虹色の明日へ | ナノ


色の明日へ
18.大嫌いな場所


 真っ赤なランドセルを背負えば、10歳の平均身長よりも低いゆずかの体は、背中がすっぽりと隠れてしまう。
 お気に入りの桜色のスカートをぱたぱたと直して、玄関に集合した武将たちをくるりと振り返った。
「お留守番のおやくそく、ちゃんと覚えてる?」
「無論!その一、外には出てはならぬ!」
「旦那が気をつけるのは、それよりその二、物を壊さない、でしょ?」
「ah、“でんわ”とかいうヤツが鳴っても出るな、だったか」
「誰かが訪ねてきても、ですぞ、政宗様」
「掃除と洗濯は終わらせておく。……何故我がそんなことを……」
「はい、コタ兄。いちばん大切なおやくそくは?」
「(……ゆずかを追いかけない)」
「ん、よくできました」
 ぱちぱちと手を叩けば、小太郎と佐助が不服げに唇を尖らせた。

 ――武将たちと過ごした週末も終わりを告げ、本日は月曜日。
 ゆずかが学校に行く日である。昨日、ホットケーキを全員で食べながら、改めて学校の説明を済ませ、ゆずかが学校に行っている間の過ごし方――いわゆる留守番中の約束事もきちんと決めた。勉学を学ぶことは良い事だ、と、学校という仕組みの素晴らしさに感心していた武将たちも、家の事は心配するな、がんばってこい、とそれぞれゆずかを応援してくれたりなんかしたりして。
 平和な時間を過ごしていたのだ。……夜までは。
「心配しなくてもだいじょうぶだよ。昨日のニュースに出てたような変なひとは、ほんの少ししかいないから」
「けど、ほんの少しかもしれないけど“いる”わけでしょ?」
「(ゆずかを守るのが己の仕事だ)」
「うーん……」
 夜。ニュースを観ていた武将たちは気づいてしまったのだ。
 この世界は、平成という時代は。見せかけの平和を、謳歌している世界なのだと。
 人を殺めようと画策するものがいる。衝動的に人を傷つけるものもいる。外では大量の鉄の塊が走り回り、その他にも様々な危険があるのだと。
 気づいてしまった武将たち……特に佐助や小太郎は、途端にゆずかが学校に行くことに対して難色を示した。
 その事に関しては、小十郎や元就が“自分たちの我が侭で、ゆずかの生活を制限してはならない”と諭してくれたのだけれど。ならばせめて学校まで着いて行かせろ、と、騒ぎ始めた二人との押し問答は、結局夜遅くまで続いたのである。
「とにかく、本当にだいじょうぶだからっ。もう時間だから、いってくるね」
「あ、ちょっとゆずかちゃん!」
「(ゆずか……!)」
「Hey ゆずか!頑張ってこいよ」
「くるまとやらに気をつけよ」
「うんっ、いってきまーす」
 昨日の続きを、ここでしている時間は残念ながらないので、強引に話を切り上げたゆずかは、さっさとドアを開けて家を飛び出したのだった。
「……あーあ、行っちゃった。どうする、風魔」
「(……)」
「ふ、風魔殿!外に出てはならぬでござる!」
「テメェまで出て行こうとしてどうする、真田。それより、テメェは自分の忍を止めろ」
「む、そうでござるな!佐助、お主は大人しくここで待っておれ」
「はいはい。まぁ、旦那に言われちゃ仕方ないか」
 かしかし、と頭をかきながら、ゆずかと風魔が出ていった扉に視線を送る。伝説の忍が、真っ先に言いつけを破るとは思わなかったけれど。
「(それだけ、あの子が大切な存在になりかけてる、ってことか)」
 凍りついた忍の心を溶かす少女。難儀なものだねぇ、と。佐助は人知れず肩をすくめた。


 ゆずかが通うのは、普通の公立小学校である。それはゆずかが住む住宅地のちょうど真ん中にあり、彼女の自宅から徒歩10分もかからない距離にある。
 少々街灯が少ないので、夜は道が暗くなって怖いのだが、それほど治安が悪い場所ではない。佐助や小太郎は心配しすぎなのだ。
「……」
 ただまぁ、実を言うとゆずかはこの学校という場所があまり好きではなかった。人付き合いが下手で、甘え下手で。どちらかというと、周りの級友たちよりも大人びた思考をしている自覚があるゆずかは、どうも学校の雰囲気に馴染めていないのだ。
「お、はよう……」
「……」
 ほら、こうしてクラスに入っても。クラスメイトは自分を遠巻きに眺めるだけで。“異質な存在”を見るような眼を自分に向ける。見世物になったかのような感覚を、毎朝味わうのがとても嫌だった。
「(つまんない……)」
 友達もいないし、話し相手もいない。ゆずかの言葉が普段、少したどたどしくなってしまう原因は、こんなところにもあるのだろう。

