92 矜持

島津公に伴い薩摩から京に上がってきた風間は、千恵と千鶴の様子を知る為、天霧に新選組の偵察を依頼した。

それは倒幕に傾く薩摩の意向ではなく、ただ単に、千姫の為にも彼女らが元気にやっているか確認したかっただけだ。

なのに。天霧は険しい顔で恐るべき報告を持って来た。

新選組の屯所の奥深く。離れには変若水という毒薬を飲んだ、鬼の紛い物が住んでいる、と。

天霧は偶然にも、今夜切腹するはずだった羅刹隊士が、吸血衝動に苦しむ場面を物陰から目撃したのだ。

すぐに山南が峰打ちで昏倒させ、地下の独房へと連れ込んだが……白髪赤眼でのた打ち回る姿は余りに異様だった。

そして、その敏捷性と容姿の変異は、すぐに自分達鬼の特異性と結びついた。

何日も続けて見張るうちに、どうやら何かの服用者達だと分かり、やがてそれが変若水という代物だと知る。

なぜ人でありながら自分達と似た特徴をもち、鬼と違って血を求め狂う化け物が存在するのか。

一体その薬の原材料は何なのか。……天霧の疑問は、風間に報告した事で一気にある仮説へと結びついた。

鬼の血の利用。

風間がそこに結びつけたのは無理もない。千姫の涙と共に語られた、北と東の頭領一族の最期。

鬼を道具と捉えその血を欲した、どす黒くおぞましい人間の野心とそれが引き起こした悲劇。

繋がった仮説は、誇り高き風間の逆鱗に触れ、飛び出した風間に付き従った後の二人も、その意味を理解した。




離れの前で土方らと対峙した風間は、祝言の宴席で固めの杯を交わした仲とは思えぬ、地を這うような声で問いただした。

「北の頭領の祝言以来だな。土方、貴様は我らの信頼を裏切り、鬼の血を人間に飲ませたのかっ!

 まさか我ら鬼の血で人が狂うとは、思いもよらなかったが。

 ……鬼にもなれず人にも戻れぬ哀れな生き物を生み出し、どうするつもりだ?

 正直に言わねば、この離れも屯所も、すぐさま血の海となり果てよう。

 鬼の矜持をもって新選組を殲滅し、我らを獣のごとく扱った者がどうなるか知らしめてやるわっ!!」

風間の腰から刀が抜かれ、玄関の提灯が真っ二つになって地面に転がった。

炎は瞬く間に提灯を燃やしてお互いを照らしたが、やがて燃え尽きて辺りの闇を濃くした。

「馬鹿言ってんじゃねぇ、勝手に早とちりしやがって。いいか、よく聞けっ!

 ……あれはお前らに出会う前からうちにある、西洋鬼の血だ。千鶴達には一切、手を出してねぇ。

 お前らのお仲間の鋼道さんが、幕府に頼まれて改良する為にうちに持ち込んだ、死ぬほど厄介な代もんだ。

 だがうちは末端だからな、断れねぇし試すしかなかった。……うちのもんが実験台になって飲んだんだ。

 飲んだ理由はどうあれ、生きてる内は俺達が面倒見てやるのが筋ってもんだろうが。こっちにも事情があんだっ!」

ここで嘘をつけば、風間達は本当に屯所を殲滅してみせるだろう。隠しても、新選組には何の利益にもならない。

今、相手は薩摩の手先としてではなく、鬼として詰問している。なら、こちらも人として答えるべきだ。

土方は、薩長に知れるかもしれないという大きなリスクを犯し、風間に実情を暴露した。大きな賭けだった。

風間の紅い目が土方を射抜き、その真偽を定めた。熱さと冷たさがぶつかり合う。


だが。やがて風間は大きく溜息をつくと、その刀を鞘に納めた。……土方の目に、嘘はなかった。

「なるほど、異国の鬼の血か。鋼道が持ち込んだなら、経緯はどうあれ、我ら鬼にも責任がある。

 しかし、幕府がどれほど愚かかお前達はその身をもって知っているのに、なぜ幕府に従う? そこが解せん」

「簡単なこった。俺達は武士だ。武士が主君に忠義を尽くして国を支えんのは当然だろ?

 うちの親は馬鹿だから取り替えてくれ、なんて言う子供はいねぇんだよ! 馬鹿だろうが親は親だ。

 紛いもんだ百姓侍だと蔑まれようが、武士だと認められた以上、武士としての本分を全うするべきだろ?

