贖罪ノ子
宏夢 / 伊織
鬼気迫る様子でパソコンを叩いた宏夢は、画面上にケージ館内の見取り図を開いた。
そこに青く点滅しているポインタを確認すると、みるみる血の気が引いていく。
慌てて通信機の電源を入れると、狂ったように駆蹴の名前を呼び始めた。
「駆蹴!? 駆蹴、応答できるか、駆蹴、返事しろっ!」
まさか――伊織の背筋が冷たく凍り付いていく。
爆破されたのはアグニス格納庫だ。機動班である駆蹴がそこにいてもおかしくない。
ガン、と机を叩いた宏夢の様子に、嫌な予感が的中しているのだと気づく。
「……行ってくる。今から助けてくる」
「い、伊織も行く!」
「だめだ、ここにいろ」
「いやっ、一緒にいたい」
「頼む伊織。もうこれ以上、失いたくないんだ」
「でも、宏夢君だって……」
「ここでじっとしている事は出来ない。同じ繰り返しになるのは、もう嫌なんだ」
最初は八重だった。
安全な場所から、彼の断末魔をイヤホンごしに聞くことしか出来なかった。
二度目は龍二だった。
周りの静止を振り切って単独行動した彼が、命を散らしたのだと後から知った。
もっと何かできたんじゃないのか。
もっと勇気があれば。自分があの時何かしていれば、違う未来が待っていたんじゃないのか。
そんな事で後悔したり悩んだりするのには、もう疲れたのだ。
「ごめんな、伊織」
「ひろ、む、君……」
伊織を抱きしめた宏夢の瞳には、己の命への諦めが宿って見えた。これが最後だ。そうはっきりと告げられた気がするのに、喉がつかえて声が出ない。
震えている伊織を離すと、宏夢は一度も振り返らずに扉の外へ消えてしまった。
しん、と静まり返った部屋。うずくまった伊織を、本物の孤独が覆い尽くす。
置いていかないで。一緒に連れて行って。
「うっ……ひぐ……えっく」
こんなのがお別れなんて嫌だ。けれど、現実が思い通りにならない事を、もう痛いほど知っている。
「宏夢君……!」
泣きじゃくりながら、伊織はとうとう部屋から飛び出した。扉を隔てた向こう側へ足を踏み出し、宏夢の後を追って走り出す。
鼻をつく火薬の匂いと、微かなレギヲンの気配。それが絡まって同じ方向から漂ってくる。
呼応するように血がざわめいて、内臓がせり上がるほど大きく心臓が膨らんだ。
「危ないっ! ぼうっとしてるな!」
「あッ」
怪我人を運び出すストレッチャーにぶつかって、伊織は尻もちをついた。緊迫した雰囲気に飲まれそうになりながらも、慌てて体を起こそうとしたが、普通でない痛みが背中に走る。
恐る恐る指で辿ると、そこに異物感があった。振り向くように自分で確認すると、浮き出た肩甲骨に薔薇色の裂け目が出来ている。
「なに、これ……」
その間から、乳白の雲母を貼り合わせたような薄い羽根が顔を覗かせていた。弓形になってまだ出てこないが、今にも広がろうとして、むず痒くて仕方ない。
デクロの、羽根だ。
透明な蝶の四枚羽が内側で蠢いている。
己の変貌を、伊織は悟った。
なんで、今なのだろう。どうして、もう少し待ってくれないのだろう。
「だめ、だめ……お願い」
もしも羽根が広がりきってしまえば、宏夢たちに会う前に、捕まってしまうだろう。
そうなれば、永遠に彼らに会うことは出来ない気がした。
そんなのは絶対に嫌だ。
眩暈と激しい痛みに、気を失いかけながらも、伊織は走り出した。