▼ 02
あ、と心の中で声を上げたときにはもう遅い。
「…」
未だ半裸のままの二人の姿を見て、その人物は一瞬だけ瞳を大きくした。
「えぇと…小山、と、上原?」
「か、課長…!」
幸か不幸か、それは小山も上原もよく知っている人物だった。
…面倒なことになった、と小山は内心大きな溜息を吐き出す。いっそこのまま課長を殴って記憶を失くさせてしまおうかという馬鹿げた考えが頭を過る。
だがあまりにも同僚が慌てふためくので、逆に冷静になってしまった。自分より大仰な反応を示す人がいると、妙に落ち着いた気分になってしまうという現象は、誰でも経験したことがあると思う。
青ざめる上原とは裏腹に、小山は静かな声で呟く。
「…上原、先に行け」
「え?でも」
「いいから。課長とは俺が話しとく」
その言葉に上原はほっとしたような表情を見せた。面倒事は誰だって避けたい。小山が損な役回りを引き受けたことは、彼にとってとてもありがたいことだったのだろう。
「すいません…失礼します!」
バタバタと慌てた様子で部屋を出ていく同僚。残された小山は手早く身支度を整える。中に出された精液が気になるが、今はそんなことに構っている暇はない。
「津々見課長、すみませんでした」
深々と頭を下げる。職場で性行為に及ぶなど言語道断だ。さてどんな罰を受けることになるだろう、と小山はどこか他人事のように考えを巡らせた。謹慎、減給、下手すりゃクビだ。
まぁ自分で蒔いた種だ。仕方がない。
「自分が誘ったんです。上原は関係ありません」
これは嘘ではない。もともと彼との関係が始まったのは小山が誘ったからである。上原は小山の誘いに乗っただけで、そもそも彼の恋愛対象は女性なのだ。
「小山は男が好きなの?」
てっきり開口一番責められると思っていたが、津々見は予想に反して何故かそんな質問を口にした。
「…はい」
「あぁそう…そうなんだ」
戸惑いつつ素直に答えを返す。一体この質問に何の意味があるのだろう。
「うん。だからか。納得した」
「…あの、納得というのは…」
「小山、基本的に女の子にも優しくしないでしょう?あれ何でだろうって思ってたんだよ」
「優しく?」
「男なら無意識に女の前では多少なりとも気を遣って接したりするもんなんだけど、小山はそれが無いっていうか…男相手でも女相手でも態度が一切変わらない」
「それは…」
自分では気づかなかったので返事に困ってしまった。確かに男でも女でも態度を変えているつもりは無かったが、それは小山がゲイであるということに直接的には結びつかないはずだ。
自分にとって興味がない相手なら、性別関係なしに事務的な付き合いになるのは当たり前だ。というか、小山は身体を繋げた相手にも優しくした覚えはないのだが。勿論、上原にも。
「上原と付き合ってるんだね」
質問はまだ続いているらしい。拒むわけにもいかず、小山は疑問符を浮かべたまま津々見の方へちらりと視線を動かす。その顔に表情はなかった。ただただ真顔でこちらを見つめている。
「…付き合ってはいません」
「…えぇと、身体だけのお付き合いってこと?」
「そう、ですね」
「意外。小山ってそういうことに興味がないのかと思ってた」
以前にも何度か言われたことのある台詞。自分はそんなに枯れて見えるのだろうか、と小山は少し落胆した。性欲がない男なんて、果たしてこの世に存在しているのか。
外からどう見えているのかは知らないが、小山は少なくとも内面的にかなり性に貪欲だ。
「じゃあ、俺ともできる?」
「え?」
「俺とセックスできる?」
――自分の耳を疑った。
セックスなどという直接的な単語が聞こえたこともそうだが、その質問の意図がさっぱり分からない。
「あの、それは…」
返事に窮する小山に、津々見はいつもの如く完璧な笑顔を浮かべる。あぁこんな顔されたら誰だって落ちるよなと、普段から津々見に対して熱を上げている女子社員たちの姿が頭に浮かんだ。
だがその瞳の奥が笑っていないことに気がつき、ぞわぞわと背筋に冷たいものが走る。
「…小山さぁ、俺に弱み握られたって分かってる?」
「えぇ、それは、勿論」
この感覚は一体何だ。そして課長のこの妙な色香は何なんだ。
「じゃあ俺とセックスしてよ。上原とは付き合ってるわけじゃないんでしょ?」
確かに付き合っているわけではない。今現在恋人がいるわけでもない。だからどこで誰とどんな風に身体を重ねようと、小山を咎める人はいない。
「いいですよ」
例え津々見に弱みを握られていなかったとしても、小山はこうして誘われればきっと頷いていたと思う。気持ち良ければ誰でも良い。性欲を満たしてくれる相手がいれば、それで事は足りるのだ。
二つ返事で頷くと、津々見はそっと小山に手を伸ばした。
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