▼ 04
どこが好きかと尋ねた小山に、彼は小山の全部が好きだと答えたのだ。
ぞくぞくぞくっと痺れのようなものが全身に広がっていく。先程も感じたこの刺激は、なんだろう。
密着した身体から伝わるのは、いつもよりも高い津々見の体温。熱いのは、風邪のせいか、それとも。
「好きだよ。全部俺のものにしたい。誰にも渡したくない。…もちろん、彼にも」
津々見の言う「彼」が、誰なのかは、聞かなくとも理解できた。
「彼」を思い出すとまだ胸が痛むのは確かだ。だけど変わったのは、「彼」のことを自分を縛りつける枷だとは思わなくなったことだ。
それこれも全て、目の前にいるこの男のおかげだった。
「愛してるんだ、小山のこと」
「う…」
「俺は小山の全てを受け止めるよ。どれだけの人間に抱かれてようと、どれだけセックスが大好きな淫乱であろうと、それが小山なんだから。俺のだけのものになってくれるなら、全部許してあげる」
耳元で囁かれる告白の言葉に、小山の唇からは息が漏れた。
抱きしめる腕の力がどんどん強くなり、それに比例して呼吸が苦しくなる。
苦しい。助けて。おかしくなりそう。頭の先から爪先まで、全部が彼に支配されているみたいだ。
返事ができないままの小山に、津々見が尋ねた。
「俺のこと軽蔑した?気持ち悪いって思った?」
それは、貴方の方じゃないんですか。小山は心の中でそう問う。
津々見が自分のことを軽蔑することはあっても、自分が津々見を軽蔑するなんて、思いつきもしなかった。
「…そんなこと、思いません…」
ふるふると首を横に振りながら辛うじて返答すると、津々見はほっとしたように腕の力を抜いた。
軽蔑なんてしない。そうだ。答えは最初から決まっているじゃないか。軽蔑するようなことは何一つされていない。この人は、ずっと前から自分を見ていてくれただけなんだ。
「俺が一番小山を愛しているんだ」
「津々見、さん…」
「ねぇ、いいでしょ?ずっと前から…もう、ずっと、ずっとだよ。俺はずっと小山だけを見てるのに、小山はいつになったら俺だけを見てくれるの?」
ねぇ、と津々見が問いかけながら小山の目を見た。見慣れたはずの彼の瞳に、見たことも無い熱が浮かんでいた。
――ずっと、前、から。
じゃあ、あのときも。あのときも。あのときも。全部全部。
津々見はずっと、自分を見ていた。
この瞳が、ずっと、俺の姿を。俺が知らない間も、ずっと。
――見られてた。
「…っ」
ぶわ、と何かが身体の奥底で弾ける。途端に全身が滾ったように熱くなり、あらゆるところから汗が噴き出してきた。
「小山?」
津々見の肩を強く掴んで引き離す。不思議そうに名前を呼ばれたが、顔を上げることができなかった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。この胸の疼きも、背筋に走る痺れの正体も、わかってしまった。
「…」
ぞくぞくする。嫌悪なんて入り込む隙間がないくらい、全身が歓喜に打ち震えている。
――言ってしまう。溢れてしまう。零れ落ちてしまう。
「…好き」
一度口に出すと、もう止まらなくなった。ぼろぼろと意図せずとも言葉が滑り落ちていく。
「好きです、好き…津々見さんが、好き」
視界がぐにゃりと歪んで、何故だか泣きたい気持ちになった。
「好き、好き、大好き」
好きになりたいとか。もう少し手を伸ばせばとか。俺は嘘吐きだ。全部大嘘じゃないか。
――本当はとっくの昔に落ちていた。恐らく、全てが始まったあの日から。
こっちの都合なんてお構いなしで、嫌だって言っても逃がしてくれなくて、本当はそのことにとてつもない喜びを感じていた。ただひたすらに求められることがたまらなく嬉しかった。
だけど同時に、愛されることに味をしめ、愛されたいという欲のままに彼の手をとってしまうことが怖かった。そんなのはもう嫌だった。同じような過ちを繰り返すことだけは嫌だった。
好きじゃないのに、愛してもいないのに、愛されてはいけない。ずっとそう思っていたし、勿論今もそう思っている。
――じゃあ、愛しているなら?
津々見のことを愛しているなら、愛されてもいい?
「どんな風にしてもいいから」
恥も外聞も建前もどうでもいい。何でもいいからこの人のものになりたい。どれだけめちゃくちゃに扱われようと構わないから、この人のものにされたい。
これが好きという気持ち。なんて欲深い。なんてみっともない。
だけど、欲深くてみっともない自分を隠す必要なんてどこにある?
だって津々見はずっと、もうずっと、自分を見ているのだから。余すところなく、知っているのだから。
「俺を、津々見さんのものにしてください」
「小山」
「お願いです、好きなんです、もう我慢できな…っ」
「小山、こっち見て。俺の顔、見て」
津々見の手が頬を包む。薄っすら濡れた自らの瞳を言われた通り真っ直ぐに彼の方へ向けた。
「俺が好き?」
こくこくと何度も頷くだけの小山に、津々見はもう一回言葉で言って、と促す。
「津々見さんが、好き」
「愛してる?」
「…愛して、る」
「勝手に執着して、騙すみたいな真似して、それで君を手に入れようとする気持ちの悪い男を本気で愛してるの?正気?」
「っ正気…です、嘘じゃない、本当です」
蔑むような口調に、必死になって彼の服を掴んだ。突き放されてしまうのではないかという恐怖が湧いてくる。
「信じてください…」
また泣きそうになってしまう自分が情けなくて、視線が下がる。
「…可愛いな」
「え…、あっ」
しみじみと確かめるみたいな口調で津々見がそう言って、俯く小山の唇を掬い上げるようなキスをしようとして――ギリギリのところで止まった。
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