「倉橋さん」
 昼休み、教室でボーッとしていれば、後ろから声をかけられた。
 その澄ました声は、ゆずかのクラスを受け持つ担任の女性のもので。無視も出来ずに、しかし無言で、ゆずかは彼女を見上げる。
「あなたも、みんなと一緒にお外で遊びなさい」
「……どうしてですか」
「あなたがいつもいつも独りでここにいると、他の先生方が心配するでしょう?」
 そう言って、困ったように微笑む彼女が、ゆずかは大嫌いだった。
 自らの保身しか考えていない。子供のことなんか、どうでもいいと思ってる。自分が教師としていかに立派で、素晴らしい人間であるか、他人に示すことが生き甲斐で。それを脅かす人間は、たとえ子供でも許しはしない。
 そんな裏側をある時から知ってしまったゆずかは、口に出さずとも彼女を嫌っている。そしてそんな彼女も、クラスに馴染まず、家庭環境にも問題があるゆずかを、少なからず問題児として認識している様子だった。
「……おなかが痛いから、やすんでいるだけ、です」
「なら保健室に行きなさい。とにかく、他人に心配をかけるような真似は……」
「……?」
「倉橋さん?」
 彼女が放つ不快な音を聞き流していたゆずかは、ふいに彼女の後ろにある窓の外を、見覚えのある影が通った気がして、首を傾げた。
 じっ、と目を凝らし、少し離れた場所にある木を凝視していれば。葉と葉の間に、真っ黒な影が見えた気がした。
「っ、外に、行きます」
「え?あ、そう。そうしてくれれば助かるわ」
 安堵の表情を浮かべる彼女を今度こそ無視して、ゆずかは走り出した。ばたばたと音を立てて階段をおり、昇降口で靴を履き替える。
 あれがもしゆずかの見間違いでなければ、慌てる自分の姿もどこかで見ているだろう。
「コタ兄っ」
 周りに人影がない、校舎の裏側までやって来たゆずかは、荒くなった呼吸のまま、その影の名を呼んだ。
 そうすれば、常通りに現れる、風の忍。
「コタ、兄……」
「(……すまない)」
 なんでいるの、とか、どうして来たの、とか。しなければならない問いかけを全部すっ飛ばして、ゆずかは小太郎に抱き着いた。
「(ゆずか?どうした?)」
 まさか抱き着かれるとは思わなかったのだろう、戸惑うような仕草を見せる小太郎に、ゆずかがポツリと呟く。
「あいたかったの」
「……」
「だれでもいいから、みんなに、あいたかった」
 小太郎の服を掴み、ぐす、と鼻を鳴らすゆずかの姿は、小太郎が知るよりもずっと幼く見えた。
「(……この場所は、嫌いか)」
「きらい。……でも、通わないとだめだから」
 小太郎が問えば、簡潔に答えが返ってくる。
「通わなきゃ、お父さんとお母さんが、こまる、から」
 両親がゆずかを放っているからだ、と。彼らが親としてだらしないから、ゆずかがそんな風に育つのだ、と。言われたくはなかった。
 きっとゆずかが学校に行かなくなったところで、両親はそのことにすら気づかないだろうけど、それでも。どんなに辛くても通い続けると決めたのは、ゆずかの意地でもあった。自分のことで、彼らには迷惑をかけない、他人からあれこれ言わせたりしないと。
「(ならば、連れては帰れないな)」
 一度、ぎゅうっとゆずかを強く抱き締めた小太郎は、その体を離して首を振った。
「ん、でも、もうすぐ学校もおわりだから」
「(……家で、待っている。他の奴らも)」
「……ありがと、コタ兄」
 帰りを待ってくれている人がいる。そう言ってくれるだけで、このつまらない時間にも耐えられる気がした。
「今日はゆるしてあげるけど、もう来ちゃだめだよ?」
「(……然し、ゆずかが会いたいと望むなら、己は何度でも来る)」
「あいたいけど、だめ。甘えちゃうから」
 いうなれば、学校はゆずかの戦場なのだ。甘えてはいけない、己ひとりで戦わねばならぬ場所。そう大袈裟にいえば、納得したのか小太郎は小さく頷いた。
「なるべくはやく、帰るからね」
「……(こくり)」
 小太郎が消えてすぐに、昼休みが終わるチャイムが鳴ったのだった。


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