▼ 07
「…知らないなら教えてやる」
驚いて固まっている九条に囁いた。
「まだ帰りたくないっていうのは、まだ貴方と過ごしたい…つまりセックスしましょうって意味なんだよ」
九条は目をひん剥いた。
「は、はぁ…!?なんでそうなるんだよ!!」
「常識だ。覚えとけ」
「俺はそんなの常識だとは認めねぇ!」
「お前が認めなくても世間では常識になる」
「お、俺はそんなつもりで言ったんじゃ…」
「はいはい。わかってるっつの。俺だって本気で今日お前を抱こうなんざ考えてるわけじゃねぇよ」
「…」
また奴の頬に紅が走る。今度は何だ。
「…あの、さ…俺と先生って、恋人…でいいんだよな?」
「改めて確認するんじゃねぇよ気持ち悪い」
「気持ち悪いって言うなよ!!こ…こい、恋人に!!」
「調子に乗るな」
「乗る!!超乗る!!」
「いいから言いたいことをはっきり簡潔に言え」
「いたたたた」
いろいろうるさいので鼻の頭を摘んで引っ張ってやる。結構な力を込めたので、手を離すと九条の顔は頬だけでなく鼻まで赤く染まっていた。おもしろい。
「で、なんだよ。恋人同士だからなんだって?」
「お、俺と…せっ、せ、せっくす、してくれんのかよ」
「したいのか?」
「…先生は?」
「…」
答えないでいると、九条は拗ねたように目線を俺の顔から逸らす。
「都合の悪い質問にはすぐ黙るよなアンタ」
――悪かったな。
「んむ…っ、ぅ、ちょ、何…」
邪魔な眼鏡を外して、今度は深く口付ける。
「ん…っん、んぅ、ぁ…っ!」
無理矢理唇をこじ開けて舌を滑り込ませ、口内をじっくり舐めるように愛撫してやると、すぐに身体から力が抜けた。控えめにおずおずと向こうからも舌を伸ばしてくるので、素直にそれを絡めとってやる。
「は…っ、ぁ、んん、ん、ふ…」
九条の手が俺の肩を握り、キスが深くなる度にぐっと力が込められた。瞳を開けてその顔を見ると、きつく閉じられた瞼にじわりと涙が滲んでいた。このくらいで泣くなよ、と思ったが多分生理的なものなのだろう。
「ん、く…っぷは、あ、きゅ、急に、何を…」
「…無理だろ?」
唇を少しだけ離し、額を合わせたまま呟く。
「え…無理って…?」
九条ははぁはぁと息を乱しつつ聞き返してきた。
「親御さんだって心配するし、なにより俺は教師だ。朝までお前を連れ回すことはできない」
無理だっていうのは、そういう意味だ。
「そっ、それなら、平気だから」
「は?」
何が平気だ。
「俺、今日司と遊ぶことになってて…ちゃんと口裏合わせて、アリバイっつうか…司の家に泊まることになっててるから」
「…市之宮が?」
頭に浮かぶのはまず「どうして」という純粋な疑問だった。
市之宮は九条のことが好きなはずなのに、どうしてそんな真似をする?
先日、体育祭の最中のことだ。奴は「諦めたわけじゃない」と言った。俺はちゃんとこの耳で聞いた。あいつがずっと好きだった九条のことを、そう簡単に俺に明け渡したりはしないはずだ。
「なんで市之宮がアリバイ工作に手を貸すんだよ。おかしいだろ」
「いや、俺もおかしいって思うけど…でも司しか頼めるやついねーし、ダメ元で聞いてみたら徹平のお願いを俺が聞かないわけないでしょって笑ってたし…」
「…」
「…あいつは嘘吐いたり約束を破ったりする奴じゃねーよ」
いや市之宮はお前に大きな嘘をひとつ吐いているぞ、という言葉をぐっと飲み込む。
市之宮が好きなのは俺ではなく九条だということを知っているのは俺だけだ。本人のいないところで俺がその事実を九条に伝えるのはフェアじゃないし、そういうやり口は個人的には好きではない。
それに、九条の言う通り、市之宮は本当に人を裏切るようなことはしないはずだ。少なくとも、九条が傷付くようなことは絶対にしない。俺は奴について多くを知っているわけではないが、あいつの九条に対する思いが本物であることは知っている。
「…お前、最初から期待してんじゃねぇよ」
ぼふ、と沸騰しそうな勢いで九条が赤面した。
「わ、悪いかよっ!!だって先生がデートしてくれるとかこの先ないかもしれないし、時間気にしないで一緒にいたいって思うのが普通だろっ!!」
「別に悪いなんて言ってない」
「ん…っ」
ちゅ、と唇を塞ぐ。
市之宮が一体どんな気持ちで九条のこの頼みとやらを聞いたかは知らない。それに、もしそのことを気にかけて俺が遠慮なんてしようものなら、それこそあいつはもっと屈辱に思うだろう。
と、すれば。
「…お前の誘い、乗ってやるよ」
――まだ帰りたくない、だっけ?
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