Real Lover - 03

携帯のディスプレイはあと数分で日付が変わることを示していた。明日はわたしの誕生日である、というのにこれといって予定は何もなかった。何度か恋人には言おうとも思ったのだけれど、ただでさえ大会期間中で忙しそうな彼に自分から誕生日なんだ!なんて言い出すのも、と変なところで遠慮してしまい、とうとう当日を迎えようというのだ。

友人たちは当然ながらわたしに彼氏がいることを気遣って1日ずらして誕生日パーティをしようと言ってくれていた。だから本当に何もない。受験生なのだからこれでいいのかもしれないけど、寂しくないわけではない。

やっぱり征くんに言えば良かったかな、別にただ一言おめでとうって言ってもらえるだけでも十分だった。だけれど、やっぱり余計な気を遣わせてしまうのも嫌だった。ちらりと携帯を見たらちょうど日付が変わるところだ。数秒その画面を眺めてそろそろ寝ようかと考えていると手の中の携帯が震えた。


「…え」


ディスプレイに表示されていたのは恋人の名前。普段ならこんな時間に電話が来ることなんかないのに、どうかしたのだろうか?


「もしもし、征くん?」

『小春、ごめんね遅くに』

「ううん、大丈夫だよ。珍しいね、こんな時間に」


まだ起きてたんだ、といえば今から寝ようとしていたところだと言っていた。頭に思い浮かんだパジャマ姿の恋人に少しだけ頬が緩んだ。きっとパジャマ派、聞いたことはないけれど。


『寝る前に小春の声が聴きたくなって』

「…そっか、嬉しいな。わたしも征くんのこと考えてたから」


だからびっくりしちゃった。そう笑えば彼の小さな笑い声が聞こえてくる。寝ようとしていた体を起こしてきゅっと膝を抱えてベッドの上に小さく座る。すっかり眠気は無くなってしまっていた。


「ね、征くん」

『なんだい?』

「…あしたも部活?」


長針が12を超えた時計を見て、もう明日じゃなくて今日か、と訂正した。そうだねとすぐに返事が来る。やっぱり困らせてしまうだけだろうし、伝えるのはやめておこう。誕生日は今年だけじゃないのだし。


「そうだよね。練習頑張ってね」

『あぁ、ありがとう。小春は?』

「あした?特に何にもないよ。普通に勉強してると思う」


自分で言って改めて少しさみしくなった。一瞬手に持った携帯がぶるりと震えた。誰かからメッセージが届いたらしい。ただの偶然だけど、今日一番に話せたのが征くんだっただけでも嬉しかった。

少し話してからそろそろ寝ようかと声をかけた。名残惜しい気持ちもあるけれど、また学校でも会えるのだから。


「おやすみ、征くん」

『おやすみ。今日はきっといい日になるよ』

「そうなの?…ふふ、征くんが言うとそんな気がしてくるね」


じゃあね。電話を切って携帯を見れば数件メッセージが届いていた。もういい日になったよ。耳に残った優しい声を頭の中で繰り返して目を閉じた。優しく目を細めてくれる征くんの顔を思い浮かべていたら、いつの間にかわたしは夢の中へ旅立っていた。




****




翌朝起きてからぼんやりした頭のままで届いていたメッセージ一つ一つに返信していく。友人たちは揃って赤司くんとどう過ごしたのか教えてね、なんて送ってきた。別に何もないんだけどな、と苦笑いをこぼして明日ね、と返しておいた。

その後携帯を傍らに置いてテキストに向き合っていた頃。定期的にメッセージを告げる短い振動音が鳴っていたが、送り主である友人も今は真面目に勉強に取り組んでいるのかここ1、2時間は静かなままだった。記入していた数式を解答と見比べて赤ペンで丸をつけてから小春はぐんと背中を伸ばした。かなり集中していたらしく、もう外は薄暗くなっていてキッチンからは母親が夕飯の支度を始めている気配がする。

休憩しようとテキストとノートを閉じて机の隅に寄せると小春の携帯が振動した。すぐに手にとって画面を見れば、そこには恋人の名前。練習が終わったのかな、何の用だろう。昨晩といいそこまで電話の頻度は高くないはずの恋人に首を傾げて携帯を耳に当てた。


