かんなさま 
 [ 9/10 ]




 命の危険を感じると、性的興奮を収めたくなるのは人間として、否、男としての性で、不満解消のためには適当にそこらへんの女を引っ掛ければ良いだけ、なんて思っていた。

 そういった関係の女性がいままでにいなかったと言えば嘘になる。自分の住む地域を気にして、遠く離れた人間をわざわざ選んで性欲の処理をする。それは今後おそらく見つかることのないところに住む人間で、けれど遊びにいけるほどの遠すぎない場所が多かった。

 べこべこにへこんだ車をやっとこさいつもの修理屋へと連れて行く。預けるだけ預けて、また少し遠くに身を隠すのも悪くない。

 車を降りて古びた車庫にはいると、聞きなれた爺さんの声が響いた。

「また暴れ馬にさせおって」

 その声にぼくは苦笑を作っていると、「優奈ー!」と爺さんが叫んだ。どうやらきょうは他にも人間がいるらしい。

 奥の扉が開く音がした。

「なあに、爺ちゃん」
「車庫前にあるFDの見積もりから修理まで頼む」
「はあーい」

 間の抜けた声の女は、薄暗いケーブルまみれの廊下から薄着姿で現れた。

「あなたがお客さん? 爺ちゃんの客にしては随分と若いのね」
「こら、優奈! さっさとせんか!」
「げ、やっばー」

 優奈と呼ばれた彼女は、子どものように無邪気に笑いながらぼくに近づいた。

「鍵、預かりますね」

 白い肌の上に、薄く伸びたオイルの汚れ。つなぎは邪魔なのか下半身だけしか使用しておらず、上半身部は腰に巻きつけてとめてある。かろうじて着ているタンクトップの下からブラジャーのレースあとがくっきりと浮かんでいた。

 近づくのに躊躇してみたが、彼女は気にした様子を見せずに平然とぼくに近づいた。仕方なしに車の鍵を渡してやると、シャッターを勢いよくあげて車庫前に停めてある車と対面した。それと同時に、彼女の喉から「ひえ」と小さな悲鳴が出た。想像以上に車がやられていたからだろう。

「一応、修理として見積もりを出して良いのね?」
「ええ、それでお願いします」

 彼女が車に乗り込んで鍵を回すと、エンジン音が外から中に向けて響いた。聞きなれた音が、自分から逃げていかないように、しっかりと音を受け入れる。

「内装はそこまでやられてないみたいね。エンジン音もしっかりしてるし」

 身を乗り出しながら、車をゆっくりと中に入れる。白線を気にしながら停めると、エンジンを止めて車から降りた。

「念のため、エンジンも確認します。いまから見積もり出すのに、……そうね、一、二時間ぐらいほしいんだけど」
「構いません、そこで待ってますので」

 ぼくが言ったそこ、というのはいわば待合場である。ぼく以外の客が使っているところには遭遇したことがない。

 古びたソファーに深く腰をかけ、見積もりを出すために車を触りだす彼女を眺めた。

 容赦なくガタガタと音を立てながら、彼女は車をチェーンでひっかけてから機械で持ち上げたり、ボンネットを開けて中を確かめている。それからがちゃがちゃと中をいじくりまわし、ときたま満足そうにうなずいている。外装をじっくりと確認した後、車の下に入り込み、これまたなにやらいじくっていた。それからやっとのことで出てきた彼女は、やってやったと言わんばかりに大きく息を吐いて額の汗をぬぐった。手の甲についていた汚れが額に伸びてついた。

 ポケットにいれていたらしいメモを取り出し、近くのパソコンの目の前に座る。カタカタとなれない手つきで何かしらを印刷すると、そこにメモ帳を見ながらなにかを書き写す。書き終えたものを複製コピーして、ぼくのところにやってきた。

「お待たせ」

 彼女の一声に驚きながら、見える場所にあった時計を盗み見た。たしかに、あれから一時間以上が経っていた。時間はあっという間にすぎていたようだ。

 これ、と彼女が差し出した紙を受け取る。

「中は大丈夫そうだから掃除だけしちゃいましょうね。Vベルトが切れそうだからそれの変換と、金属の細かい部分のつぎはぎはまた確認しておきます。外傷が多いのだけど、それの修理費がまあ、ざっとこんなものね。交換もできるけど、その場合は発注にも時間がかかる。どうする?」
「修理で」
「了解。サイドはそうでもないけど、ボンネット付近の金属が折れてるからどっちにしろ時間も金もかかるわ。とりあえずの見積もりはこんなもんで。少し高めには見積もってるわ」