 状況が変わる度に立ち位置変える薩摩の連中とは、はなから覚悟が違うんだよっ!」

「クククッ、幕府以上に愚かだな。まぁいい、貴様はそれを貫け。だが……知った以上、こちらも放置は出来ん。

 羅刹は殺し、変若水は回収する。そして、雪村と月宮を鬼の里に連れ帰る。

 月宮の夫は出て行ったらしいな? ならここにもう用はないだろう。同胞として歓待され、安穏な生活を送るべきだ」

その言葉に土方と山南は気色ばんだ。だがまず山南が、羅刹隊を預かる者として言葉を発した。

「待って下さい! 確かに狂えば彼らは理性をなくし、己の人格も失います。

 ですが、今は、狂う前は人なのです。夜に起き昼に眠り日を嫌う以外は普通の人と変わらない。

 どうか汲んでやって下さい。血は飲みたくないという葛藤と、狂う前に人として死にたいという願いと、そして……

 それまでは生きたいという当たり前の想いをっ!! 狂った者は必ず私が処分します。だからっ!」

「フン、正に飼い殺しだな。……山南、と言ったか。片腕の剣士よ。貴様がその首に賭けて誓うなら、猶予をやる。

 ここから紛い物を一歩も出さず、処分し続けるがいい。万一にも約束を違えた時には……後悔という言葉の意味を、

 存分に思い知る事になるだろう。一切の容赦はせんから、心に刻め」

「私も風間と同じく、待ちましょう。哀れな者達に情けをかける、あなた方のその心に免じて。

 ですが薬はこちらに渡すか、この場で破棄して下さい。これ以上の増産は悲劇を増やすだけです。

 もう幕府には、変若水の改良を待つ余裕はないはずです。

 それとも。狂うと分かっていてまだ飲ませるおつもりですか?」

天霧は、それを薩摩に属する自分達に渡す事も、ここで捨てる事も、幕命に反すると分かっていた。

彼らにその決定権がない事も。ただ、彼らが今後それをどう扱うか、確認し釘を刺しておきたかった。

その予想通り。さすがにこの問い掛けには、山南も答えを窮した。まもなく戦が始まるかもしれない。

もしもその時、幕府に変若水を使いたいから差し出せと言われたら、「もう手元にありません」とは言えない。

改良は依頼されたが、変若水はあくまで幕府の所有物だった。山南には……どちらも選べなかった。


「はぁったく、無理難題言いやがって。正直に言う。変若水は渡せねぇ。……お前らが薩長とつるんでる内は無理だ。

 うちが幕府の下にある内は、捨てんのも無理だ。だが、羅刹はもう増産はしてないし、今後する気もねぇ。

 要は俺達を信じろって事だ。新選組が無理なら、俺だけでいい。変若水は……この俺が封じる。

 山南さん、それでいいな? 武士に二言はねぇ、この首に賭けて誓ってやる!」

「はぁ? 人間如きのやっすい首二つと引き換えに見逃せってかぁ? お前ら何様のつもりだよ。

 この俺が叩き割ってやっから、さっさと変若水を持ってきやがれっ!」

「不知火! 君は拙速が過ぎる。武人が己の命を賭けて誓うのです。その覚悟には敬意を払いなさい。

 ……土方、貴方のその言葉を信じましょう。ただし、破棄も譲渡も拒む以上、あなた方の動向は監視させて頂きます。

 互いに他言せず、二言もなしです。命は常に我らの手の内にあると思い、誓いを貫きなさい。

 乗りかかった船だ、見届けましょう」

「天霧のおっさんはこういう古くせぇのが好きだなぁ。ハァ、しょうがねぇ、待ってやるよ。

 くっだらねぇもんの為に命まで賭けやがって。……武士ってのはホント厄介な生きもんだぜ」

不知火は、つい先日失った人間の友を思い、武士という言葉に顔を顰めた。

あいつも国を変えるって偉そうな事言って、短い命を散らしやがった。武士って一体何なんだよ!?

苛立ちが募ったのに引き下がったのは、その友に目が似ている、と思ったからだが。口が裂けても言う気はなかった。


風間は溜息をつくと、天霧と不知火を見やり、指示を出した。

「鋼道を探せ。事情を聞く必要がある。が、今は雪村と月宮の保護が先だ。起こして連れて行け」

「待ちやがれっ!! 勝手に決めてんじゃねぇっ!! ……くそっ、島田、追いかけるぞ!

 山南さん、あんたは離れに戻ってあいつらを監視してくれ、頼んだっ!」

風間達の姿はもうなかった。土方はギリッと奥歯を噛み締め、屯所の方を睨みつけると、駆け出した。

島田は一瞬だけ山南の方を振り返り、土方の後に続いた。

山南の瞳には、底知れぬ寂寥の色が浮かんでおり、屯所に着くまでの間、島田の脳裏に何度も甦った。





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