DOG | ナノ


▼ 07

だけどこいつがそんな賢い人間だったら、きっと今の俺はここにはいない。

馬鹿で、鈍感で、人の言葉の裏を読めないような、そういう奴だから。

「理解力の足りねぇお前のために、噛み砕いて説明してやる」

市之宮の声を頭の中で繰り返し再生させる。

――徹平は先生の特別だ。

――そうかもしれない。そうなのかもしれない。

「特別だって、そう言ってるんだ」

認めたくは、ないけれど。

「お前を俺の特別にしてやる」

沢山あったはずの逃げ道が潰されていくのは、こんなときだ。曖昧なままにしておきたいのに、どうせなら目を逸らしておきたいのに、この男はそうさせてくれない。

いつの間にか人の気持ちを引きずり出してきて、「見ろ」と突き付けてくる。しかも無自覚にだから余計に性質が悪い。

特別、と九条が口の中で俺の言葉を反芻した。

「そう。特別だ。意味はわかるな?」
「特別…って、特別?あの特別?」
「…」

何度も言うな。他にどの特別がある。

「…俺、先生の特別?」

九条は恐る恐るこちらを窺うように見上げてくる。その姿はさながら飼い主の機嫌をとろうとしている犬そのものだ。思わず笑ってしまいそうになるのを堪えた。

「知らん。一度しか言わないって先に言っただろうが」
「へへ…そっか、うん、はは」

冷たく突っぱねたはずだが、九条は嬉しそうに表情を綻ばせておかしな笑い声をあげる。

「気持ち悪い声を出すな」
「だってすげぇうれしくて、やべ、にやけるのとまんねー」
「…」

うぜぇ。

それにしても、このクソ暑い中何が楽しくていつまでも男二人で密着していなければならない。体操着の襟を掴んで引き剥がそうとするも、余計に強くしがみ付いてくる。

「退け」
「やだ」
「退け」
「いやだ!」

つーかこいつも体操着汚れてんじゃないか。そんな汚い格好で俺にくっつくな。

「先生、一個だけでいいから俺のお願い聞いて」
「あ?」
「さっきの、もう一回」
「は?」
「だからぁ…ちゅーだよちゅー!」

こいつ…。

人がちょっと優しくしてやった途端、味をしめて調子に乗ってやがる。

「気持ち悪いから嫌だ」
「なんで気持ち悪いんだよ!」
「お前が気持ち悪いんだよ」
「気持ち悪いと思ってる相手にあんなちゅーすんのか」
「なんだあんなちゅーって」
「超優しかった」
「それは俺のテクの話だろ」
「テクとかじゃねぇの!気持ちの問題!」
「大して経験も無いくせに一人前にキスを語ってんじゃねぇよ。別に気持ちなんか込めてない」
「ウソだな!俺にはわかる!センセー俺のこと本当は好…」

ガッと勢いよく足を払ってやると、身構えもしていなかった九条の身体はその場に倒れた。ざまぁみろ。

「痛…ってぇ!!いきなり転ばすことねーだろ!!」
「それ以上ふざけたことぬかすなら、次は顔面パンチな」
「…照れ隠し?」
「あ゛?」
「いやごめんうそ!!ごめんなさ…っ」

慌てる奴の前にしゃがみこみ、またキスをする。わざと音を立てて二、三度口付けてから唇を離すと、九条は自分から言い出したにもかかわらず頬を染めて視線を逸らした。

「し、してくれるんじゃん…」
「また泣かれたら鬱陶しいからな」
「…えへ」

九条が腕を伸ばして俺の首に絡め、ちゅっと同じように軽くキスをしてくる。許可も無しに勝手に触るなとはもう言わなかった。言っても無駄だ。

「俺だけって、ほんと?俺としかこんなことしない?」
「俺はお前と違って嘘なんか吐かない」
「う…そんなに俺に嫌いって言われるのいやだったのかよ」
「自惚れてんじゃねーよ。ムカついただけだ」

まるで俺がお前に好意を持っているかのような言い方はやめろ。

「まぁなんでもいいや」

よくねぇよ。

九条は首に絡ませた腕に少しだけ力を込め、床に座ったままぺたりと俺の身体にくっついてきた。

「先生の特別になれて嬉しい」
「…あっそ。良かったな」
「大好き」
「もう喋るなお前」

あと早く離れろ。汗臭ぇし暑いし不快通り越してぶん殴りたくなるレベルだ。

眉間に皺を寄せてそう言うと、九条は泣き腫らした顔で「ひでぇ」と笑った。物凄く不細工だった。

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