95 新風

元々、新選組の屯所が来る事に、良い顔をしていなかった西本願寺。

境内で家畜を飼ったりそれを煮炊きされるのに閉口したのか、それとも外圧や援助があったのか。

理由ははっきりしなかったが、二町ほど離れた所に立派な屯所を自腹で普請した。

望み通りの物をご用意するので頼むから出て行って下さい、という切実な思いが窺える。

まぁ、行くあてもないのに追い出されるんだったら文句も出るが、どうぞどうぞと贈られた新居の豪華さに、

近藤も土方もどこか嬉しそう。ひょっとして、そうなるように仕向けたとか?

そう勘繰ってしまうくらい、新しい屯所は広くて設備も充実し、快適だった。

六月、引越しと同時期に幕臣への取立ても決まり、新選組は佐幕派じゃなく、正式に幕府の直参となった。

千恵達が来た当初はごちゃ混ぜだった新選組から、三年半の歳月をかけて、勤王派が一掃された。



千鶴は、天霧の手から無事戻った千恵が、ようやく前みたいに明るくなったのを見てホッとした。

それはきっと……あれのお陰かな?

男物の草履。わざわざ専用の収納袋まで作って押入れに入れてあるそれを、時々足に履いては赤くなっている。

斎藤さんの私物が側にあるだけで、こんな風に幸せになれる千恵ちゃんは凄い。

……なんか、千恵ちゃんって可愛いかも。

三年半も一緒に居て今更だけど、千恵ちゃんって本当に斎藤さんの事が好きなんだよね。

斎藤さん、なんでこんなに可愛い奥さん置いて行っちゃったんだろう? 落ち着いたら迎えに来るのかな?

まさか自分の恋人が斎藤を飛ばしたとは思わない千鶴。きっと知ってたら、土方を恨めしげに睨んだ事だろう。


千鶴がそんな風に安心して見ていられるようになった千恵。元気になった訳は他にもあった。

監察方に配属された事で、同じ部署の島田や山崎、そして尾形俊太郎という新たな面々と仲良くなったのだ。

勿論、補佐として千恵がまめまめしく働くお陰で助かっているから、そのお礼も兼ねてだろうが。

副長助勤で三番組組長で撃剣師範、という表の役職とは別に、暗殺や諜報の仕事も任される事の多い斎藤は、

監察方と連携して隠密行動を取る機会が、他の幹部より多かった。

斎藤が間諜と知る彼らは、屯所で待つ千恵に大変親切で、何くれとなく世話を焼いた。

そして最近、斎藤と接触して連絡を取る際は、必ず千恵の様子をひと言添えるようになっていた。




「高台寺に移って、より積極的に勤王倒幕活動に力を入れるようになった。薩摩の他に、土佐の中岡とも接触した」

刀を研ぎに来た斎藤は、他に客がいないのを確認してから、町人に扮した尾形に近況を伝えた。

「活動資金をうちに融通させておいて、よくやるね。了解。千恵さんは、近頃雪村君に応急手当の手法を習っているよ」

「ああ、以前言ってたな。怪我がすぐ治るので、手当ての仕方をよく知らない、と。そうか、始めたか」

「ククッ、巨漢の島田君を晒でグルグル巻きにした時は面白かった! 島田君の困った顔を見せたかったよ!

 一つ教わる度に練習台を探して回るんだが、要領のいい山崎君は逃げて島田君ばかり捕まってる」

「漢字や読書の時もそうだったが、やり始めるととことんだからな。すまんが暇な時は相手してやってくれ」

尾形は斎藤と同じく副長助勤で、文学師範もする監察方の幹部。斎藤の三つ上で、学に長けた話し上手な男だ。

武に長け口数の少ない斎藤とは対極なようで、芯に持つものが近いらしく、話が合った。

表向き斎藤の小姓だった千恵が実は嫁で鬼、なんていうおかしな事実も、柔軟に受け入れている。

「ハハハ、大歓迎だ! 上達してくれる方が、こちらも助かる。刀創は素早い手当てが肝心だからね。

 ……伊東さんの出立はいつ頃になりそうだ? また九州に行くんだろう?」

「七月下旬か八月頭ぐらいだろう。詳細が分かればまた連絡する」

「分かった。先に店を出るよ、着替えないと屯所に戻れないからな。じゃあまた」

「ああ、千恵を頼む」

「了解。ふっ、早く戻れる事を祈ってる」

尾形は眉を下げて軽く笑むと、店を出て着替えに向かった。

千恵を頼む、か。変われば変わるものだな。

一次募集で入隊した尾崎は四年間斎藤を見てきたが、以前は女の話など一切しない生真面目な男だった。

が、千恵さんの事となると違うらしい。話を聞く時の和らいだ表情は、間違いなく彼女が与えたものだろう。

斎藤は、信頼のおける忠義と頭の良さに加え、頭抜けた刀の腕前だからこそ、返り血を浴び続けなければならない。

名を聞いただけで怯える者も多い人斬りのその彼を、丸ごと包んでいるのが……あの笑顔か。

一見ただの美人さんなのだが、斎藤の事を話している時の笑顔は格別だった。

何となく、頼まれなくても応援してやりたくなるようないじらしさがあって、整った顔に愛嬌を添えている。

最近島田君が小鳥に餌をやるように甘味をあげているのも、そのせいだろう。

尾形は、男だらけの監察方に飛び込んで来た新しい風が、自分達に染み込んだ血の臭いを払ってくれる気がした。




斎藤の言葉通り、伊東は数人の腹心と共に、八月の上旬、九州に出立した。

表向き新選組には協力する事を惜しまない、といった態度を崩さなかったが、

目的はやはり倒幕に向けた同志との密会だった。


土佐の坂本龍馬や中岡慎太郎は、薩摩の西郷に大政奉還の論を授け、薩土同盟を結んだ。

戦を避け、将軍の特権を一度無しにして、新しく作る議会に「徳川家」として平等に参政して貰おう、という考えだった。

薩摩は、先に長州と結んだ軍事同盟もあり、徳川を叩き潰すが残すか、将軍慶喜公の出方を睨んだ。

長州の桂小五郎は、武力による新政権樹立を目標に掲げ、薩摩を土佐の横槍から引き剥がしにかかった。

戦による倒幕か、無血のクーデターか。いずれにせよ、変革は目の前まで迫っていた。


必要なのは「玉」(ぎょく)。


朝廷の頂点に立つ帝を手に入れた者が、戦いの勝者になる。

慶応三年の秋。帝のいる京の町には、幕末維新を飾る男達の、猛る心と熱気が渦巻いていた。

幕府を助け、朝廷と京の町を守る新選組もまた、変革の渦の中にいる。

この大きな渦は幕府という大船を巻き込み、いずれその船体をバラバラにしてしまうだろう。

だが、船底の板の一枚に過ぎない新選組に、舵取りは任されない。


少しずつ少しずつ、歴史という大海に飲み込まれようとしていた。

もう、明治は一年後に迫っていた。





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