▼ 02
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「勉強合宿、ですか」
「あぁ…正直面倒だが、全員強制参加らしいからな。仕方がない」
「帰って来られなくても結構ですよ」
「何故そんなひどいことを言うんだ!」
怒る坊ちゃんを余所に、私はほっと安堵の息を吐きました。良かった。これであの夜の苦行から解放される。
坊ちゃんの通っている学校に感謝です。出来れば一度と言わず、定期的に勉強合宿とやらを催していただければもっと助かるのですが。
「僕がいなくても泣くんじゃないぞ。帰ったらちゃんと可愛がってやるからな」
「謹んでご遠慮申し上げます」
「照れてるところも好きだぞ」
「その何一つ機能していない目ん玉を抉り取って差し上げましょうか」
そんなこんなで、坊ちゃんは三泊四日の合宿へと出発していかれました。
一日目。
私は感動しました。彼がいないお屋敷での仕事は、これほど楽なのかと。
掃除を邪魔されることもありません。洗濯の最中に後ろから抱き着かれることもありません。そして何より、夜はぐっすりと眠ることが出来るのです!
二日目。
なんと素晴らしい朝でしょう。なんと清々しい目覚めでしょう。
ちょっと余裕があったので、朝食を張り切って作りすぎてしまいました。智様が召し上がってくださったので、余ることはありませんでした。
日中も溜まっていた分の仕事をぱぱっと片づけることができ、昨晩よりも早く床に就けました。
「…」
暗い部屋の中で天井を見上げながら、今頃坊ちゃんは何をしているのだろうとふと考えます。
学校での彼の姿を拝見したことはありません。家にいるときとは違って、真面目に大人しくやっているのでしょうか。
もしそうならば、きっと坊ちゃんは引く手数多なことでしょう。
少しくせのある色素の薄い髪。切れ長の瞳。長い睫毛。スッと通った鼻筋に、色気のある唇。背だってスラリと高く、凛と伸びた背筋は堂々とした雰囲気を与えます。
つまり黙っていれば超絶美形なのです。
今だって、女の子と仲良く談笑しているかもしれません。もしかしたら告白をされているかも。
伊原、と私の名前を呼ぶ彼の声を思い出します。そして我に返って恥ずかしくなりました。
私は一体何を考えているのでしょう。彼がいなくなって万々歳ではありませんか。どうせあと二日したら戻ってくるのですから、今のうちにしっかりと休んでおかなければならないのに。
そういえば、彼に抱かれるようになってからこんなに長い時間離れていたことは無かったなと思いました。
そしてそんなことを考えている自分に気づき、また恥ずかしくなりました。
その日見た夢に坊ちゃんが出てきたなんてことは、口が裂けても言えません。
三日目。
なんということでしょう。私は呆然としました。寝坊したのです。
慌てて身支度を済ませて坊ちゃんの部屋に向かおうとして、途中で気が付きました。彼は合宿中。私が起こしに伺わなくてもいいのだということに。
…なんだ。それならば、あと三十分は長く寝られたのに。我ながら間抜けです。こんなミスをしたことなんて、今まで一度だってありませんでした。
「…」
まさか。まさかとは思いますが。
まさか私は、寂しいなどと感じているのではないでしょうか。
そのまま坊ちゃんのお部屋に足を踏み入れます。大きなキングサイズのベッドの上にドサリと倒れこみました。
…坊ちゃんの、匂いです。
鼻いっぱいに息を吸い込み、シーツに頬擦りします。坊ちゃん、と小さな自分の声が耳に響きました。
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