雪月歌 | ナノ



 犬を拾いました。
 白銀の毛並みが美しいその犬は、私がコンビニに出掛けていた隙に、どうやってか我が家に侵入していたようで。
 リビングで犬と出逢った私は、いきなりソイツに飛びかかられて、あえなく床に転がったのです。
「貴様、何処の間者だ!私をどうやってここに連れて来た!」
 私の上にまたがって、キャンキャンと吼えるその犬の目には、明らかな不安の色がにじんでいました。
 ずいぶんとまあ、切れ味鋭そうな爪を喉元にあてがって。射殺すような視線を寄越す、ソイツの爪が、堪えきれずに震えていたのを、残念ながら私は見逃しませんでした。
「……ここは私の家だから。なにも不安になることはないし、キミを傷つける人は誰もいないよ」
「なに……っ!?」
 だから大丈夫だと。囁いた言葉が犬に伝わったのかは定かではありませんが、ソイツはハッと息を飲んで、あてがっていた爪をそっと外しました。
「妙な真似をすれば、その首、即刻叩き落としてやる!」
「はいはい」
 適当に返事をして、私は犬に飛びかかれた際に落とした荷物を拾います。そうしてキッチンへと姿を消せば、犬も気になるのかついてきました。
「なんだ、それは」
「これは牛乳。飲み物だよ」
 犬に与えるならばまずはミルクでしょう、と。心の中だけで呟きます。
 そうしてリビングのテーブルに、向かい合って腰を下ろした私達は、ようやく少し落ち着いて、会話を交わし始めたのです。

 犬は、自らを石田三成だと名乗りました。三成が言うには、なんとあの有名な戦国武将、石田三成ご本人だということですが。禿げてもいなければちょんまげもないので、きっと何かの間違いなのでしょう。
「おい、貴様、何を呆けている」
「いいえ、別に」
 なにがなんやら。真面目に平穏に暮らしてきた私には、三成の語る話は少々ついていけないものでしたが、事実は小説より奇なり。広い世界の中では、時折こんなこともおこるものです。
「なら、一緒に住みますか」
「な、んだと?」
「行く宛がないなら、ここにいなさい」
 私は本当に、三成を捨てられた犬かなにかだと勘違いしていたのでしょう。
 世界に棄てられた、可哀想な野良犬。牙を剥くのは寂しいから、爪を出すのは怖いから。自分の身を守る為に、必死な三成が、私には雨の中で震える子犬にみえて仕方がなかったのです。

 その日から、私と三成の奇妙な共同生活が始まりました。三成はすぐに怒るし、最初は警戒してばかりで、何度も何度も、その恐ろしく鋭い爪でグサリといかされそうになりましたが、それも一月も経てば、徐々にその回数は減っていきました。
「三成、ご飯だよ。たんとお食べ」
「貴様……っ、何度も言うが、私に対して犬かなにかと同じように接するのはやめろ!」
「はいはい」
「聞いているのか!」
「うんうん。三成は今日も元気だね」
「貴様あああぁっ!」
 そんな真っ赤な顔で怒鳴られたって、全然怖くなんかないのに。私が無視して食事の席につくと、三成も観念したように椅子にどかりと腰を下ろしました。
「名前」
「は?」
「名前を呼んでくれたら、三成を犬扱いするのはやめるよ」
 貴様だの、おい、だの。キミがそうして吼えるから、私だって意地を張りたくなるのだ。
「三成は、人間だと思ってるよ」
「阿呆か貴様は。私が人間以外の何に見えると言うのだ」
「子犬?」
「それは貴様の妄想だろう!!」
「三成、食事中は静かにね」
 ぐ、と言葉を詰まらせる三成は、こう見えて意外と素直なのです。忠誠心が強いっていうか。衣食住のすべてを、今は私に世話になっているから、という自覚が、少しずつ芽生えてきたのでしょうけど。

「……千歳」
「なにかな三成」
 黙々と食事をすすめて、おかずをほぼ食べ尽くした頃。三成が不意に小さく、私の名前を呼んできました。
 それはもう、よく聴いていないと逃してしまうほど小さな声だったけど。嬉しくて嬉しくて、笑顔になりそうな口元を我慢して、三成に視線を向けました。
「……ずっと、訊きたかった事がある」
「うん」
「何故、私を拾った」
 犬だなんだというやり取りが頭に残っているのか、“拾われた”などと、自らを称する三成に驚きながら、私は事もなげに答えました。
「深い意味はないよ。三成を住まわせたのは、物凄く単純な理由」
「……それは、何だ」
「聞きたい?」
「ああ」
「じゃあ、三成が犬から人間になれた記念に教えてあげる」
 にっこり。微笑んだ私は、チラチラとこちらを見てくる三成に、答えを教えてあげることにしました。
「好きだからだよ」

 捨てられた犬のように、怯えて牙を剥くキミが。時折、その綺麗な瞳によぎる、絶望の色が。あの日、爪をたてて、私の上で震えていたキミと出逢った瞬間に。
「好きになっちゃったから」


飼い殺しの運命


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