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ある日の夕方、大江戸スーパーで買い物を済ませて家路に着こうとしたところで明らかに見覚えのある顔を見つけて思わず立ち止まり、さらにばっちりと目があってしまったのでぺこりと頭を下げて声をかけた。


「…こんばんは、桂さん」

「おお、小春殿!奇遇だな」


桂さんもスーパーとか来るんだな。なんとなく違和感があるけど、肩書きは一般人のわたしとは不釣り合いなほどなのに案外桂さん自身は普通の人なんだということを思い出す。挨拶もそこそこに立ち去ろうとしたところで手に持っていた買い物袋をひょいと奪われた。

軽くなった手の平と桂さんの顔を交互に見比べても意図がわからない。荷物を取り返そうと手を伸ばしたところで軽く制されてしまう。何で?買い物に来たんじゃないの?その足は店内に入るどころかわたしと同じ方向へ向かっている。


「あの……自分で持てますよ」

「女子に重いものは持たせられない、俺に任せろ」

「いや、今日別に重いものは買ってないんですけど」

「妻と買い物に来たのなら荷物は俺が持つべきだろう」


妻じゃないです。という言葉は相変わらず華麗にスルーされて、こうなっては何を言っても無駄なので仕方なく預けたまま歩き始めた。一緒に来たわけではないし、一緒の場所に帰るわけでもないのに。こんなことならいっそお醤油もお米もお味噌も全部買ってしまえばよかった。という意地悪は心の中にしまってお礼を言ってから改めて隣に並んだ。


「買い物に来たんじゃないんですか?」

「いいや、違う」


小春殿の姿が見えたから追ってきたと堂々と言われて、こんなにもオープンにつきまとわれてしまえば怒りも怖さもないのだと逆に感心してしまった。これが桂さんじゃなかったらきっと拒否反応が出てくるのに、不思議と嫌な気持ちにはならない。この数ヶ月の間にずいぶんと絆されてしまったみたい。


「今日はお店、いらっしゃったんですか?」

「今日は小春殿が出勤する日ではないだろう」

「…やっぱり把握済みなんですね」


どのルートで情報を仕入れているのか、シフトは正確に把握されている。もはやそのマメさは尊敬にも値するかもしれない。いっそ毎日行ってしまった方が早いだろうに、なにかのこだわりなのか知らないけれど。ちなみに情報源を聞いてみたこともあるけど頑なに教えてくれなかった。


「もうここまでで大丈夫ですよ」

「家まではまだ距離があるだろう」

「そうですけど……」


遠慮するなとか家には上がらないから安心して欲しいとか、いろいろと念を押してまで桂さんは荷物を返そうとしなかった。どうせ自宅の場所は知られているのだし、隣に並ぶ桂さんは笠をかぶっているくらいで別段変装はしていないのに周りの人が気づく様子もないから問題があるわけではないけれど。

宣言通り桂さんはわたしを家まで送り届けると荷物を返し、そのまま帰っていった。なんだったんだろう、暇だったのかな。真意はわからないけれど悪いことをされたわけでもない。気にしないでおこう。

それからというものの、ほとんど毎日出掛ければ必ずどこかで桂さんと遭遇した。それはバイト帰りだったりお散歩をしているところだったり、シチュエーションは様々だけれどいつもわたしが気づく時には桂さんはわたしを既に見つけていて、声をかけると目的地まで一緒に来てくれる。誰かと一緒にいるときは会わないけれど、別れた瞬間に現れる。はじめの方こそ疑問はあったけれどそれが1週間も続けば次第に慣れてきて視線を感じれば桂さんがいる、なんて状況が当たり前になってきていた。


「桂さん、こんばんは」

「やあ、小春殿。バイトは終わったか」

「はい、これから帰るところです」


当然のように隣に並んで歩き始める桂さんに、先日多田くんからついに付き合い始めたのかと疑われてしまった。確かに側からみれば迎えにきてくれる彼氏のようにも見えるだろうなぁと他人事のように思う。