『小春、今大丈夫?』

「征くん。大丈夫だよ」


そう伝えればちょっとだけ外に出てきてほしいと言われ、小春は慌てて鏡を覗き込んだ。パッと髪を整えて居間を通り過ぎ、少しヒールのあるサンダルを突っ掛けて家を出た。すぐに恋人の姿を視界に捉えて小走りで駆け寄る。


「征くん!どうしたの?」

「急にごめんね」

「ううん、それは大丈夫なんだけど。部活帰りだよね?お疲れさま」


ありがとうと笑う彼の顔に疲れは全く見て取れない。少し歩いて誰もいない公園に辿り着くとわたしたちはベンチに座った。何の変哲も無い、ブランコと砂場と滑り台しかない小さな公園。そういえば小学生の頃、近所にバスケットゴールのある大きな公園が出来て男の子たちはみんなそっちに行ってしまったなぁと思い出した。


「懐かしいなぁ、ここ。小さい頃は毎日来てたんだ。はじめて家出した時も」

「それは随分と大冒険だ」

「あはは、そうなの。すっごい遠くまで行ったって思ってたけど、本当はこんなに近かったんだよね」

「小春も家出なんてするんだね」

「うん、1回だけすっごいワガママ言って喧嘩したの。誕生日プレゼントのおねだりで…、って、あ…」


誕生日。伝えるか迷っていたそのことを思い出して不自然に言葉を止めて征くんの顔を見ると、彼は目を細めて笑っていた。赤色と黄金色の目が街灯の明かりに弱々しく照らされている。


「僕にもおねだりしていいんだよ」

「…知ってたの?」

「実は教えてもらったんだ」


ごめんね、ちゃんと聞いておくべきだった。眉を下げて謝る征くんに首を横に振ってみせる。昨晩から感じていた違和感は、きっとこれだったんだろう。いつだって完璧な彼だけれど、もしかすると言うタイミングを図っていたのかも、と思うと嬉しくて仕方がなかった。


「じゃあさ、おめでとうって言ってほしいな」

「…それだけかい?」

「うん、だって夜に電話くれたのも、こうして会いに来てくれたのも、すごく嬉しかったの」


だからもうそれだけで十分だよ。笑みを浮かべて隣に並ぶ彼を見上げればそっと頭を引き寄せられた。肩口に頬を寄せて優しく触れる手の温もりにこれ以上の幸せなんかないんじゃないかと思ってしまう。


「小春。誕生日おめでとう」

「ありがとう」

「はい、これ」


いつの間にかカバンから取り出していた小さな紙袋。おねだりはしてくれなかったけど、と笑いながら開けてみてと促されて小さな箱から取り出せば、キラキラとしたストーンと細かい装飾の施されたリップスティックだった。見覚えのあるこれは確かお昼休みに友人たちと見ていた雑誌に載っていて、これ可愛いなぁ、なんて呟いた記憶があるけれど、そこまで下調べをしてくれたのだろうか。


「小春に似合うと思って」

「うれしい…ありがとう」

「ちょっと借りるね」


リップを手に取りそっと頬に手を添えられた。随分と近い距離の真剣な眼差しと目が合う。そのまま軽く唇を滑らせて彼は満足そうに目を細めた。

似合う?なんて聞く余裕もなくて、音が聞こえてきそうな程に心臓が鼓動してまるで自分たち以外の時間が止まったかのようにも思える。どれだけ見つめあったのだろうか、目を逸らせなくて、どちらからともなく縮まる距離に息もできない。小春、小さく名前を呼ばれた気がした。そっと目を閉じてぎゅっと手のひらを握りしめる。

あと少し、彼の呼吸すらわかるほど近づいて唇と唇が触れてしまいそう。

キスするの、初めてだな。なんて頭の片隅に思い浮かんだ瞬間に雰囲気に不釣り合いな軽快な電子音が鳴り響いてわたしたちはぴたりと動きを止めた。


「ご、ごめん!わたしのだ…!」


ポケットに押し込んできた携帯を取り出してみれば、従兄弟から着信があった。なんでこんなタイミングで。とりあえず通話の拒否ボタンを押してもう一度征くんにごめんと声を掛ける。


「…そろそろ帰ろうか、遅くなったらいけないからね」

「そう、だね」


立ち上がって差し出された手を取る。携帯をポケットに押し込んでわたしたちはゆっくり歩き出した。

あのまま何も起こらなければ、わたしは征くんと…。すっかり繋ぎ慣れたはずの手はいつもと全然違うような気がして、緊張とか動揺がこのまま伝わってしまうんじゃないかと思った。

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