02
小春はウチの寺の近所に住んでいた。年は3個違い。両親は共働きでいつも帰りが遅く、暗くなるまでウチにいることもよくあった。親父の読経を聞くのが好きだって、変なヤツだと思ってたけどアイツがいるなら拙僧も修行するのは別にイヤじゃなかった。小春が中学に上がってからはあまり来なくなったけれど、それでもたまにアイツは寺に顔を出した。
「空却くん、おーきーてー!」
「………あ?」
「あ?じゃないよ、起きて!今日から中学生でしょ?入学早々遅刻なんてダメだよ」
真新しいブレザーに身を包んだ小春はまだ7時だというのに元気いっぱいに布団を剥ぎ取った。壁にはついこの間まで彼女が着ていた学校の制服があるというのに、アイツはもう着ていない。いつまでも追いつくことが出来ないのがイヤでイヤで仕方なかった。
「おじさまはとっくに朝のお勤めを済ませてるよ。ホラ、早く顔洗って着替えてきてね?」
「…おー」
眠い目をこすりながらなんとか布団を這い出て制服に手を掛ける。真新しい学ランは窮屈で着崩しても硬い生地は体に馴染みそうになかった。居間に行けば何故か小春は当たり前のように食卓を囲んでいて、拙僧に気付くと味噌汁とご飯をよそう。
「あら、小春ちゃんごめんねぇ。本当に気が利く子ね!お嫁さんに来てほしいくらいだわ」
「やだ、おばさま。わたしなんかじゃ空却くんがかわいそうですよ」
「そんなことないわよ、ね、空却?」
「……ぜってぇイヤだ」
母ちゃんからたわけ!とお叱りが飛んでくるがそんなものは無視だ。でも素直になれない年頃の自分が本当に恥ずかしくなった。ただ恥ずかしいという理由の拒否に彼女は気にした様子もなく笑っていた。ほらおいで、とボタンをきっちり上まで閉められそうになってその手を振りほどく。結局卒業まで一度も使うことのなかったボタンに触れたのは彼女だけだった。
****
昔の夢を見た。6年前の夢だ。あのとき親が撮った二人の写真は、にこにこと嬉しそうに笑う小春と仏頂面をする自分が写っていて、どうせならもっと楽しそうに写れや、と今でも思ってしまう。
久しぶりの自室の天井、不在の間も掃除をしてくれていたらしい部屋は昨晩帰ってきたときにも気にならないくらい綺麗だった。時計を見れば時刻はまだ6時。見習いとはいえもう僧侶なのだから毎朝早起きしなくてはいけないのだと頭を覚醒させて体を起こした。作務衣に着替えて寺の掃除、朝の読経。7時を過ぎた頃朝食のために居間に行けばそこには小春の姿があった。
「あ、おはよう」
「……なんでいるんだよ」
「朝ごはん食べるから〜」
仕事前なのだろう、メイクをして髪を丁寧に纏めた小春はあの頃と同じように茶碗の準備をする。ここはお前の家じゃない、と突っ込もうにもきっと自分が不在の間もこうして上がり込んでいたのだろうと思うので今更な話だった。
渡された茶碗を持ち焼き鮭と米を掻き込む。向こうにいた頃は抜きがちだった朝食は久しぶりでも案外入るもんだと思った。
「今日も仕事か?」
「うん、もうそろそろ出るよ」
「ほーか」
確か高校卒業後は短大に行くと言っていたので二十歳で卒業してから1年。昔から頭も良かったし人当たりもいい小春のことだからきっといい企業に勤めているのだろう。そうでなくても今は女性の求人が多いのだし。
「小春ちゃん、今日の夜はどうする?」
「あ、いえ、今日は…」
「あら!そう、わかったわ。いってらっしゃい」
口籠る小春と含みのある笑みを浮かべた母親に首をかしげる。小春はこちらに気付くとなんでもないよ、と首を振っていた。
「なんでもないことないわ、恋人に会うのに!」
「ちょ、ちょっとおばさま…!」
空却の箸が止まる。今、何て言った?確かに恋人って言わなかったか。なんだ、その赤い顔は。恋人…小春に?
「オメェ、彼氏いたんか」
「あんた知らなかったの」
「知らんわ」
知りたくもなかったわ。昨日はわざわざ迎えに来てくれて、忘れないでいてくれて、心配してくれていて、少しは脈があるのではないかと期待してしまったのに。
じゃあそろそろ行ってきます、と食器を片して立ち上がった小春を見送る気になれずに空返事を返す。
「おばさま、ごちそうさまでした。また来るね!」
「いってらっしゃい。またいつでもおいで」
あの頃と変わったことなんて、自分たちが学生じゃなくなって少し年を重ねたくらいだと思っていたのに。
そこまで考えてからはっと気が付いて空却は味噌汁をうっかりこぼしかけた。そうだ、変わったことなんてそれくらいだ。だってあの頃から今でもずっと、小春と自分はただの幼馴染でそれ以上でも以下でもないのだから。
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