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 接吻



フランツ・グリルパルツァーの「接吻」より。


『手の上ならば尊敬のキス』

「この手は命を掬いあげるんだよ」
柔らかく、啄むように手の甲に唇が落ちた。
掴みきれなかった命がある。隙間から零れ落ちていった命がある。
「俺を導いてくれてる手、なんだよ」
かさついた、ふしくれだった男の手。
「お前も同じ手になってきたやん」
そう言うと子供のように笑った。

二人だけの海の底の夜。



『額の上ならば友情のキス』

「男同士ならサムイだけやん」
画面には少年達の別れのシーン。旅立つ少年が汽車の窓から友の額に口づけを贈っていた。
「ほっぺの方がまだ違和感ないですねー」
美しいだけの光景。
「日本人にはわからん感覚や」

ざっくりと言い放ちビールを空けた二十二時の二人。



『頬の上ならば厚意のキス』

今日は三隊で海保のイベントに参加中。
しゃがみこみ、声を圧し殺して泣く子供を見つけた。
ひょい!と抱き上げ泣き止むのを待ち迷子の放送をかける。
「すぐお母ちゃんくるからな」
そう声を掛けると心細いのか、しがみつく腕に力が入る。
程なく再会した母親がその子に「ほら、お兄ちゃんにお礼は?」と促せば。
一生懸命伸びた腕に引き寄せられて柔らかい感触が頬に触れた。
「まぁ!」「あはは!おマセさんやな自分!」
母親は頬を染めたが嶋本は鷹揚に笑った。
「あったかい家庭で育ってるちゅーことですわ」

若干一名複雑な顔をしている。ああ、宥めるんが大変やなと覚悟を決めた午後。



『唇の上ならば愛情のキス』

「言葉が欲しいときもあるんです」女々しいとはわかっているけれど。
けれどこの人はひょい、と眉を動かし悪い顔で笑った。
「じゃあこれはお前には伝わっとらんのやな」軽く重ねるだけの唇。
「ずるい」どんなに悪い顔しても、澄ました顔しても。
キスとして、その唇をあわせてくれるその意味を感じれない程鈍くない。
「俺、バカなオンナみたい」「オンナがバカなんやないわ」
俺に惚れるお前がバカなんや。そう呟いて重なった冷えた唇。
「そんなお前が大事な俺もバカやけどな」

どんなにツレナイ態度でもキスは嘘をつけない、そんな二人の午前一時



『瞼の上ならば憧憬のキス』

その眼はいつも前を見据えている。迷いながら。躊躇いながら。
時には≪うしろ≫を振り返りながら。
だけど、決して諦めない。あの時の後悔を二度と繰り返さない為にも。

だから、いつか。
この眼と同じ位置に来たい。同じモノを見たい。共に生きていく為に。

その瞳の強さを自分にも欲して。眠る瞼に口付けた午前三時。



『掌の上ならば懇願のキス』

ほら。いつもの「ヨユーっす!」はどうしたんかい!
書類溜まってんで、サボってる場合やないで!
お前が静かやと何か調子狂うねん。あ、でもいつもはやかましすぎやで。

呟きに声は返ってこない。

鼻の下や腕に繋がれた透明な管達が煩わしい。電子音が動いてる心臓を知らしめる。
何も繋がっていない右手に呟きを落とす。「はよ起きんかい」

かたちのないものに奪ってくれるな、と祈る静かな夜。



『腕と首ならば欲望のキス』

どくんどくんと脈打つその鼓動を唇で確かめる。
顔を固定していた腕をとられ手首を優しく唇でなぞられる。
「唇って皮膚が薄い分、感覚が一番敏感なんだって」
「だから?」「だからキスするってのはどう?」
その返しは気に入った。生きてることを確かめあう。その鼓動を確かめあう。

お互いの鼓動を唇で感じあう午前二時。


世間の「常識」から外れてることは承知の上。悲しませる人も居るのも承知の上。

それでも。

その内腿に。腰骨に。腹に。唇を這わすことに躊躇いはない。
この人を失うのが何より怖ろしい。こいつを失くすことが何より怖ろしい。
互いが唯一。互いが全て。
頭で理解するより本能がそう叫び求める。


この絶望的な幸福を。あなたの、お前の、心臓に届けたい。


その背中に、欲望の証に、そして胸に唇をおとす二人のやさしい夜。




『手の上ならば尊敬のキス
 額の上ならば友情のキス
 頬の上ならば厚意のキス
 唇の上ならば愛情のキス
 瞼の上ならば憧憬のキス
 掌の上ならば懇願のキス
 腕と首ならば欲望のキス

 さてそのほかは、みな狂気の沙汰』




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