▼ 13
――まさか、まさかとは思うが、俺は今こいつのことを「可愛い」などと思っているのではなかろうか。
この胸のざわつきは、そういうことなんじゃなかろうか。
「んん……」
指の腹で軽くそのニキビを撫でてみる。九条の眉間に皺が寄る。その様子を見ながら、自分の口元が緩くなっているのに気がついた。
まさか、じゃない。
こんなおいしいシチュエーションで眠りやがるし、おでこに吹き出物はあるし、とんだお子様である。能天気な坊ちゃんである。クソガキである。
そんなクソガキを、俺は。
「……」
そういえば、と昨日の晩に九条が言っていたことが頭の中に浮かんでくる。
枕元にある九条のスマートフォンを手にとると、液晶が明るくなってロック画面が現れた。以前、パスコードさえかけていなかったのを馬鹿かと叱ったのを覚えている。俺とのやりとりを誰かに発見されたらどうするつもりかと。
試しに思い当たる番号四桁を打ち込んでみると、案の定ロック画面から待ち受け画面に移動する。
――定期的にパスを変えろと言っただろうがアホめ。いつまで俺の誕生日にしてるつもりだ。というか俺の誕生日もやめろ。頭の軽いカップルみたいだろうが。
他人の携帯の中身を覗く趣味はないので一旦電源ボタンを押し、再びロック画面を開く。そしてそのままカメラアプリを起動させた。
カシャ、と部屋に機械音が響く。撮れた写真の中の九条はやっぱりアホ面で、その横には仏頂面の俺が並んで寝っ転がっている。思い出というよりはなんだかよくわからない写真になってしまっているが、まぁいい。
――先生と一緒に写真撮りたい。
こいつが起きて、この写真に気が付いたときの反応は想像に難くない。俺が撮りたかったのはこういうのじゃない、とか、もう一回撮って、とか。文句ばっかりだ。
そして俺はきっとこう言うのだ。撮りたきゃいくらでも撮れと。好きなようにしろと。
これから先、時間なんていくらでもあるのだから、と。
*
「せ、先生!」
次の日、朝食を終えた後に旅館の広間で生徒たちを集合させ、最後の点呼をとっているときに九条が慌てた様子でこちらにやってくる。
「ああ、おはよう。昨日はちゃんと眠れたか」
「眠れたけど、ちがくて、今はそうじゃなくて」
「何慌ててるんだ。今点呼とってるんだから、早く列に戻りなさい」
「すぐ戻る!その前にこれ」
九条は紙袋を目の前に差し出した。
「お土産!」
「お土産?」
何故旅行に同行していた俺にお土産を買うんだ。差し出された紙袋を見ても、お店の名前が入っているだけで中身がわからない。
「何だ、これ」
「合鴨お鍋セット……」
「合鴨お鍋セット」
「すきやきの方がよかった?」
「いや別にどっちでもいいけど……」
「それ、4人前だし、賞味期限もすぐだし、多分先生一人じゃ食べきれないかもしれないから」
言いにくそうに口ごもる九条を前に、すぐに合点がいった。
――そういうことか。無い頭でちょっとはうまいこと考えたじゃないか。
その誘い方は、嫌いじゃない。
「……だから?」
「だからっ」
「いい。わかってる」
一緒に食べようってことだろ。
「ありがとうな」
そう言いながら受け取ると、九条は今度はごそごそとポケットから何かを取り出す。携帯だった。
「俺も、ありがと」
どうやら昨日の写真に気が付いたらしい。文句を言うかと思いきや、九条はにこにこと満面の笑みで嬉しそうにしている。俺の予想は大幅に外れてしまった。
――あんな写真一つで喜ぶなら、もっと早く。
「……九条」
「え?」
今日の夜、電話する。
ポンと肩に手を置き、聞こえないように耳元で囁いた。九条は小さく頷き、にやけそうなのを我慢しているのか、両頬を手のひらで押さえながら早足で戻っていった。馬鹿め。
「藤城先生」
それから少し経って、丁度点呼が終了した頃、学年主任が話しかけてくる。
「四泊五日、無事に乗り越えられそうですね」
「ええ。あとは無事に生徒たちを送り届けるだけですね」
「長い時間お疲れ様でした。ありがとうございました」
「いやいや、僕の方こそいろいろ学ばされる機会の多い旅行でした。いい経験になりました」
「それは良かった」
綺麗に整列した生徒たちを見やり、彼は目を細める。その視線の先には、楽しそうに笑う生徒たちの姿があった。
「大変なことの方が多いですが、やっぱり生徒たちのこの顔を見ていると、頑張ってきたことが報われた気持ちになりますね」
「そうですね。この旅行がたくさんあるうちの思い出の一つになってくれればいいと、僕もそう思います」
「思い出、ですか」
彼はまた俺に視線を戻すと、優しい笑顔のまま問いかけてきた。
「どうですか。藤城先生は思い出、できましたか」
――思い出か。思い出。
つくろうとしていたわけじゃない。だけどそう言われると、「思い出」という括りで頭に浮かんでくる出来事は沢山あった。
――先生と一緒にいたっていう記憶が欲しい。
「ええ。それはもう、数えきれないほど」
そんな記憶、これからいくつだってくれてやる。
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