「水原さんが悪いんですよ」
そんなことわざわざ言われなくたって分かっている。私だって悪いと思ったし反省しているんだから。
諸々の所用を済ませて、さァ帰るぞといったところで、乗り継ぎに失敗。これを逃してしまうと、もう一泊しなきゃいけないという電車に乗り遅れてしまったのだ。
遅れてしまった原因に関して細かくいえばいろいろとあったんだけど、最後のとどめが、どうしても食べたかったご当地メニューを食べないという選択肢がなかったというもの。私の誤算はそれを食べるのに思った以上に時間がかかってしまったことである。
「考えてから行動してくださいといつも言ってるのに。……少しは反省してください!」
くどくどと小言が飛んでくるが、その言い分が至極尤もなことばかりだけに耳が痛い。
「あーもォ、わかったからっ!」
耳を塞ぎながら答えるが、燈馬君のお説教は止まらない。
「分かってるという態度でもない気がするんですけど。本当に反省しているんですか」
半眼のまま追い打ちをかけるように低い声で言う燈馬君。
うん、確かに軽率だったとは思う。
「……本当にごめん」
自分の行動を振り返り素直に謝罪の言葉を口にすると、燈馬君はそれ以上何も言う気にはならなかったのか諦めたように大きな溜息をひとつ零した。
休日の所為かホテルはどこも満室だった。この町は宿泊施設がそれほど数が多くない。周辺を回ってようやく空きを見つけたものの、空いているのは一部屋のみという状況だった。
その部屋は、ギリギリ二人で寝られるかといった大きさのダブルベッドがあるだけで部屋自体が狭く、横になれるような場所もソファもなかった。
他に部屋がない以上、文句は言えないし背に腹は代えられないんだけど、これは……。
ちらりと燈馬君に視線を送ると、いろんな感情が混ざったような微妙な顔で溜息を吐いた。
燈馬君とは今から一年と少し前に、所謂、恋人同士という関係になった。
関係が変わったといってもそんな劇的に変わったわけでもなく、殆どが今までの延長であって、想像したり噂で聞いていたようなお付き合いの形とは少し違っていた。まァ、現実なんてそんなもんかと思いつつ、触れ合う回数もおのずと増えたわけで。その、そういうこともまったく経験してないわけじゃない。そのあたりの諸々を思い出すと、気恥ずかしさだとかいろんな感情が綯い交ぜになって暴れたくなるけど…!
……それはともかくとして。
そういうことは、燈馬君の家でごくごくたまにそういう雰囲気になった時限定であって、こんな風に何処かに宿泊する時はいつも別々の部屋を取っていた。曰く「警部の信頼を裏切るわけにはいかないですから」だそう。許可をもらって出かけている以上、その点だけは譲れないというのが燈馬君なりの線引きらしかった。
このあたりが真面目というか融通が利かないというか義理堅いというか、そういうところが燈馬君らしいんだけど、やることはやっておいてどの口が言うんだろ? ……でも、そういう律儀なところが父さん達に信頼されているんだろうなァと思うのだ。
だからこの状況は燈馬君にとっては相当不本意な筈だし、今も口にしないだけできっといろいろ思うことがあるに違いない。流石に悪かったと思い、心の中で手を合わせながら視線を向けると、燈馬君は拗ねたようにプイッと顔を背けた。
不機嫌なままの燈馬君と同じ部屋というのはめちゃくちゃ気まずいんだけど、非が完全に私にある以上とやかく言えることではない。お互い無言のまま荷物を置いて、交代で汗を流すことにした。
先にシャワーを浴びてからは特にすることもなく。何となく気まずさもあったので、燈馬君が浴室にいってる間にベッドにもぐり込んだ。そのまますぐに寝つける筈もなく手持無沙汰に時間だけが過ぎていく。
すぐ隣にあるユニットバスからはシャワーの落ちる音が聞こえてくる。ただそれだけなのに落ち着かない。やがて水音がしなくなり、しばらくしてから浴室の扉が開く音がした。
