失思ノ子
人体研究所 / ソラ
ぼんやりと目を開けると、温かい液体の中にいた。
あたりは薄暗く揺らめき、あまりはっきりと見えない。
自分の掌、足の指を眺め、灰金の髪を引っ張ってみる。それから、周りを囲む円筒状のガラスに掌が触れたが、少し力を入れただけで簡単に壊れてしまった。
器を失って決壊した液体は、粉々になったガラスを押し流しながら床の上を流れていく。
そこへ尻もちをつくと、もう一度あたりを見渡した。
薄暗い部屋には似た形をしたケースが無数にあり、空っぽのものや、何かの胎児が浮いているものまである。
その中の一つに、自分と同じか年下に見える子供がいた。
色白で飴色の髪をして、親指を咥えながら目を閉じている。幸せな夢でも見ているのか、柔らかそうな唇がむにむにと動いた。
自分も今の今まで、この子と同じように眠っていたのだろうか。
手を伸ばしかけたが、突然背後の扉が開き、白衣を着た研究員が我先にと部屋の中へ駆け込んで来た。
「おい、起きているぞ」
「ケースを割ったのはお前か?」
「呼吸に問題はなさそうだ、早くデータをとれ」
興奮した彼らの口調に面食らい、思わず硬直する。あっという間に取り囲まれて、言い様のない不安感にかられた。
「自分の名前を言えるか?」
「……あ、……え?」
名前……? 言われてみれば答えられる気もしたけれど、頭が引き攣れたみたいに痛い。
脆い糸で繋いだような思考回路に混乱したが、今答えなければ、口から腕を突っ込んで内臓でも引きずり出されそうだった。
「君の名前はソラだ」
狂喜をはらんだ視線の中から凛とした声が響く。
細い銀縁の眼鏡をかけた男性が静かにこちらを見下ろしていた。
「……誰?」
「……、ただの研究員の一人だ」
困ったような表情を浮かべた男は、まだ濡れているソラの髪をそっと撫でた。
今思い返せば、彼に会ったのは後にも先にもこの一度きりだった。