エレベーターが静かに動き出すと、達貴は数冊の本を両手に抱えたまま、内気そうに微笑んだ。
「今、食堂にいたんだ」
「……へえ」
見られた、と一瞬冷たい思いがしたが、そういえば達貴にも同じことをしたのを思い出す。
「聖夜たちと揉めていたのが見えたから、追いかけてきちゃった。どうしたの?」
「どうもしない」
「えっ、怒ってる?」
「怒ってねーよ」
「じゃあなんで、」
「……お前、特別候補生だったのか」
「うん、そうだよ」
微笑む達貴は、妙に聖の神経を煽った。
白い頬、柔らかそうな髪、華奢な体。見るからに清い空気しか吸ってこなかった特別候補生の姿。
きょとんとする達貴を見つめる。
こんな密室で二人きりで、ああまた、頭がおかしくなりそうだ。
滅多にないチャンス、これを逃せばもう二度と巡ってこない。細胞が『捕まえろ』と聖に命令している。
昨日の子どもは賢かった。
手を白く塗ったオオカミをすぐに見分けたんだから。
ガタン
突然エレベーターが停止し、電源が落ちた。すぐに切り替わった赤い照明の下で、達貴は驚きつつも冷静に非常ボタンを押す。
「なんだろう。停電かな」
管理室に通信がすぐに繋がり「すぐに復旧するって」と安心したように聖を振り返る。
聖は壁にもたれるようにして、俯いていた。
「聖?」
「……俺は最近保護されたんだ。前に住んでいた場所は汚いスラム街だ」
勝手に始まる自白に、自分自身どうかしていると思いながらも、なぜか止めることが出来ない。頭を抱えながら、ずるずるとそこにしゃがみ込む。
「俺の仕事は、あんたみたいに可愛い顔したのを騙して売ることだった。汚い親父とセックスさせるためだ。どんなに泣き叫んでも、俺が外から鍵をかけているから逃げられない。そうして俺は生きてきた。生き抜くためのルールだ」
止まらない懺悔を達貴にぶつけながら、拳をぐしゃりと握り締める。
「だから今も俺はあんたを目の前にして、気が変になりそうだ。早く捕まえないと逃げられる。そうしたらノルマが終わらなくて、家に帰れないって」
「聖、ここはスラム街じゃないよ」
「そんなことわかって、」
落ち着いた声に苛立って顔を上げると、目の前には達貴の白い腕が差し出されていた。
「そんなに辛いんだったら、僕のこと捕まえていいよ」
「は?」
「それで聖の気がすむのなら。はい」
華奢な腕が差し出されて、一瞬戸惑った。何を馬鹿な事を、と思いつつも震える手のひらを伸ばす。
ぐっ、とその白い腕を握った。
ひんやりして、柔らかい。
「どう?」
「どうって……」
「うーん。僕はこれより、こっちがいいな」
達貴は聖の指にそっと手を重ねると、優しく滑らせてお互いの掌同士をぎゅっと握り合わせた。
優しい達貴の体温に、うつろな視線を上げる。
突然がくんと視界が揺れた。
復旧したエレベーターは、正常な照明に戻ると何事もなかったかのように動き出す。
「よかった、思ったより早かったね」
安心したように達貴が顔を上げると、聖は慌てて達貴の手を振り払った。
開いた扉から転がるように逃げ降りる。
達貴を捕まえたのは自分のはずだった。それなのに、いつの間にか立場が逆転したような気がした。