あかりがまぶしい
04
「焦ることはない。焦るだけじゃ、出来ることも出来ないだろう? ――あ、これちょっと持っててもらえるかい」

 僕に紙コップを渡すと、岡田さんは甘酒の湯気に曇った眼鏡を外して手袋の指先で拭った。というか、甘酒……いつの間にこんなものを手に入れていたんだろう。
 彼のぼやけた視線――彼は重度の近視だと聞いている――の先には、何が映っていると言うのだろうか。僕の視線の先には、榛紀さんと祐紀ちゃんと楽しげに話す陽瑞さんがいた。きっと彼女はこれまでになく今を楽しく感じているに違いない。彼女は榛紀さんと「歌」で繋がることが出来ている。

『文字伝え文字を思いて語る人君がおらずに誰に言はんと』

 僕にそう訴えた君の、寂しそうな表情を思い出している。君は「歌」が消えてしまうことを恐れ、「歌」で伝わらないことを憂いていた。
 僕は、僕の「文学」が誰にも伝わらないことを憂いているのだろうか。当時の僕は、僕の中から「文学」が消えてしまうことを恐れていたのだろうか。

「俺はまだしも、君らにはまだまだ時間がある。焦る必要なんてどこにもないように見えるがな」

 一年間変わらなかった縁なし眼鏡をかけ直し、岡田さんは僕から甘酒を受け取った。

「……俺は今まで、サークル長でありながら一度も『それっぽい』ことを何もしてこなかった。俺はこのサークルが、同じ趣味や考え方を持つ人間に出会える場であれば良いと思っていた。それはそれで必要な空間だし、このサークルはそれを達成できてるって言う自負もまあそれなりにある。……それなりにな。
 でも俺は、そこで止まった」

 言葉に習うように、岡田さんもそこで少しだけ間を置いた。

「『楽しければそれで良い』。俺はそこで留まって、そこで満足してしまった。楽しいかもしれない。居心地は良いかもしれない。でもそんなの、何も面白くない。
 俺は、心底面白いことがしたかった。じゃあそれは今実現できてるか?」

 皮肉屋の岡田さんが、さも面白くなさそうに笑った。

「もしだれかにそう聞かれたら俺は、きっと何も答えられない」

 岡田さんが引いたおみくじを思い出す。『初心忘れるべからず』。すなわち、意思はあくまで貫き通すが、大吉。
 ふうっと強く吐き出す息が白い。

「俺は、今年に賭けてる」

 急な宣言に、僕だけでなく他の三人もこちらを振り返った。

「そ、それは……?」
「今年最初の、そして最大の活動は、」

 言葉を一瞬止めた岡田さんは、それでも決意を固めるように早口に言い切った。

「サークル誌を世間に出すことだ」

 ぬるい甘酒に落ちる雪がじわりと解けるように、岡田さんの言葉が僕の心に届く。

「サークル、誌」

 本を、出すということは。

「僕の、小説が」

 陽瑞さんの、歌が。

「ああ、ずいぶん待たせたな。毎日がつまらん日々じゃあ、話もつまらなくなるだろう?」




 志を、夢を語る時間はまるで酒にほろ酔ったように心地よく感じるものだ。実際僕はそうだった。執筆の話になると僕は普段よりもずっと気が大きくなるし、気分が高揚してかっこつけようとするし、それはただ――ただ、楽しかった。
 でも、この甘酒は違う。岡田さんとのこの話は、全然違う。
 ニカッと笑う岡田さんの表情には、いつもの余裕も皮肉っぽさももはや残されていなかった。でもそれが不安材料になることもなかった。
 僕の『文学』が形に。

「僕に出来ることはあるなら何でもします。……僕、頑張ります」

 岡田さんに対する恩とか感謝とか、数え上げようとすればあげきれないけれど。

「信頼してるぞ。書きたいことがあったら何でも書いておいてくれ」

 僕の話が沢山の人の手に取られ、読まれる。僕の作品が僕の中だけで閉じられなくなる。僕は僕のことを伝えられる――それを思うだけでこの胸の鼓動が抑えられない。
 こんな感覚、初めてだ。

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