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静かだ。ぼうっと店の入り口を眺めてそう思った。今日はもうすぐ閉店の時間だというのにいつも顔を出す桂さんは来店していない。今日だけでなくこの数日間まったく姿を現していないのだ。攘夷活動で何をしているのか知らないし彼だって何かと忙しいこともあるのだろうけれど。

このところ世間はひどく物騒で女子たちは明日からしばらく夜のシフトは入らないように店長から言われたところだった。そんなことだって、会いに来てくれなければ伝えようがない。もっともいつもの彼なら言わなくても知っているけれど。


「今日も来なかったっすね」

「そうだね、何か忙しいのかもね」

「誰が、とは言ってないっすけど」


はっと顔を上げて多田くんを見ればしたり顔をしている彼と目があって、誤魔化すように軽く睨みつけた。とはいえ何も言われていなくても桂さんのことを思い浮かべてしまったのはわたしだ。

ガラガラと扉が開く音に多田くんを睨みつけていた顔を営業モードに変えて振り返る。そこにいたのはエリザベスさん。桂さんがいるかもしれないと思ってその背後を見てみたけれど今日は彼1人のようだ。目が合うとぺたぺた足音を立てて近づきエリザベスさんはどこからか取り出したプラカードを挙げた。


[桂さんを見てないか]

「いえ、この数日はいらっしゃってないですよ。……エリザベスさんとご一緒ではないんですか?」


その答えに考え込むような仕草をするエリザベスさんに恐る恐る声をかける。もしかして何かあったんですか、最悪の事態を想像して震える唇から出た声に彼はわたしから顔を背けた。


[すまない、邪魔をした]

「待ってください、そんな…!」


何も言われなくたってこんなの、桂さんの身に何かあったと言っているようなもので。来ないね、なんて笑っているだけならどれだけよかったか。口元に当てた手が震えていた。もうエリザベスさんの背中は遠くなって見えない。会いに来てくれると言ったはずなのに。考えないようにしていた可能性に頭の中が真っ白になった。この先ずっと会えなくなって、彼の行方は何も知れないままかもしれなくて、それでもわたしと桂さんの間に名前の付けられるような関係なんかないのだからそれも当然で。

こうやって当たり前になっていた日常は突然消えてしまうのかな。最後に会った桂さんは変わらずわたしを妻にすると言い張っていた。適当に躱してばかりで自分の気持ちに素直に向き合ってこなかったことを、今更後悔しても遅いのに。




****




人の口に戸は立てらぬ。噂話は瞬く間に歌舞伎町に知れ渡る。桂さんが辻斬りに斬られたという話は噂好きのお客様の口からわたしの耳にも入ってきた。あのとききちんと会話が出来ていたか正直今となっては自信がない。

あれから一度だけ街中で大きな騒ぎが起きて、世間を恐怖に震え上がらせていた辻斬りはいなくなり、歌舞伎町にはまた平和が戻っていた。平和であっても戻らない人もいる。

仕事をしていれば気は紛れる。なるべく休みの日を作らないように入れるだけシフトを入れてもらった。家に帰ってからはニュースを見ないようにずっとドラマを流して没頭する。そんな風に過ごしていればいつかきっと忘れられる。ふと手が空いた時に時計を眺めて、今日も来なかったな、なんて思ってしまうこともあるけれど。


「小春殿」


常連のお客様に注文の品を提供して雑談をしていたときだった。背後から名前を呼ばれて心臓が大きく鳴る。これは別にドキドキしたというわけではなくて、単に驚いただけで。

振り返ると笠を外して微笑む姿。あ…、喉がきゅうと締まっていて言葉が上手く出てこない。どうして、なんで。言いたいことは山ほどあったはずなのに胸に広がる安堵感に目頭が熱くなるのを感じた。


「うそ、お化け…?」

「お化けじゃない、桂だ」


こんなやりとりでさえも嬉しくて、顔を見合わせて笑う。会わなかったのはどれくらいの間だったのか、ずっと沈み込んだままだった心がふわっと軽くなった。


「蕎麦を一つ」

「かしこまりました」


桂さんは何もなかったように席について前のように注文をする。きっと起こった出来事について語るつもりはないのだろう。わたしもそれで構わないと思った。話されてしまえば住む世界の差に現実を見てしまいそうだったから。


「藤原さん、よかったじゃないっすか!」


何故かわたしよりもずっと嬉しそうにしている後輩に背中を押されて厨房に入った。厨房には誰もいなくて、注文されたものは自分で用意するしかなさそうだ。

出来上がったお蕎麦をテーブルへ置くと礼と共に見上げられる。にこりと微笑むのに合わせて肩口で切りそろえられた髪が揺れた。見慣れないその姿は、それでも男性としては長い方だけれどいつもより男らしく見えるような気がした。


「髪切ったんですね」

「ああ、イメチェンだ」

「似合ってますよ。長い方が桂さんらしいなぁって思いますけど」

「小春殿は長い方が好きか?」

「そうですね。…好き、ですね」


髪のことだから、他意はないです。変に意識してしまってその言葉を口にするだけで掌にじわりと汗が滲んだ。いちいち言い訳を心の中で呟いてしまう。

またすぐに伸びるさ、そう言われたのでじゃあ伸ばしてくださいねと伝えた。決して命を落とさないで。言葉に込めた意味に気付いたかどうかはわからないけど、桂さんは真っ直ぐにこちらをみて頷いた。


「あの、」


わたしたちの間に名前のつけられる関係なんかない。せいぜい、店員と常連客という程度。でも少しくらいわがままを言ったって許してください。素直に伝えようとするのは恥ずかしいから肝心の気持ちなんか言えやしないけれど。


「しばらく来れないなら今度からそう言ってください。会いに来てくれるって言ったじゃないですか」

「もしかして俺を待っていて「別に、待ってた訳じゃないですけど」

「はは、そうだな」


じゃあ、失礼します。ぺこりと頭を下げて顔を見ないように早々に歩き出したわたしの背に呼び止める声がかかる。居た堪れなくてゆっくりと振り返ってみると桂さんはひどく嬉しそうに笑っていた。


「今日の蕎麦は一段と美味そうだ」

「べっ…別にいつも通りですよ」


絶対に見られていた。注文を受けてわたしが厨房に入り蕎麦を作るところを。そんなの手順通りにやっただけなのに。むしろ厨房担当の人の方が絶対に上手いのに。今度こそ逃げるように戻ったわたしをやけにニヤニヤした顔で迎えてくれた多田くんにお盆を押し付けて休憩室へと駆け込んだ。今日は暑いな、本当に。パタパタ手で仰いでもいつまでも顔の熱が引かなかった。

もうそろそろ認めてしまってもいいのかな、とっくにわかっているはずの自分の気持ち。わたしは桂さんのことが、

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