▼ 04
「びっくりした。すげぇ可愛い」
その言葉を聞いて自分の顔が苦い表情になっていくのが分かる。まさかそれをわざわざ言いに来たわけではあるまい。
「嬉しくない」
「なんで?」
「なんでって…じゃあお前が俺の立場だったら嬉しいの?」
「どうせなら可愛いって言われた方が嬉しいと思うけど」
そういうものか、と納得のいかない気持ちで黙り込んだ。駄目だ。会話を続けられる気がしない。気まずさを感じているのは自分だけなのだろうかと思いながら、二人で廊下を歩き続ける。
「あのさ」
「何」
少し間を置いて、上原が問う。
「小山って課長と付き合ってる?」
「…」
付き合っている、と即座に断言は出来なかった。確かに津々見は自分を好きだと言ったし、一緒に恋愛をしてくれとの申し出を受け入れたのも事実だ。だけど、小山と津々見は本当の意味での恋人ではない。
「最近いつも一緒にいるし、さっきもなんかこそこそ会話してたし」
宴会場でのことを言っているのだろう。まさか見られていたとは予想していなかった。
「…見てたわけ」
「目に入ったんだよ」
確かに視界に入ってもおかしくはない。後で津々見に文句を言わなければと思う。社員がたくさん集まった場で、あんなに近い距離にいるのはかなり不自然だったはずだ。
「小山はさぁ、誰とも付き合わないって言ってたよね」
「…あぁ」
「課長はいいの?課長のこと好きなの?」
「…」
かつて彼がこんなにも食い下がったことがあるだろうか。やけに突っかかるなと隣を歩く同僚を見上げると、ばっちり視線が合う。と同時に腕を掴まれた。
「なぁ…もし良ければ、だけど。また前みたいに戻らない?」
「え」
「俺のこと嫌いじゃないよな?多少なりとも好きな相手じゃないと、セックスなんてやらないだろ?」
嫌いか嫌いでないかとか、好きとか好きじゃないとか。感情なんてどうでもいい。何でも良かった。例え上原じゃなくても。
自分の最低な部分を思い知らされ、小山はぐっと唇を噛み締めた。
「課長にバレてから全然連絡来なくなったから、暫くの間自粛してるんだろうなって思ってた。それならまぁそれで良かったんだけど、いつの間にか課長とすげぇ仲良くなってるし」
「別に仲が良いっていうわけじゃ…」
「課長とやったの?」
「…」
無言は肯定の証。上原は小さく溜息を吐いた。
「じゃあ、いいじゃん。そろそろ俺の相手もしてよ」
「…お前、ノーマルだろ。わざわざ男なんかとしなくても、他にいくらでも」
「ノーマルだった男を食ったのは誰だよ」
「それは、俺…だけど」
「まぁ誘いにのった俺も俺か…っていうか、分かってる?俺ら、あの人にセックスしてるとこ見られたんだよ。なんでそんな平然としてられんの?」
分かってる。分かってる。ちゃんと分かってる。
会議室に入ってきたときの津々見の顔が脳裏に浮かんだ。馬鹿みたいに性を貪る自分を、あのとき津々見がどう思ったかなんて知らないけれど。
「…平然となんか、してない」
津々見はそれでも自分を好きだと言ってくれた。その気持ちだけは、疑いたくない。
「…別に、課長のこと好きならそれはそれでいいからさ。今まで通り関係は続けてよ。あ、勿論課長には内緒な。俺あの人に一回睨まれてるし」
「睨まれてる?」
いつの間にそんなやりとりがあったのか。尋ねる前に上原はさらにたたみかける。
「お前が一番いいんだって。お互い丁度いい相手だろ」
掴まれた腕が痛い。込められた力の強さに顔を顰めた。
「今まで通り、都合のいい相手同士仲良くやろう」
…まただ。俺は、また大事なものを見落としてる。自分から勝手に巻き込んでおいて、今更彼を受け入れられないと拒絶するなんて、横暴にも程がある。
「もうその辺にしといてやって」
耳に響く声。ふっと腕の圧迫感が消えたかと思うと、代わりに全身を何か温かいもので覆われた。
「…課長」
上原が気まずそうに小山の背後を見る。それでやっと、小山は自分を包んでいるものが津々見の腕であることに気がついた。
「こんな顔させたかったわけじゃないでしょ」
後ろから顎を掴まれ上原の方を向かされる。どんな顔をしているのかは分からなかったが、多分ひどい顔には違いない。現に上原は驚いたように目を見開いた。
「今物凄く頑張って落としてる最中だから、あんまり揺さぶりかけられると困るな」
密着させられた背中から声の振動が伝わってくる。こんなにすっぽりと抱きすくめられてしまうほど、彼の身体は大きかっただろうか。
「…課長は、小山が好きなんですか」
「うん」
「どうして…だって、見たでしょう。こいつは…」
「それ以上言ったら怒るよ」
津々見が剣呑な声で上原を制す。自分が向けられたわけではないが、その声の鋭さにびっくりしてしまった。
「上原の気持ちは分かるし、小山がしたことも決して良いこととは言えないけど、だからって貶して良いわけじゃない」
「…なんで、課長が分かるんですか。本人はちっとも気がついてくれないのに」
「俺も上原と同じだからね」
――その一言で、何もかもに気がついた。
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