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己の名を呼ぶ声がする。
それは竜の咆哮だった。侵入者の気配を察知して、城内を見回っていた片倉がその場に駆けつけると、腕を組み、白く濁る煙を睨みつけている主の姿があった。
「政宗様、如何なされたのですか!」
「見ての通りだ」
政宗が立ち尽くすその部屋は、神の娘がこの奥州に滞在している間、自由に使え、と片倉が宛がったものだった。
しかし今。この部屋にかの娘の姿は見えず、向かい合わせにぽつんと置き去りにされた座布団だけが、彼女が今のいままで此処にいたことを証明している気がした。
「竜の旦那!何かあったの!?」
片倉が状況を把握したのも束の間、佐助が飛ぶように駆けてくる。忍である彼のことだ、城に侵入した者がいるのにも気づいてるだろう。珍しく表情に焦りが見えた。
「五葉が忍に拐われた。天鵞絨の装束を着た忍だ」
「はあ!?」
「それは真にござるかっ!?」
どたばたと騒がしい足音を鳴らし、佐助に遅れて幸村がたどり着いた。血相を変えて迫る幸村に、政宗は小さな頷きだけを返す。
「……政宗殿も、共におられたのですか」
「Yes。……何だ?俺がついていながらとでも言いてぇのか?」
「斯様な事は申しませぬ」
挑発的ともいえる眼差しに、幸村はゆっくりと首を振る。ただ悔しそうに、肩を震わせた。
「それは、某の言葉。必ず守ると誓ったにもかかわらず、某が勝手に五葉殿から離れてしまったせいで……」
「それを言うなら、俺様だって同じだよ、旦那。いくら奥州とはいえ、五葉ちゃんから目を離すべきじゃなかった」
がつん、と。幸村が壁に拳を叩きつける。普段は飄々としている佐助の表情も、隠しきれない程の怒りに歪んでいて。酷く憤慨している様子だった。
それは果たして、己にか。それとも五葉を拐った忍に対してか。
「……おい、真田幸村」
「……なんでござるか」
「五葉からの伝言だ。ごめんなさい、だとよ」
「は……?」
こちらを見ずに、吐き捨てられた言葉を耳にして、幸村は目を丸くさせた。
謝罪など、自分はされる立場ではないのに。
「アンタに謝っておいてくれ、って、連れて行かれる直前に頼まれたんだよ」
「五葉殿が謝られる事はありませぬ!某が……!」
「Stopだ、真田幸村。それを言う相手は俺じゃねぇ。だろ?」
ひらり、と片手を振り、ようやく身体ごとこちらを向いた政宗は、真っ正面からその隻眼で幸村を射抜いた。
「早く追えよ。ぐずぐずしてると、アイツはもっと遠くへ行くぜ?」
「っ、失礼致す!」
それはきっと、物理的な距離だけではない。心も、同じように離れていくのだ、と。政宗は言外にそう滲ませた。
踵を返した幸村が、みるみるうちに遠ざかっていく。ふと視線をずらせば、佐助の姿もいつのまにか消えていた。
「……小十郎」
「はっ!」
「五葉は奥州を救った恩人だ。アイツは礼は鞘だけで十分だと言っていたが、俺はそうは思わねぇ」
「……この小十郎も、そう思いますれば」
「この青葉城の人間に危害を加えない、という条件で、アイツは忍に捕まった。一度ならず二度までも、救われてばかりじゃ竜が廃ると思わねぇか?」
獰猛に笑った政宗は、組んでいた腕をほどいて、全てわかっているかのように顔を引き締めた小十郎に視線を送る。
「黒脛巾組をすぐに動かせ。この城に侵入者を許した仕置きの分も兼ねて、全力で五葉を捜し出させろ」
「御意にございます」
左目を細め、政宗はもう一度だけ部屋を振り返る。
「俺のFriendを、そう易々とくれてやる訳にはいかねぇんだよ」
視界を奪った煙はもう、何処かに消えてなくなった。
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