そんなつもりはないのに、どうしてもそういうことが連想されて仕方がない。固く目をつむって壁の方を向いたままでいると、しばらくしてマットレスがきしむ音がして燈馬君がそろそろとベッドに入ってきた。彼は私とは反対方向、お互い背を向けた形で横になったようだ。
そんな恋人らしいことがしたいってわけでもないんだけど、ドキドキして眠れそうにないや……。
気づかれないようにこっそり息を吐いたつもりなのに、燈馬君の耳に届いていたらしい。彼はぽつりと呟いた。
「……まだ、起きていたんですか」
その声のトーンはいつも通りだったけれど、気まずいままで翌日を迎えたくはなかったから。思い切って燈馬君の方を向いてみた。
「うん……あのさ。まだ怒ってる?」
恐る恐る口にしてみると燈馬君もこちらに身体を向けてきた。大して大きくもないベッドにお互い見つめ合う格好だ。じっと私を見つめていたかと思うと、ややあって小さく息を吐いてから答えた。
「別に、怒ってませんよ」
至近距離とまではいかないけれど息遣いが聞こえるくらいの距離。とにもかくにもドキドキと心臓が煩い。どうにか気持ちを落ち着けようと思案していると、燈馬君がぽつりと続けた。
「困っている人を放っておけないのも水原さんの良いところだと思います。だけど……」
ほら、痣になってる、と言いながら私の腕を取り目の前に労わるように口づけてきた。
大して痛くもないんだけれど、それは今日いろいろあった内の一つで、少しぶつけてしまったものだ。
「こ、こんなの、大したことないから平気だよ」
しかしこいつは……なんでこんなことをさらっとするかな!?
動揺して声が少々上擦ったまま言うと、口調こそきつくはないものの咎めるような視線を向けてくる。
「今回は、たまたまこの程度で済んだだけでしょ。何かあったらどうするんですか。……少しは僕の身にもなってください」
燈馬君は時々過保護になる時があるのだ。大抵は私が無茶をした時だけど基本的にいい顔をしない。
昔あった事件を思い出してなのかもしれないという事に思い至り顔をあげると、彼は困ったような顔で微笑んだ。
「……心配かけて、ごめん」
「僕もきつい言い方をしてすみませんでした。でも……自分の力を過信して欲しくないです」
それに、最後のは次の機会にして欲しかったですけど、と柔らかく笑った。
……それについてはなんというか。次いつ来れるのかわからないと思ったら食べなきゃいけない気がしたからで。少々食い気が勝ってしまったのは本当に別の意味で申し訳ないと思うけど!
きまりの悪さに私が誤魔化し笑いを浮かべていると、その隙を狙って唇を重ねてきた。久しぶりのキスに誘われるまま唇を合わせると、舌を絡ませてくる。
ああ、もう本当にこいつは……!
「その……なんか、さ……」
こんなことされると全然気持ちが落ち着かないじゃないか。そう思いながらちらりと伺うと燈馬君はものすごくバツの悪そうな顔をして目を逸らした。
「……そういうことがしたくて一緒にいるわけじゃないですから」
用意だってないし、と、言い訳のように小さく付け加えて。
……確かにそのつもりはなかったし、大切にしようとしてくれるのは嬉しいけれど。こういう時くらい、もう少し甘い雰囲気になったっていいのに。ほんの少しだけ残念に思っていると燈馬君がくすりと笑った。
「でも、本当に悪いと思っているなら……今夜だけ抱き枕になってください」
と、私に抱きつくような形で胸元に顔を寄せてきた。
「ちょ、と、燈馬君!?」
「――嫌、ですか?」
「嫌じゃない……けど!」
「それなら別にいいじゃないですか。……元を正せばこんな状況になったのは水原さんが悪いんですよ?」
上目遣いの燈馬君から零れたのは本日二度目の台詞。
そんな顔されると嫌とは言えないじゃないか。
「……少しは反省してくださいね」
そう小さく囁きながら燈馬君は背中に回した腕にぎゅっと力を込めてきた。