▼ 05
おあずけをくらった犬の気持ちが、今ならよくわかる。どうして、と言いたげな小山の顔を見て、津々見は満足そうな表情を浮かべた。
「忘れてたよ」
「…忘れてた?」
「風邪、うつすわけにはいかないからね」
「あ…」
そういえば、そうだった。津々見にそう言われて思い出す。そもそも自分が今ここにいるのも、彼の風邪が理由だった。
――でも。
「やめないで」
離れようとする津々見の手を掴む。
「…うつしても、いいです」
違う。そうじゃない。うつしてもいいだなんて、そんな生温いものじゃない。自分が望んでいることは――もっと、直截的な。
「ごめんなさい、津々見さん、体調悪いのに…でも俺…」
このまま帰って、自分の家で、部屋で、普通の顔なんてしていられない。
「俺が全部します、津々見さんは何もしなくていいです…っだから」
一人でこの熱をどうにかすることなんて、できない。
「抱いて、ください」
他に何も入る隙がなくなってしまうくらい、この人のことを考えたい。いっぱいになって、満たされて、溺れてみたい。少し前の小山が思っていたことだ。
「うつして。俺に、全部ください…風邪なんか、熱なんか、どうだっていいから」
――そんなこと、もう願う必要はない。
だって既に自分の中は津々見でいっぱいで、満たされるどころか溢れだしてしまっている。好きだ、好きだ好きだ好きだ。痛いくらいに胸が疼いて仕方ない。
「抱かれたいです、津々見さんに…ごめんなさい、俺、我慢できなくてごめんなさい、でも駄目なんです、もう抱かれたくって仕方ないんです…っ」
「…俺が欲しい?」
「欲しい…欲しいです」
「どうして?」
社員旅行のとき、同じ質問をされた。あのときは確か、もっと近づきたいから、と答えたはずだ。
もっと近づけば、自分の気持ちがわかるのではないかと思った。もう少し手を伸ばせば、曖昧なままの彼への思いをはっきりさせることができるのではないかと考えた。
「津々見さんが好きだから」
――そうして今、ようやく手にした答えは、たった一つだった。
「津々見さんしかいらない…っ俺に津々見さんを独り占めさせてくださ…」
言い終わる前に掴んだ腕ごと引き寄せられる。
「…そう言わせたくてわざとキスを寸止めしたって言ったら、怒る?」
至近距離で甘く見つめられ、声が震えた。早く、早く、早く。胸の奥底から欲が湧き上がってくる。
「お、怒りませんから…させて、ください」
「知らないよ?」
薄く笑った津々見が小山の口を塞いだ。熱い唇の感触に全身が歓喜する。
「ん、んん…っ、あ、ん、ん…」
もっと、もっと、もっと。もっとされたい。
貪るような口付けを交わしながら、必死で津々見の身体に縋り付いた。強く腰を引き寄せられ、それだけでびくびくと背中が反る。
「はぁ、あ…っもっと、ん、もっ…と、んん、ふぁ」
舌だけでなく唾液を絡ませ合うようなキス。脳の中が溶けてしまいそうで、ただ「気持ちいい」しか考えられなくなる。
「ん…もっとって…」
ちゅ、と濡れた音を立てて唇が離された。
「小山が全部してくれるんじゃないの…?」
津々見が吐息混じりに尋ねてくる。なんてやらしい顔をするんだろう、と小山は内心うっとりとその顔を見つめた。
この人のこの甘い瞳が、自分だけを見てくれている。この人の甘い声が、自分の名前を呼んでくれる。この人の柔らかな唇が、自分だけにキスをしてくれる。そのことにたまらない高揚感を抱いた。
「どんな風にしてくれるの?」
「…えっと、ま、まずは…」
ベッドから一旦下りて彼の足元に跪くと、こちらの意図がわかったらしい津々見が楽しそうに言った。
「舐めてくれるんだ?」
「社員旅行のとき、ちゃんと最後までできなかったので…」
「…それ俺の傷口抉ってるからね」
「そういうつもりじゃないです。それに」
「それに?」
あの旅行であのまま身体を繋げなかったことは、今となっては正解だったと小山は思っている。
「…俺はあのとき貴方が逆上せてくれて良かった、と思いますけど」
「そう…どうして?」
「あのときはまだ、自分の気持ちを見つけていないままでしたから」
気持ちが通じ合った今こそが、冠たる最上のタイミングなのではないだろうか。なんて、ちょっと気恥ずかしいことを言ってしまった。
「そうかもしれないね」
津々見が小山の髪を撫でる。それに促されるように、そっと彼の部屋着のズボンに手をかけた。
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