トランクィッロ14

日が昇り、そして沈み、また昇る。

からくり仕掛けの人形が決まった時間になると食事を運んでくるだけで、それ以外は誰にも会うことはなかった。部屋に置き去りにされた古文書を開いてみたけれど、見たことのない記号のような文字が並んだそれはいくらなんでもヒントもなしに読解できそうもない。それでも、何もやることがないここで気が付けば一日中それを眺めて過ごした。


(こんなことをしている場合じゃないのに)

(ゴルベーザ様が戻られるまでここで待つのよ)


全く逆の思考が頭の中を交差していた。ちぐはぐな心のどちらが本当の自分なのかわからない。身体の主導権はもう一方のわたしにあるので思うままに動くことはできなかった。わたしはこの部屋に閉じ込められているわけでも出るなと言われているわけでもない。それでも、いくらここから出たいと思っても自分の足がそちらへ向くことはなかった。

コンコンコン、一定のリズムで扉を叩かれて顔を上げる。数度瞬きをして乾いた瞳がじわりと滲みた。そうか、もうそんな時間か。からくり人形を部屋に招き入れ窓の外に目をやればすっかり陽は沈み、今日もまた夜の闇が訪れようとしていた。


「…ねぇ、あなた」

「はい」

「ゴルベーザ様はまだ戻られないの?」


ギシギシと錆び付いた首を捻って横に振り、ガラス玉の瞳がこちらを向いた。バロンでは馴染みのない技術で作られているようで、原動力がゴルベーザの魔力であること以外は全くわからない。この子だけではなく塔には似たような人形が多くいた。その中でもこの子のように言葉をかけて返ってくる子は珍しい。

こんな生活は数日間続いている。初めに顔を合わせたルビカンテもあれからクリスタルを探しに出て行ったきり戻っていない。ゴルベーザとルビカンテ、そしてその配下の魔物たちが探し回っている闇のクリスタル。そんなものが本当にあるのかと驚きはしたけど、すでにいくつかを手にしていると聞き自分の知らない世界なんてまだまだいくらでもあるのだと思い知った。

まだ何か用があるか尋ねられて首を横に振る。そして用意された食事に視線を落とした。それは味気のないパンとスープ。内容に不満があるわけではないのだけれど、せめて誰かと、ゴルベーザでもいいから、一緒に食べられたならもう少し美味しく感じられるかもしれないのに。


「あ、ごはん、用意してくれてありがとね」


錆びた体を軋ませながら頭を下げて部屋を出るからくり人形を見送った。去り際の背中に言葉を投げかけて息をつく。

静かな部屋に一人きり。小さくちぎったパンを口に放り込んで咀嚼した。食欲があったわけではないのに生きるために必要だからか身体は勝手に栄養を摂取する。一口、二口、ただ噛んで飲み込むだけの意思と乖離するその作業はひどく苦痛だった。

いつまでこんな生活を続けるのか。このままずっと誰も帰ってこないかもしれない、そんな不安すら頭をよぎってしまう。

長い時間をかけて食事を終えてぼんやりと考え事をしていると、大きな魔力と眩い光が部屋に溢れて勢いよく振り返った。転移魔法の光の中から現れた黒い甲冑。いつも堂々と佇むその姿は影を潜め、転移が終わるなり膝から崩れ落ちる。


「ゴルベーザ様っ!」


悲鳴にも近い声をあげて駆け寄り大きな身体に寄り添うように手を添えた。苦しげな声が聞こえてきて思わず目を見張る。いつか、メテオを受けたらしいあの時でさえここまでの傷は負っていなかったと思うのに。


「早く手当てを…」

「…必要ない…」


構わず立ち上がろうとする腕を掴んでぶんぶんと首を横に振った。支えた甲冑の中から流れる温かいものに手が濡れる。見なくたって自分の手が真っ赤に染まっていることくらい想像がついた。


「アイリス…。この、クリスタルを…」

「…!これが、闇の…」

「月への道を…もうすぐなのだ…この星を、私はあのお方の…」


ゴルベーザが手にしていたクリスタルを受け取った。深い闇色の輝きが血色に濁る。どうしてこんなにも傷だらけになってまでクリスタルを求めるのか、まるで命よりも大切なのだと言わんばかりに。

わたしの声を聞きつけたのか、からくり人形が部屋の扉から顔を覗かせた。早く行け、その気迫に押されて急かされるままにクリスタルルームへ向かう。

初めて足を踏み入れたそこは壁も天井も床も全てがこの世のものとは思えないくらいに透き通って光を反射し、そしてしんと静まり返っていた。

台座には既にいくつかのクリスタルが置かれている。空いているところに置こうとして、血に濡れていることを思い出しローブで拭う。


「これが全て揃った時、月に…?」


いまだに月へ行くなんて実感が沸かないけれど、こうして多くのクリスタルを一度に目にすれば確かにそんなことも可能なのではないかと思えてくる。不思議で計り知れない魔力を纏うクリスタル、それに見惚れて手を伸ばした時、わたしははっと息を飲んだ。