「あの、最近どうして送ってくれるんですか?」

「む…迷惑だっただろうか」


近頃は何かと物騒だから、と言う桂さん。だからといって攘夷派の党首にボディガードをされる覚えもないんだけど。と思ったけれどそれは口に出さなかった。別に桂さんとこうして一緒にいるのが嫌なわけじゃない。むしろバイト中ではなかなか話す時間も取れないから、これはこれで悪くないと自分でも思っている。迷惑じゃないですよ、と伝えれば顔を綻ばせる桂さんにわたしの方まで頬が緩んでしまって、誤魔化すようにぐっと手のひらを握りしめた。嫌じゃない、迷惑じゃない。本当は少し嬉しいと思ってるんだけど、それを正直に伝えることはできなかった。




****




そんなやりとりが続いたある日。バイトが終わってすっかり夜になった頃、お店を出たところには誰もいなかった。なんだ、今日はいないんだ。少し残念に思ったけどこればかりは仕方ない。約束をしているわけでもないのだから。


「あれ、今日は彼氏さん来てないんっすね」

「彼氏じゃないってば」


多田くんの言葉をきちんと訂正して茶化してくる多田くんに手を振って店の前で別れた。ここ最近、本当に毎日桂さんがいてくれたので1人で帰るのは久しぶりだ。とはいえ前まではずっとこうしていたのだし、桂さんだって何かと忙しいだろうし、そもそも物騒というのもこの歌舞伎町に住んでいるんだから今更だと思う。

少し歩いて路地に入り人気が減ってきた頃、後ろから人の気配を感じた。今日はいないとばかり思っていたけど、やっぱりいたんじゃない。見守っているつもりなのかわからないけれど声をかけてくれないとわからない。文句を言ってやろうとため息を吐いて足を止め、くるりと身体を回す。


「もう、桂さん。いるなら声かけて……」


振り返った先にいたのは桂さんとは似ても似つかない知らない男の人。街灯に照らされて逆光になった顔はよく見えないけれど、瞳がギラリと光ってわたしを捉えた。その視線がひどく不気味でぞわりと全身の毛が粟立ち背中が冷たく凍る。


「…あ…すみません、人違いでした…」


数歩後退りをして距離を取る。変な人に声をかけてしまったのかもしれない。何も言わないのに視線だけはずっとわたしを捉えていて鞄を持つ手が小刻みに震えて身体が強張る。一歩二歩と近づいてくるその人から逃げなきゃと思うのに足がすくんで動けない。

誰か、助けて。強張った喉からろくに声を出すことも出来ず、咄嗟に手にしていた鞄に手を突っ込んだ。いつかの注意をきちんと守って取り出しやすいところに入れているから、すぐに掴み出すことが出来た。早くしないと、焦りながら防犯ブザーを鳴らそうとしたのに、男は速度を上げて近づいてきた。目の前まで迫った男に腕を掴まれて役目を果たすことなく呆気なく手から滑り落ちてカシャンと音が響く。ニタリと笑う顔に覗き込まれて、腰が抜けてしまいそうなくらい怖い。


「…っ…?!」

「やっと1人になったね」


君も来て。最後に聞こえたのはそんな言葉だった。バチバチと火花が散る音が鳴り、首から走る衝撃と痛みに目の前が真っ暗になって、そこでわたしは意識を手放した。




****




硬くて冷たい床の感触、身体が思うように動かせない。不快感のある目覚めにそっと目を開ければ、そこは知らない場所だった。倉庫か何かなのだろうか、雑に置かれたコンテナやドラム缶は埃っぽくて綺麗とは言い難い。切れかかった蛍光灯がチカチカと瞬きながら薄暗く室内を照らしている。


「…気がついた?」


すぐ近くから女の子の声がして見てみると、そこには2人の女の子がわたしと同じように手足を縛られた状態で座っていた。見たところわたしと同じくらいの年頃で、随分と疲れ切った顔をしている。ついさっき連れてこられました、と言うわけではなさそうだ。


