虹色の明日へ | ナノ


色の明日へ
28.あの日の記憶


 あれから、どれくらい眠っていたのだろう。
 寝苦しさに目を覚まして、ぼう、と天井を見上げていた視界に映り込んだのは小太郎で。大丈夫か、と動くその唇に、わずかな頷きを返す。
「ゆずかちゃん、体調はどう?」
「少しは楽になったか?」
 それから数分後。部屋にやってきたのは佐助と片倉の二人組。佐助はひらりと手を振りながら、片倉は両手に盆を抱えて。
 小太郎に体を起こしてもらっていたゆずかは、二人に顔を向けて軽く笑む。
「だいじょうぶ……、心配かけてごめんなさい」
「いいんだよ。その風邪、俺様達のせいでもあると思うし」
「そうだな。俺達が現れてから、ずっと気を張っていたんだろう?すまなかったな」
「みんなのせいじゃ、ないよ」
 朝よりはしっかりとした声と受け答えに、佐助も片倉も、そして小太郎もホッと胸を撫で下ろす。
 ベッド脇にある背の低い机に盆を置いた片倉は、空いた手でゆずかの頭を優しく撫でた。
「粥を作ってきた。食えそうか?」
「ん……、少し、なら」
「無理しなくていいからね」
 土鍋の蓋を開ければ、ぶわっと舞い上がる香りと白い湯気。艶々としたお米を見ていれば、ほとんどなかった食欲が徐々にわいてくる気がした。
「じ、自分でたべられるよ」
「駄目だ。ひっくり返したら危ねえだろう」
 蓮華で粥を少量掬い、ふうふう息を吹きかけて冷まし始める小十郎にゆずかは慌てるが、事もなげに言われてしまえば黙るしかない。
 ほら、と程よく冷まされた粥を口元に差し出されて、大人しく口を開く。
「……んぐ」
「ゆっくり食えよ」
「……おいしい……!」
「右目の旦那の愛情が、たっぷり入ってるからねー」
「何言ってやがんだ、テメェは」
 優しい味がした。味つけがどうとか、温度がどうとか、材料がどうとかじゃなく、ただただどこまでも優しい味だった。もぐもぐと咀嚼するたびに、お粥にこめられた小十郎の慈しみの心が、ゆずかにもちゃんと伝わってきた。
「(……そういえば……)」
 不意に、脳裏に幼き日の記憶が蘇ってくる。まだゆずかが今よりも小さかった頃、こうして熱を出しては、よく寝込んでいたような気がした。

 ――幼い頃のゆずかは、身体の弱い子供だった。
 季節の変わり目にはいつも重い風邪をひき、そのたびに母親に看病をしてもらっていた。
 普段は仕事で忙しく、家を空けることの多かった両親が、その時だけは必ずゆずかのそばにいた。
 その時だけは誰にも何にも邪魔されない。二人とも、ゆずかだけのものだったのだ。

『まだ、お熱は下がらないわね』

「(……おかあさん……)」

 心配そうな顔をして、額を撫でてくれる母親の少し冷たい手が好きだった。

『ほら、ゆずかの好きなゼリーを買ってきたよ。早く元気になって、お父さんと一緒に食べよう』

「(……おとうさん……)」

 仕事を早く切り上げて、ゆずかの好物をお土産に買ってきてくれる、父親の笑顔が好きだった。

『大丈夫よ。治るまで、お母さんが手を繋いでいてあげる』

『心配しないで、ゆっくり眠りなさい。お父さんもお母さんも、ゆずかのそばにちゃんといるからね』

 寂しがるゆずかに微笑み、ゆずかが眠りにつくまで手を繋いでいてくれた母親。ぽん、ぽん、と。宥めるように、布団の上からお腹を優しく叩いてくれていた父親。

「(……)」
 ぽたり。現実のゆずかの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「ゆずかちゃん……」
「ごめん、なさい」
 風邪をひくのが楽しみだった。だってその時だけは、どれだけ両親に甘えたって許される。気の済むまでくっついていることも、長い長い話をすることも、なんだって出来たのだ。
 独り占めできた、ゆずかだけを見ていてくれていたのに。
 いつからだろう。ゆずかが体調を崩しても気づくことはなくなって。“そばにいるよ”という優しい言葉が、嘘になってしまったのは。
「ゆずかちゃん、これ、俺様が作ったんだ」
「あ……」
「お粥もいいけど、こっちも食べてみない?」
「おい、猿……」
 やけに明るい声で差し出されたそれが、涙でゆらゆらと揺れる。
 よく母親が剥いてくれた、うさぎの形をしたリンゴ。反射的に頷けば、あーん、という間延びした声と共に近づいてくる。
「……」
「美味しい?」
「……うん」
 ほんのりしょっぱくて、でも甘い。しゃくしゃくと音をたてながら、かじったそれを食べていると、その様子をニコニコと見守っていた佐助が、不意に呟いた。
「俺様は、泣いてる顔より、笑ってるゆずかちゃんのほうが好きだな」
「……」
「泣きたきゃ泣いてもいいよ。ゆずかちゃんはまだ子供だから。でもね、ずっと泣いてちゃ駄目だ」
 きっと佐助は知っている。武将達が現れる前も、現れた後も。無表情の仮面を被ったゆずかが、心の奥底ではいつだって、泣き続けてきた事を。
「いつかは涙を拭いて、前を見なきゃいけない」
 リンゴを持っていないほうの手で、そぅっと涙を拭ってくれる。
「涙は枯れないんだよ、ゆずかちゃん。そのまま泣き続けたら、いつかきっと溺れちゃうよ?」
 物理的な涙は枯れても。心に降る雨は枯れないのだと佐助は言う。そうして哀しみに暮れる人は、己の涙に足をとられるのだと。
「……わたしも、もう、泣きたくない」
 割りきれない部分はある。この家に暮らしている限り、恐らくいつだって思い出す。だけど、もう自分は独りじゃないと、昨夜ようやく気づけたから。
 いつまでも涙で視界を曇らせていたら、そんな大切な事も知らないままだった。
「ちゃんと、前をむきたい」
 未来なんかわからない。まだそこまでは考えられない。でも、まずはちゃんと現実を受け入れて、本当は自分がこれから一体どうしたいのか、しっかり考えられるように前を向きたい。
「(……己達が、道標となる)」
「コタ兄……」
「(己はいつも、ゆずかの一歩先にいる)」
 きゅっ、と手を握った小太郎が、ゆずかの瞳を真っ直ぐに見つめながら、そう言った。
「そうだな。前を向いて歩きてえなら、まずは俺らの背中を見て歩け」
 どんな時も、自分達はゆずかの前を歩いている。だから彼らの背中を追いかければ、それはちゃんと前に進んでいるということ。
「まぁ、とにかく今は、風邪を治さないとね」
 神妙に頷くゆずかに笑って、いつのまにか止まっていた涙を最後にもう一度だけ拭った。
「早く元気になってよ、ね?」
 自分達と一緒に、未来へと歩いていく為に。


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