▼ 03
こんな出し物なら、個人で何かやった方がマシだったのでは。後悔しながらも上座の方から回ることにして足を進めた。
「失礼します」
自分が不機嫌なことは分かっていたので、上司の前ではそれを滲ませないように声を和らげる努力をする。
「小山くん、表情が固いよ」
「すみません、慣れていないもので」
行く先々でそう言葉をかけられたが、それくらいは許してほしい。普段意識をして笑顔を作る機会などそうそうないのだ。知らない人相手ならまだしも、面識のある人間相手だと一層やりにくい。
「びっくりした。誰かと思ったよ」
「化粧の力ですよ」
「いやいや。ゴツい男の人が化粧しても、そうは化けないでしょう。小山くんってやっぱり綺麗な顔してたんだね」
「…ありがとうございます」
「綺麗なお姉さんにお酌してもらえるなんて思わなかったなぁ」
はは、と口から渇いた笑いが零れ落ちる。褒められていることは確かなのに、全く持って嬉しいとは感じない。
例え興味のない話題でも、相手が酔っぱらってしつこく絡んできたとしても、にこにこ笑って楽しそうに相槌を打つ。そんな高度な聞き役テクニックなど、小山が持ち合わせているはずがない。
もう帰りたい。早く温泉に入って化粧も何もかも落としてしまいたい。心の中で愚痴を吐いてお酌を続ける。
「…」
次の席に回るために立ち上がって、一瞬動きを止めた。
――次は…津々見さんか。
とうとう彼の席まで来てしまった。一体どんな反応をされるのか。多分面白がって笑うに違いない。そういう男だ。
「…失礼します」
微妙な表情のまま横に膝をつくと、津々見が無言でグラスを差し出す。
何も言われないことに少し安堵したが、酌をしているところをずっと見つめられていることを感じ取って居心地が悪くなる。なんだ。どうせなら何か言ってくれ。
三分の一ほど注いだところでもういいよと止められた。確か酒には弱くなかったはずだが、この銘柄は好みではなかっただろうかと手に持った瓶のラベルを確かめる。
ふと膝に何かが触れた。それが津々見の手だと気がつき、慌てて抗議の声を上げる。
「ちょっと…」
「…小山」
「何ですか」
つつ、と大きな手が移動して太ももを撫ぜた。それだけのことで全身が粟立つ。
「やめ…っ」
「小山、顔見せて」
「馬鹿じゃないんですかこんなとこで」
「いいから」
無理矢理津々見の方を向かされ、視線が合った。
「綺麗だよ。すごく」
その瞬間、津々見は周りに聞こえないような声で囁く。
「っき、きれいって…」
直後、沸騰したかのごとく顔が熱くなる。
「…あれ、何その反応」
知らない。知らない知らない知らない。何が綺麗だ。ちっとも嬉しくない。
「…ごゆっくりどうぞ!」
無理矢理津々見の手を払い除けて立ち上がる。こんな場所でふざけるなんていい加減にしろと睨み付けると、津々見は口の端を吊り上げて笑った。明らかによからぬことを考えている顔だ。
ふざけるな。無理矢理させられた女装を綺麗だなんて褒められても嬉しくない。
なのに、あの人が、あんな顔で、あんな声で、囁くから。
ドクドクと脈打つ心臓を浴衣の上から押さえ込む。鎮まれ鎮まれ鎮まれ。
だが一度動き出した鼓動はそう簡単には落ち着いてくれず、小山はその後しばらく落ち着かない思いを抱えたまま酌をする羽目になったのだった。
*
「…はぁ」
――そろそろ宴も終了するか、という頃合いである。席がぽつぽつと空いているところを見ると、既に入浴へと向かった人もいるようだ。
自分ももう化粧を落としてもいいかどうかをグループの女子に尋ねると、お疲れと肩を叩かれた。
「良かったよーすっごい好評だった。また来年もって部長が」
「絶対に嫌だ」
きっぱりと断ると、折角似合ってたのにと口を尖らされた。似合ってたか否かはどうでもいい。二度とこんな出し物はやりたくない。
「…風呂に行ってくる」
「あっ、入る前にこれ使って化粧落としてね」
「分かった」
メイク落としシートのパックを受け取り、宴会場を出る。スリッパをぱたぱたと音立てながら廊下を歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。
「小山」
「…上原」
振り返った先にいたのは、上原だった。
「風呂行く?一緒していい?」
「別に、いいけど」
彼と言葉を交わすのは久しぶりだ。若干の気まずさを覚えつつも頷くと、上原は小山の横に並び笑顔を見せる。
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