七松と食満の三人で不本意ながら騒がしい食事を終えたあと、事務室へ向かえばすでに書類が散乱していた。
おいどういう事だ小松田。

「…吉野先生に怒られますよ」
「だ、だよねえ」

えへへと気の抜ける笑いを浮かべながら頭をかく小松田にため息をついて、とにかく散らばった書類をひとまとめにすべく小松田に指示を出す。
何故私が先輩事務員である筈の小松田に指示を出さなきゃならないんだろうと呆れるが、途中墨をこぼしそうになったり転んだりする小松田が頼りにならないのは明らかだから仕方ない。

「いやあ名字さんって頼りになるねー」
「…それは、どうも」

昨日からやってきたばっかりの不審な女を頼りにしていいのか?
疑問は際限なく溢れてくるが、きっと突っ込んでも無意味だろうし止めておく。

「ところで吉野先生は?」
「吉野先生は用具管理主任だから忙しいんだ」
「つまり、今日はまだいらっしゃらないと」
「うん、吉野先生が来るまでは僕が名字さんに仕事を教えるからね〜」

えええ、すごい不安なんですけど。
忙しいから仕方ないとはいえ、小松田に私を任せていいのか吉野先生。
まともに仕事を教えてもらえるとは思えないし、もし私が間者だったら情報がもれ放題だぞこれ。
それともどこかに先生方の誰かが忍んでて私の動きを見張ってるんだろうか。
何それ怖い。

「えっと、じゃあまず何をしたらいいでしょう?」
「うん、今日は事務員の一番大事な仕事を教えます!」
「一番大事な仕事?」
「うん、それはね、入門表にサインを貰う事でーす!」

思わずそんな訳ないだろ!と怒鳴りつけそうになるのをぐっとこらえ、それは昨日教えていただきました、とだけなんとか答える。
もしやこの人は昨日の仕事内容をもう忘れてしまったんだろうか。
昨日荷物を届けに来た馬借の清八さんという人にサインを貰い、荷物を預かった時に懇切丁寧に説明してくれたじゃないか。
いや、まさかまともに人に教えられる仕事がそれしかないとか、そんな事はない…よね?

「…うーん、そっかあ、じゃあ今日はあれをやってもらおうかな」
「あれ?」
「じゃーん!入門表の台紙作りでーす!」
「それしかないんですかあなたは!?」

まっさらな紙を見せて自信満々に言った小松田にとうとう突っ込みをいれると、でも大事な仕事だよーとほわほわした笑顔で言われてうなだれる。
まあ仕事だしやれと言われればやるしかないけど…でも本気で入門表の事ばっかりだなこの人。
若干呆れながら紙を受け取り、見本に完成品を一枚もらう。
それからボールペン、と考えてはたと気付いた。
この時代にボールペンなんてある訳がないんだった。
あるのは筆のみ。

「…筆とか、使えるのか私…」

不安になりつつ用意された筆を取って、半紙にそっと乗せてみる。
けれど久しぶりに使う筆はやはり力加減が分からず、墨をつけすぎたせいでぐしゃりと滲んであっさり失敗してしまった。

「あっ、」
「どうしたの?」
「いえ、その、筆が使いなれなくて…」
「あれ、もしかして字が分からない?」
「…この時代の字は、あんまり。筆も私の時代ではもっと簡単に扱える文房具があるので」

よくよく考えれば事務員としてはまったく役に立たないんじゃないだろうか、私。
そんな事実に今更気付き、愕然とする。
小松田が役に立たないなんて、そんな事を言える立場じゃなかった。
確実に私は小松田より役立たずだ。
字が書けないだけならまだしも筆すら使えないなんて、馬鹿にしていた入門表の台紙作りすらまともに出来ないじゃないか。

「…あの、すみません、私…」
「今から練習したらいいよ」
「…え?」
「筆の練習!筆が上手く使えるようになれば線は引けるでしょ?字は僕が書くから、安心して任せて!」

にっこり笑ってそう言った小松田は書き損じの紙を大量に出してきて、これで練習してねとまた笑う。

「あ、の、」
「心配しなくていいよ、名字さんならすぐに上手になるから!」

何この人、すごく優しい。
さっきまでこの人を馬鹿にして、頼りないと思っていた筈なのに、現金にも私を馬鹿にせず優しくしてくれる小松田さんがとても頼もしく思えてくる。
ああもう、見下したりしてごめんなさい。
心の中で何度も謝罪して、もう小松田さんを侮ったりしないとこっそり誓う。

「…小松田さん、」
「ん?なあに?」
「頼りにしてますから、よろしくお願いします!」
「うん!」

そう笑い合った私たちだったが、再びすっころんで墨と書類を撒き散らした小松田さんに再度呆れを抱くのはその数分後の事である。


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