僕以外誰もいない部屋、空になったマグカップ。その縁にはうっすらと、ココアと彼女の唇の跡が残っている。
(恋人と離れてるのが不安なのかな)
それが彼女の話を聞いた僕の第一印象だった。愛を越えるものを求めてしまって、彼女はこれからどうなりたいんだろう。不安げにしている彼女を、僕が救えるとは到底思えない。
でも例えば……と僕は部屋の天井の角を見つめる。
彼女と彼女の恋人の関係を繋ぎ止めているものが愛なのだとすれば、彼女と僕を繋ぎ止めるものは、何なのだろうか。
愛ではないとしたら、僕と彼女は愛を越えた関係なのだろうか。
(は……まさかね)
こんな考えは妄想であり、暴走だ。僕は即座にその考えを頭を振って消した。
近くにいたって、成り立つ恋と成り立たない恋があるんだ。一度実った心を失うなんてこと、出来ることならあってほしくない。
失ってしまったなら、取り戻してほしい。
忘れてしまったなら、思い出してほしい。
完成した歌を歌うのは彼女だ。寂しく笑いながら気持ちを打ち明けリクエストしてくれた彼女だ。そんな寂しい顔をするのは、まだ君の心が距離の向こうに消えていないからではないだろうか。爽やかに歌いたがるのは、少しでも苦しみから逃れたいと望んでいるからではないだろうか。
僕は多少勘ぐりすぎかもしれない。でも、君の気持ちがたとえ風前の灯だとしても、僕はそれを吹き消したくない。ましてや、新しい火を灯し直すこともしたくない。
無力かもしれないけれど、僕がその弱い炎を守りたいんだ。