91 監察

二番組伍長にして諸士調役兼監察方であり、土方の陰で汚れ役も厭わず働く島田は、出来上がった書類に感心していた。

「流石は、山南総長や斎藤組長の小姓を任されていたお方だ。いやぁ、驚きました!

 まさかこれほど早く正確に仕上げるとは! すみません、女性だからと侮っているつもりはなかったのですが。

 副長が貴女を補佐に任命した理由が分かりました。恥ずかしながら、書類の提出は我らには難題でして。

 留守を言い訳にするのはみっともないのですが……助かります! これからも是非お願いしたい!」

千恵は頭二個分は大きいだろう巨漢の島田を見上げながら、その絶賛に赤くなって首を振った。

「教えてくれる人が良かっただけです。山南さんもはじめさんも、厳しいけどいい先生でしたから。

 これからは遠慮せず回して下さい。私ならいつでも屯所に居て、時間の融通が利きますから」

「いつでも……あっ! す、すみません、そういえばまだ外出に同行した事がありませんでした!

 そうだ、今度美味しい甘味処にお連れしましょう。小豆を上手に炊く店が出来たんですよ」

幹部は滅法忙しく、自分も仕事を優先している為、屯所に篭らせっきりだったと気付き、島田は慌てて謝罪した。

目の前の小柄な女性は到来した時からよく見知っているが、実は今まであまり話す機会がなかった。

山南総長が重用し、斎藤組長の心を射止めた綺麗で明るいお嬢さん、くらいの見識だった。

だが、補佐としての早い仕事ぶり、綺麗に掃除された監察方の部屋、探しやすく片付けられた書類の山。

年若いわりに中々しっかりした方のようだ、と認識を改めた。といっても相手は十九も年下なわけで。

部下というよりは少し大きめの養女でも貰ったような気になり、甘味なら喜ぶだろうと提案した。

「本当ですか? わぁ、嬉しいっ! そういえば以前はじめさんに連れて行って貰ったお店も、島田さんのお薦めでしたね。

 あ……もう衛士に行っちゃったから、はじめさんの話はしない方がいいんでしょうか?」

「いや、構いません。我らは監察方、秘密は墓場まで持って行きますから。何でも気兼ねなく話して下さい」

本当は斎藤組長がこっちの送った間諜だと知っている、と教えてやりたかったが。

役割に忠実な島田はただ穏やかに、千恵の聞き役になる事だけを請け負った。

はじめさん、という名前を大事な宝物のように扱う千恵の様子を、微笑ましく眺めながら。

余計なお節介かもしれないが、今度連絡役として接触した時には、この子の様子も伝えて差し上げよう、と思った。




五月上旬の深夜。屯所の離れに土方を呼んだ山南は、彼を連れて来た島田と共に、独房に向かった。

そこには目の下に隈をこしらえ、疲れた様子で蹲る一人の羅刹隊士が居た。

「彼に吸血衝動が出て、ふた月経ちます。今の所……自傷して飲んだ様子はありませんが。我慢も限界で、

 介錯を嘆願されました。土方君、検死役をお願いします。あと、片腕では心許ないので、島田君、介錯は貴方に」

「嫌だっ、お願いします、総長っっ!! あんたがいいんだ。あんたの手で死ねるなら、終われるなら……。

 お、俺だって武人の端くれだ、介錯役を指名したっていいはずだろ? ずっと総長だけが支えだったんですっ!」

パッと弾かれたように身を起こした男は、格子に縋り付いて懇願した。

残酷な選択を突きつけられた山南は少したじろいだが、最期の願いなら、と首を縦に振った。

「分かりました。どうあっても、というなら引き受けましょう。二年以上寝食を共にしてきた貴方を、

 自分では手にかけたくなかった。島田君に頼んだ本当の理由は、それだけですから。

 片腕で首を落とすのは難しい。島田君、お手数ですが蔵から大太刀を持って来てくれますか?」

「分かりました。すぐにお持ちします」

島田が頷いて走り去ると、独房から少し離れ、土方は溜息をついて山南を見やった。

山南さんは本当は、仲間を斬るのを誰よりも厭う優しい人だってぇのにな。

「汚れ役ばかりすまねぇな。だがあんたの介錯なら確かに本望だろう。もう親みてぇなもんだしな」

「子を殺す親がどこにいますか。……大丈夫、この道を選んだ時に覚悟はしましたから。

 すでに服用した者からこの副作用を取り除くのは、どうあっても無理なようですね。残念です。

 今後は……衝動を抑える薬を作る方に専念します。血を飲めば確実に狂う以上、それしか頼る物がない。

 松本先生か私、どちらかが完成させれば、残り十一人は当分死なせずに済む。はぁ、頑張ってみましょう」

山南には、何度も何度も過ぎり、その度に必ず打ち消す一つの考えがあった。それは……鬼の血の利用だ。

副作用のない変若水が出来るかもしれない。既に変若水を飲んだ者の副作用も抑えられるかもしれない。

だがそこに手をつけたら、武士として人として、終わってしまう気がした。

鬼の歴史を聞いたり、千恵や千鶴の生家の末路を知ってさえいなければ、違ったかもしれないが。

あの話を聞いて彼女らをどうこうしようと思えるほど、山南は非情にはなれなかった。

しかも、鬼の種族特有の盟約もある。その上今や、千鶴は土方と恋仲で、千恵は斎藤の細君だ。

土方はばれていないと思っているようだが……山南は沖田と仲がいい。あとは推して知るべし、だ。

自分が聞いた俳句が沖田の捏造でなければ、土方は本気のようだ。

まさかこの男が、一回りも下の娘に惚れるとは思わなかったが。自分もかつて覚えがあるから、人の事は言えない。

鬼の魅力は血や力だけでないようですね。海千山千の幹部も虜にしてしまうんですから。まったく、情とは厄介な代物だ。

山南は自分の思索に苦笑したが、地下への階段を駆け下りてくる足音に、目つきを変えた。

島田にしては珍しく慌てて、すぐに土方と山南に駆け寄り、息もつかずに急を告げる。

「総長、副長! 風間達が離れの前に来ていますっ! 今すぐ話がしたいと。さもなくば離れに火を放つと脅されました!」

「何!? くそっ、あいつらに知れたかっ。島田、お前は幹部を叩き起こして、千鶴と月宮を護衛しろ。

 山南さん、俺と一緒に来てくれ。羅刹を救うにゃあんたの力が必要だ。

 おいお前! 狂わなけりゃ俺達が責任持って、武士として死なせてやる。

 血が飲みたくなっても今夜は気張って堪えろ! 自分に負けんじゃねえぞ!」

三人は駆け上がり、離れの玄関を飛び出した。そこには風間と天霧と不知火が立っていた。


……鬼達は怒りにその目をぎらつかせていた。


幹部棟へ駆けようとした島田の後頭部に、硬いものが当たった。……銃口だ。

「動くんじゃねぇぞ? 頭が割れたスイカみたいになっちまうのが嫌だったらな」

島田の背中に汗がブワッと吹き出た。人ならざる者。鬼の威圧は、生き物の本能に訴えかけた。

勝ち目は無い。どうあっても逃げられない。

生まれて初めて、自分の意志とは無関係に足が動かなくなった。




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