羽織の下の薄い夜着から千恵の香りが漂い、そのまま紐を解いて肢体に手を這わせたい、そう思った。

だがそんな場合でもなければ時間もなく。お預けを残念に思いながらも、代わりに千恵の願い通り、その唇を貪った。

血の香りも味も気にならない。ただ甘い甘い熱に溺れて、舌先で己の昂ぶりを伝える。

千恵は、篭った熱を吐き出すように斎藤と舌を絡めあわせながら、新たに湧き上がる熱に身を震わせた。

あなたが欲しい。はじめさんに愛されたい。

久し振りに感じる夫の逞しい体に身を添わせ、ふいに腹に当たる斎藤の昂ぶりに気付いた。

はじめさんも……同じ気持ち? 私と同じ、なんだ。

驚きながらも女としての悦びを感じる。

人気のない夜道。木戸は閉まり、夜風だけが行き交っていた。


「悪いやつだ、煽るだけ煽って放り出すつもりか?」

唇を離し、からかうように眉を上げた斎藤は、千恵の首筋に顔を埋めてそこに吸い付いた。

きつく吸うとつく赤い跡。斎藤はそれを目で確認すると、満足気に微笑んだ。

自分の物、という感じがして嬉しかった。子供染みた独占欲も、たまにはいい。

「じゃあ……戻ったら、沢山可愛がって下さい」

千恵は斎藤の色っぽい声に胸が高鳴り、目線を逸らしながらも思わず本音を言った。

言ってからその言葉は随分大胆だと気付いて、頬が赤らんだが……斎藤に強く抱き締められた。

「ああ、そうする。必ずな。千恵……愛してる。待っていてくれ」

「愛してます。ちゃんと待ってますから、戻ってきて下さいね?」

肩口で斎藤が頷く。ずっとずっとこうしていたい、そう思ったが、間諜と知れる危険もある。

それは互いに分かっているので、諦めたように身を離し、斎藤は自分の草履を脱いで千恵に履かせた。

「送ってやれんが道は分かるな? 副長に、まもなく高台寺月真院に移ると伝えてくれ」

「分かりました。それじゃあ、はじめさんも気をつけて」

「ああ、それじゃあ、また」

斎藤は少し屈んでもう一度千恵に軽く口付け、その後姿を見送った。

曲がり角で姿が見えなくなると、自分の足元を見て苦笑いする。

草履を失くした言い訳を考えねばな。

夜露で湿る地面を裸足で歩く帰り道。作り話を捻り出しながら、斎藤の口元はずっと微かに笑んでいた。




一方屯所では。首元に残る鈍痛に顔を顰めながらも、島田が意識を取り戻し、急いで門の方に向かっていた。

護衛するつもりが鬼を千恵達の元へ誘導してしまい、後悔と焦りで一杯だった。

「千鶴は無事だが月宮が攫われた。すぐに追え!」

庭から飛んだ土方の指示に、足が急く。広い西本願寺の門まで来ると、白い着物が見えて驚いた。

「月宮君っ!? 無事だったんですか!!」

「島田さん! はい、無事戻れました。大丈夫ですか?」

「いえ、不甲斐なく申し訳ありませんでした。……その草履は?」

天霧に手刀で昏倒させられた事を言っているのだろうが、島田は誘拐されかけた本人から心配され、恐縮した。

ふと足元を見ると、小さな足に不釣合いなぶかぶかの草履を履いている。男物?

「え? あっ……えっと……通りがかりの方に助けて頂いて……貰っちゃいました」

そう言った月宮の顔はどこか嬉しそうで。軽く染まった頬になんとなく事情を察した島田は、ホッと胸を撫で下ろした。

きっと報告があってたまたま近くにいたんでしょうが……これも夫婦愛の成せる技なんでしょうね。

裸足で戻る斎藤の姿が脳裏に浮かび秘かに笑むと、島田は彼女に付き添い、今来た道を戻って行った。

大き目の草履を引き摺る軽い音が、耳に心地よかった。





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