 最後に、彼女はぼくが持っていた見積書の下部に書かれた金額を赤いペンで丸した。

「直るのならいくらかかっても構いません」
「……そう、わかったわ。ところで」

 彼女は眉間に皺を寄せ、目を泳がせてからため息をついた。ぼくはその様子に疑問しか浮かばず、怪訝な表情を向けた。

「気づいてないのならいいわ。足はあるの? 送ろうか?」
「いえ、けっこうです」

 立ち上がろうとして、そこではじめて彼女の言っていたことがわかった。ぼくはいま一度座り直し、頭を軽く抱える。

「おにーさん」

 呼ばれて顔をあげれば、薄く笑った彼女が黒い物体を放った。顔面に向けてとんできたそれを受け取る。有名なメーカーのブラックコーヒーだ。

「……どうも」
「甘いほうが好きだった?」
「そうですね」
「あらそう。じゃあわたしがそっち飲むから頂戴」

 今度は近くに寄ってきた彼女が、ぼくの手からコーヒーをとってカフェオレと入れ替えた。

「ありがとうございます」
「……気づいたの?」

 からかうこどものように、彼女は笑う。

「お見苦しいところを」

 缶コーヒーをあおりながら立ち上がり、ぼくのFDに近づいた。少し歪になった車体を撫で、愛を囁くように軽いキスを送る。

「良いのよ、生理現象じゃない。トイレはあっちよ、知ってるかもしれないけど」

 彼女は指をさしてから工具の整理にとりかかった。

 トイレをさしたのは、落ち着かせてこいと言う意味だった。それがわからないほどぼくもばかではないので、最後の最後にカフェオレをあおってから立ち上がった。

 彼女の横を通ってトイレを目指す。タンクトップの下からブラジャーのレースあとがくっきりと浮かんでいる。

 コン、と軽い音がした。それはコンクリートにアルミがぶつかった音で、知らずのうちにぼくの手から缶が離れ落ちていった音でもあった。カンカン、コロコロコロコロ。リズミカルというにはほど遠い音が屋内に響く。

 ぼくは後ろから彼女を抱きしめていた。もう止まらなかった。いや、ぼくなら止められたのかもしれない。

 香水ではない女性の香り、湿った二の腕、滑らかな肌触りの首筋、柔らかい上半身。

 彼女は嫌がる素振りを見せず、ぼくの頭を撫でながら耳元で囁いた。

「気が済むのなら、噛みついてよ」

 ぼくは息を荒くして彼女の首にかじりついた。それから彼女が目を合わせてきたものだから、唇をおもむろに探して食いついた。



「いつごろ、終わりますか」

 本格的に片付けを始めた彼女に問いかけた。

「そうね、三週間ぐらい」
「待てません」

 ぼくは彼女の後ろから抱きつき、駄々をこねるように頭を擦り付ける。

 離れなさい、と言わんばかりに、するりと彼女は腕を抜けてしまった。この関係の終わりを示していた。

 少し考えた様子の彼女は、工具の片付けを再開した。

「じゃあ、一週間ね」
「……そんなにはやくできるんですか?」
「でないと、」

 彼女は手を止めてぼくを見た。

「またここでできないでしょ?」

 そしてにんまりと笑うのだ。ぼくのことをわかっているかのように。





かんな様
この度は企画にご参加いただきましてありがとうございます。
ワンナイトラブだけど恋しちゃった降谷を選びました。
本当は性描写も含めようかと思ったのですが、成人済み小説という概念をすっかり忘れて企画をしていたのと、わたしがとてもとても不得意なこと(特に後者がメイン)と、大変申し訳ない限りですがカットいたしました、ごめんなさいいいい。
いい感じにぎしぎし言わせてると思います(笑)
「恋……したのか……?」となりそうな内容で大変申し訳ないかぎりです……。
もし良ければもらってください。
本当にありがとうございました。



prevnext  


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -