DOG | ナノ


▼ 01

9月に入ったとはいえ、まだまだ日差しは夏のままだ。所謂残暑というやつだろう。

――こんな時期に体育祭なんてするんじゃねぇよ。しかも練習とか。金持ち校のくせに変なところ張り切りやがって。

連日続く予行練習とやらに、俺の苛々は募っていく一方である。暑いのは嫌いだ。寒いのも嫌いだが。

「あっつ…」

何もしていなくても自然と汗が滲み出てくる。じりじりと照り付ける日差しを少しでも避けようと日陰を探していると、不審な人物がそこにはいた。

「…不審者?」

大きな日傘。つばの広い帽子にサングラス。露出している部分が一つも見当たらない。これを不審者と言わずしてなんと言うのだろう。口の中で呟くと、その不審者はすごい勢いでこっちを見てきた。

「失礼なことを言わないでくださいますか、藤城先生」
「あぁ、中津川先生でしたか。どこぞの犯罪者かと」
「日焼けしたくないんです!」
「女性は大変ですね」
「セクハラですか。そっちがその気なら出るとこ出ますよ?」
「お前にセクハラするほど飢えてねぇよ」

つか退け。俺も入らせろ。手だけでそうジェスチャーすると、中津川は渋々といった様子でスペースを空ける。

「…暑ぃ」
「そんなことはわかっています」
「これ俺ら見てる必要あんのか」

校庭に散らばる白い体操服を着た沢山の生徒たちを眺め、俺はまた汗を拭った。現在授業は無し。教師も生徒も総動員でこの炎天下の中何時間も放り出されている。

これも職務の一環ということは理解できるが、こんなことなら何時間連続でも構わないから授業をやっていた方が数倍マシだ。

「体育祭に怪我は付き物ですからね。しっかり監視しておかないと。後々家庭からクレームを受けることになるのは私たちなのですから、生徒の監視は回り回って私たち教師のためになっているというわけです」
「んなことはわかってんだよ。つか暑いのによくそんな恰好でべらべら話せるな」
「こんなに堂々と九条くんを見られるチャンスはそうそうありませんから。むしろ普段より万全の体調で臨んでいるつもりです」

あぁそうか。そうだった。この女はそういう奴だった。

九条はテントの下でしゃがみこみ、棒切れか何かで砂に落書きをしている。その横に市之宮が立っていて、九条の描いた絵を覗き込んで笑っていた。――ガキめ。

「茹だるような暑さの中で煌々と輝く白い肌…今日も九条くんは天使です」
「どこが天使だよ。ガキくせーことばっかしやがって」
「…」
「…何」
「貴方、九条くんが見えるんですか?」

中津川は(大きなサングラスのせいで表情はわからなかったが)訝し気な様子で俺の顔を見る。

そりゃ見えるに決まってるだろ。なんだ、あいつは幽霊かなにかか。全くもって面白くも無い冗談だ。

「そうではなくて、こんなにたくさんの生徒たちがいる中で九条くんを見分けられるなんて、という意味です」
「はぁ?」
「もちろん私は、どんなに姿が変わってもあの子のことをすぐに見つけられる自信がありますが…でも、藤城先生は違うでしょう。私とは違う」
「何が言いたい」
「えぇと、ですからつまり…」

中津川は一呼吸おいて、呆れたような口調でこう言った。

「貴方、九条くんのこと普段から見てるんじゃありませんか?」
「見てねぇよ」

勝手に人の行動を変な方向に解釈するな。迷惑だ。

「素直じゃありませんね」
「お前は余程ぶん殴られたいらしいな」
「意固地な男ほど醜いものはありませ…ちょっと!」

ムカついたのでその帽子のつばを思いっきり下に引っ張ってやると、中津川は周りに聞こえないようにか小さな声で文句をつらつらと並べ立てる。

「なにするんですか!セクハラですよ!」

美人で優しい女教師、という仮面が剥がれないように気を遣っているらしい。俺の前ではもう完全に本性を曝け出してはいるが、一応その辺りに注意を払うことは怠っていないようだ。

「あーうるせぇ。俺は騒がしい女は嫌いだ」
「別に藤城先生に好かれる必要はありません。むしろ好かれたくありません。おぞましい」

化けの皮が剥がれてしまえばいいのに、と思いながらまた一度汗を拭った。

――見ているのか。俺は。こんな遠くからでも見つけてしまう程に。

もしその通りだとしても、それはきっとこの暑さのせいだと思う。そう思わなきゃやっていられない。頭がおかしくなりそうだ。



それから数時間後に予行演習は終了し、ようやく灼熱地獄とも呼べる状況から解放された。練習で使った用具や設備を生徒と協力して片づける。

「…と、大丈夫か」

すみません、とぶつかって来た女生徒が慌てて頭を下げた。さすがに女子に怒りをぶつけるほど狭量ではないので、俺はにこりと優しく微笑んだ。

「今日は疲れただろう。しっかり休みなさい。これは俺が代わりに片しておくから」
「あ、ありがとうございます…!」
「体育倉庫でいいのか?」
「はい。鍵は開いてると思うので」
「わかった。お疲れ様」

その生徒が持っていたハードルを受け取る。結構な重量感があった。さすがにこれを女子に片づけさせるのはどうなんだ。金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんは非力だろうに、と思いながら体育倉庫へと向かう。

行き交う生徒たちは今日一日で日焼けしたのか、顔が皆どことなく赤い。また白い体操着は少し土で汚れていた。まぁ勉強勉強ばっかじゃ面白くないだろうし、たまにはこういう行事があるのもいいのかもしれない。

「先生」

ふと呼ばれて後ろを振り返る。そこにあったのは、未だ見慣れぬ生徒の姿だった。

「…市之宮」
「体育倉庫ですか」
「あぁ」
「俺も今から行くところなんで」

ご一緒してもいいですか、と尋ねられ、特に断る理由も無かった俺は内心渋々頷く。面倒な奴に捕まってしまった。

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