毒を食らわば皿まで | ナノ


▼ 06

相変わらずの用意周到さに最早言葉も出ない。口を閉ざしてしまった小山に、津々見は問いかける。

「…嫌?」

大人数で大浴場に入るならまだしも、貸切風呂だなんて。他の人と風呂に入るのは好きじゃないのだ。セックスをした後に浴びるシャワーだって、必ず一人だった。

なのに。

――多分、嫌、じゃ、ない。

「そう」

ふるふると首を横に振ると、歩く速度が少し緩くなった。黙ったまま素直に後をついて行く。

目当ての家族風呂は、大浴場とは反対の棟にあった。確かに入口の戸には貸切と書かれた札がかかっている。他にもいくつか同じような小部屋が並んでいるところをみると、利用者はそう少なくはないようだ。

「ここ」

手を引かれたまま中に入る。戸を開けてすぐに脱衣所があり、さらにスモークのかかったガラス戸があった。そのガラス戸の奥が温泉だろう。

「貸し切りの札出してあるから、多分誰も入ってこないよ」

小さく頷く。その拍子に長い黒髪がぱさりと揺れて、自分がまだ女装をしたままであることに気がついた。

「あの、化粧とか落としてるんで先どうぞ」

手に持ったメイク落としシートを見せながら言うと、津々見はそれを手に取った。

「俺にやらせて」
「は」
「これで拭けばいいの?」

困った。少し猶予期間ができたと思ったのに。今更逃げようとしても仕方がないことは分かっていたけれど、どうにも落ち着かない気持ちになる。

返事を待たず、津々見はシートの袋を空けた。

「顔こっち向けて、目閉じて」

渋々言われるがまま瞼を下ろす。こんな至近距離で無防備に目を閉じるのは危険な気もするが、拒むわけにもいかない。

「小山」
「なんです…んっ」

突然キスをされた。しっとりと濡れた唇の感触を認識した瞬間、ぞわぞわと背筋が伸びる。

――こんな風にされるの、いつぶりだ。

津々見が小山を抱かなくなってから一ケ月。あのホテルでのキスを最後にして、彼の唇が触れたのは頬や額だけだった。どうして唇にしないのかと尋ねてみても、津々見は曖昧に笑うだけで理由を教えてくれなかったのである。

「ん、ぁ…っ、ん、んぅ」

角度を変え、何度も何度もいやらしく口内を掻き回された。自分でもおかしいと思うくらい勝手に身体が跳ねる。びくびくとしなる背中を津々見の指がなぞり、一層快感を増幅させた。

「はぁ、あっ、んん、ん…!」

膝ががくがくとして、もう立っていられない。力の抜けそうな小山の腰を彼の手が支えていることに気がついて、熱いものが胸の内から湧き上がってきた。キスに夢中になって溶かされている自分を、全て見透かされているのだ。

「ん、んっ、ん…ぅ、んっ」

息が苦しい。頭の芯が痺れる。なのに、もっともっとしてほしい。もっと苦しくてもいい。息ができなくなってもいい。そう思った。

「…キスなんか、されてんな」

薄く目を開くと、真っ直ぐにこちらを見つめている津々見がいた。あまりに真剣な表情に不覚にも胸が高鳴る。

嫉妬、されているのだろうか。

「してない、です」

上原が口付けたのは唇ではなく唇と頬の境だ。その意味で否定すると、津々見は眉根を寄せて不機嫌そうな表情になった。

「上原をかばってるわけ?」
「いえ…口にされたわけではないので」
「口にされてなくてもキスはキスだよ」
「そうですか」

濡れた唇が気になって軽く親指で拭うと、指先に紅い色がつく。口紅だ。津々見の方を見てみると、彼の唇にも少しだけ色が移っていた。自分の指でそれを拭きとってやれば、彼が少し驚いた顔をする。

「びっくりした…どうしたの」
「すいません。口紅移ってて…気になったので」

突然触れたのは良くなかったかもしれない。今更ながら自らの行動を恥じた。何をやっているんだ、俺は。

「あぁ、そうだ。メイク落としが先だね。はいこっち見て」

だがそんな小山の行動を気にした様子も無く、津々見は中断していた作業が再開させた。ひんやりとしたシートがまた肌の上を滑っていく。

「化粧一つでまさかこんなに化けるとはなぁ。もともと美人だとは思ってたけど」
「嬉しくありません」
「そう?俺が綺麗って言ったときめちゃくちゃ照れてたじゃない」
「…照れてません」
「本当に?」

目を閉じていても彼が笑っているのが分かったけれど、反論する気にもなれなかった。気付いてしまったからだ。

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