「あなたたちは…?」

「あの男に連れて来られたの…」


おそらくわたしが捕まった男と同じ。そういえば数日前から歌舞伎町で女性が行方不明になっているニュースが流れていたような気がして、きっとこの子たちのことなのだろうと思い至った。1人きりではないことに少しの安心感はあったけれどこの状況はかなりまずい。荷物はないから携帯も手元にないし、手足のロープはキツく巻き付けられていてとてもじゃないけれど素手で解くことは出来なさそう。

これからどうなってしまうのだろう。殺されるか売り飛ばされるか、もしくは…。無事に生きて帰れる可能性なんか限りなく低いように思う。天人の奴隷として生涯を過ごすことになるかもしれない。女の子のうちの1人が力なく首を横に振った。諦めたようなその顔に絶望感が広がる。


「だ、大丈夫…きっと助かるよ…!」


なんの保証もないけど、自分に言い聞かせたかった。そして頭の中に浮かんだのはあの人。まさか、そんなわけないなんてわかってるけど、もしかしたら来てくれるんじゃないかとも思えてくる。だって、桂さんはいつだってわたしを見つけて会いに来てくれていたのだから。


「目が覚めたんだね」

「…!」


砂利を踏む足音とともに姿を現した男は最後に見た時と同じように気色悪い笑みを浮かべていた。不健康な体型と妙に青白く生気のない顔。何をしでかすかわからない雰囲気を漂わせている。言いようのない恐怖に言葉もでないわたしを気にした様子もなく、しゃがみ込んでその顔をぐいと近づけてくる。


「…」

「そんなに怖がらないでよ、僕は君たちに恋人になって欲しいだけなんだ」


似てるんだ、僕の死んだ恋人に、だから代わりに僕を愛してほしい。囁かれる言葉を理解するたびにぞわりと背筋が凍る。髪を撫でられて毛先に唇を寄せられる。執拗に指で遊ぶ男がじわじわと近づいてきて顔を背けると、あと2人の子たちも同じようにされたらしく髪が不自然に一部乱れていた。


「君は特に苦労したよ、いつもそばに男がいたから」


僕の恋人になるのに、悪い子だね。糸のように細い目がさらに細められて笑っているのに冷たい視線が浴びせられる。知らないうちに桂さんに守られていたのだと気づいて、もしかしたらこの男の存在に気付いていたんじゃないかと淡い期待を抱いてしまう。どこか焦点の合わない目で見つめられ、肉厚な手の平がわたしの頬を撫でた。


「や、いや……」


男の顔が目前に迫り、もうだめだと固く目を瞑った瞬間にどこかで爆発音が大きく鳴り響いた。慌てて飛び退く男は青ざめて音のした方を見て腰を抜かしている。続いて聞こえてきたのは人の駆ける音。そちらを見やれば、よく見慣れた人が綺麗な長髪を靡かせていた。


「小春殿!!!」

「…か、桂さん…」

「無事か?!」


爆弾片手に乗り込んできた桂さんはわたしに駆け寄り縛られた手足の縄を切ってくれる。もとより白い顔を更に青くした男は脱兎の如く逃げ出そうとしたけれど、その前に桂さんに捕まって倒れ込み、手近にあったロープで腕ごと胴をぐるぐると巻かれていた。


「桂さん、どうしてここが…?」

「小春殿の姿が見えなかったのでな。怪しい目撃情報があったので来てみれば…」


桂さんが腰に携えた刀に軽く手をかける。たったそれだけでも男は意識を飛ばして泡を拭いて倒れてしまった。息を吐いてその視線を2人の女子へ向け、わたしにしてくれたように手足のロープを切って身体の拘束を解いてくれる。


「何もされていないか?」


何も、とは言えないけれど最悪の事態になる前に来てくれたから大丈夫だ。2度3度と首を縦に振って頷く。大丈夫、そう思ってるのに身体の震えが収まらなくて全然思うように動かすことができない。桂さんの暖かい手がわたしに触れる。その温もりに張り詰めていた緊張感が解けてようやくわたしは助かったのだと実感することができた。

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