90 遭遇
四月の半ば。兵庫開港問題に決着をつけるため、薩摩の最高権力者である島津公が上京した。
京の警備の為、約七千もの兵を率いての堂々の入京は、世に権勢が移った事を知らしめた。
その薩摩に乗っかろうとしていたのが、御陵衛士という名目で隊を割った伊東達だ。
斎藤はその動向を監視しながらも、伊東達からは信頼を得て行動を共にしていた。
一方、自分の意志で伊東らに付いて来た平助は、試衛館時代から近藤と同志だった事で、皮肉にも間諜と疑われていた。
伊東は、近藤派の動向を聞き出す情報源として平助を利用してただけで、自分達の同志とは見なしていなかったのだ。
そんな毎日が楽しいはずない。平助は自分の志が素直に受け取って貰えない事に、苛立ちを募らせていた。
たったひと月で、認めたくはないが……後悔し始めていた。
気晴らしに団子でも食いに行くか。平助は刀を腰に差すと、善立寺の門を出た。
甘味処で餡の乗った団子を頼み、陽気がいいので表の長椅子に腰掛けていると、見慣れた羽織の一群が遠くに見えた。
その中に、小柄で薄桃色の着物と袴の女性が混じっている。新選組の巡察に同行する女性なんて一人しかいない。
千鶴だ。もう同行はしてねぇはずなのに、なんで今日に限って……しかもこっちの巡察経路なんだよ。
次第に大きくなるその姿から身を隠すように、注文した団子の皿を持って立てすだれの陰に入った。
新八つぁんに付いて来たのか。俺の組は誰が受け持ってんだろう。
残してきた部下達はもう他の隊に組み込まれたんだろうか? そんな事を考えながらも、つい見てしまう。
永倉が何か冗談でも言ったんだろう、千鶴は高い声を響かせて笑っていた。
全然男装に意味ねぇよな。声も高いし背も小せぇし、顔も……可愛いし。
懐かしいという程離れてから日は経っていないのに、無性に声を掛けたくなる。でも同時に、見付かりたくなかった。
大口叩いて出たのに、すだれの陰で俺、何やってんだろ。でも……元気そうでよかった。
平助は茶店の前を通る永倉達をやり過ごしながら、目の前にいるのに大きな隔たりを感じて寂しくなった。
と、その時。千鶴は顔だけ後ろに向けて、腰の辺りで手首だけ動かして、小さく手を振ったのだ。
一瞬目が合ったかと思ったら、零れるような笑顔を見せて。平助に向けて。
「あいつ、やっぱいい奴だよな。土方さんには勿体ねぇけど、幸せになって欲しいよな」
自分に言い聞かせるような独り言。不思議と心は痛まなかった。
一種の流行り病のように通り過ぎた初恋よりも、今はかつての仲間、新選組の皆が気になった。
頑丈な体を揺らして歩く永倉が小さくなって行くのを眺め、平助はポツンと取り残されたような気分で団子を食べた。
平助は、勤王とか佐幕とかではない、大切な何かを思い出しかけていた。
それは、飛び出したこっちの世界には無かった。
「永倉さんも気付いてましたよね? どうして目を合わせなかったんですか?」
探索ではなく買出しの為に同行していた千鶴は、目的の店に入ると永倉にこっそり聞いた。
平助の存在に先に気付いたのは永倉だったが、彼は決して目も手も動かそうとしなかった。それが不思議だったのだ。
「ん? ハハ、堂々と座ってたら手ぇぐらい振ってやったがな。こそこそ隠れちまうような奴にゃ必要ねぇ。
自分が正しいと思ってりゃ、隠れたりしねぇだろ? それに……見張りも付いてたみてぇだしな」
永倉は肩をすくめて、何でもない風に言ったが、内心は平助を見張る伊東派の連中に腹を立てていた。
平助を引き止めなかったのは、自分で納得しないと次に進めないと思ったからで、決して見放したつもりはなかったのだ。
むしろ、頑張れよ、と応援する気持ちが大きかった。だから、その意気込みを軽くあしらわれている現状が悔しかった。
もしこのまま連中から浮いて、孤立するようなら。平助が望むなら。いずれ機会があれば、引き戻そう。
永倉はそう心に決めて、店の亭主から受け取った重い紙束を、千鶴には渡さず自分が抱えた。
「あんま気にすんな! 千鶴ちゃんが手ぇ振ったんだから、今頃きっと浮かれてんぜ? さ、行こう」
「永倉さん、半分持ちます。でないと何の為に付いて来たんだか……永倉さん?」
ちょこちょこと後を追う千鶴は、見張りという言葉に一瞬表情を暗くしたが、永倉に元気付けられ帰路についた。
もちろん、土方は最初から永倉に荷物を持たせるつもりで買出しを頼んでおり、千鶴の同行は気晴らしのつもりだった。
千鶴本人は、まさか十人以上の護衛付きで散歩したとは思ってもいなかっただろうが。
組長に倣って屈強な男ばかりの二番組隊士達はしっかりとその役割を果たし、
永倉も土方の意図を汲んで、京の街をゆっくり歩いて帰った。
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