「…あ、身体が…」


自由に動かせるようになっている。どうしてだろう、いつの間にかもう1人の自分が消えてしまったように声が聞こえない。ゴルベーザが傷つき、わたしへの術が弱まったのかもしれない。

クリスタルを取って震える手をどうにか押さえつけた。今ならゴルベーザはわたしを追ってこれないはずだ。このままクリスタルを持って逃げることができれば、みんなの元に帰ることができれば。


(…帰れば、また前みたいに…)


彼の想いもわたしの想いも、再びなかったことにしてしまって、また平和な国でみんなと一緒にいたい。それがわたしの幸せだから。深く息を吸い込んで心を落ち着かせた。大丈夫、きっとできるわ。

部屋の扉を開こうと力を込めてもまるで封印でもされたようにびくともしない。魔法を唱えて氷の結晶を喚び出したところでどこからか語りかける声が聞こえた。


《…青き星の魔道士よ…》

「な、何…?」

《…劣等種の分際で私の邪魔をするとは》


あたりを見渡しても誰もいない。脳に直接語りかけてくるように響く声に耳を貸してはいけない、本能がそう叫んで耳を塞ぎその場に蹲み込んだ。深い憎しみの籠もった声はどんどん大きくなり、明るく煌めいていた部屋が闇に包まれる。


《お前は虫の餌、我らに劣る存在。せめてその有り余る魔の力を使ってやろう、光栄に思うが良い》


広がる闇の中で何かに足を掴まれたような気がした。じわりじわりと身体が飲み込まれる恐怖に震えが止まらない。


「…い、いや…やめて…!」

《愛に飢えた娘よ》

「ちがう、わたしは…」


帰りたいのだ。また前みたいに暮らしたいだけなのだ。

ー国に帰ったところでお前は愛されない。お前だけを必要とする者の元にいた方がよかろう。お前を1人放る薄情な友などいらぬはずだ。

無数に重なる声が頭の中を埋め尽くす。闇の中に人影が見えた。金色の瞳に捕まると骨張った手が伸びてくる。尖った爪が首筋をなぞりわずかに痛みが走る。冷たい手に視界を遮られて一層声が大きく響く。


《さぁ、お前の主の名を呼べ》


「…ゼムス様…」


体が言うことを聞かない。何も見えない、けれど操り人形のように迷うことなく歩き出した。お前は何だ、確かめるように問う声に口から勝手に言葉が溢れる。


「わたしは、毒虫《ゴルベーザ様》の餌……」


もうここまでなのかな。このまま魔力を吸われ続けて、そうしていつか殺されてしまうの。


(たすけて、ーーー)




****




柔らかな温もりと身体に満ち足りる魔力が心地よい。もう何年も悪夢ばかりに魘されてきたはずなのに、まるで天に召されたような気分だった。

大罪人の私が、天になど行けるはずがないのに。

ふわりと髪を触られる。不思議と不快感はない。幼き記憶の中の母を思い出すようで、このままずっと眠ったままでいたかった。するりと頬を撫でられる。起こすわけでもないその手つきに瞼を震わせて、ぼやけた視界に飛び込んできたのは黒髪の少女だった。


「…アイリス、?」

「お目覚めですか?ゴルベーザ様」


初めは手駒として、今は魔力の供給源として手元に置いていた大国の若き魔道士。人らしい豊かな感情を持ち、家族や友と共に人らしく生きていた少女。そんな彼女は今、笑みを浮かべて私の顔を覗き込んでいた。

いつの間にか外された鎧兜、身体の傷を癒したのは魔の力を込めた人形たちか。召喚士に不意を突かれセシルたちの命を取り損ねたが当初の目的であったクリスタルを手にここまで戻ってきた、ところで記憶が途絶えている。転移魔法を使用するのに使い果たしたはずの魔力が満ちているのは、気を失っている間にアイリスから注ぎ込まれていたのだろう。その証に彼女の顔色は決して良いとは言えない。


「妙な感覚だ、身体は重いはずなのだが」


あのお方の声が頭に響いてこないのは久方ぶりだ。外的な傷と消耗が激しい黒竜の召喚。そして意識を失ったことが影響して一時的に私の身体は私だけのものになっていた。

解放され、束の間の自由。過去に何度かこんなことがあっても孤独に過ごしている間にまた私は私でなくなる。それでも今は、


「お前がいて良かった、などと。まるでただの人の子のように」


汚れた手で触れて良いものか、躊躇い不自然に宙で止まった手を取り彼女は自らの頬へ寄せた。


「そばにいるわ」


にこりと綺麗に口角を上げて微笑む彼女は何かが違う。何が…と思うが答えは思い浮かばない。その顔から違和感の正体を探って、続いた言葉に血の気が引いた。


「わたしはあなたの、餌だから。ゼムス様に賜った使命、全うさせて?」

「…っなぜ、お前がその名を…!まさか……」


まるで別人のようにも思えるほど妖艶な笑み。紅く濡れた唇はこちらの欲を誘うように艶めいている。細められた瞳が彼女の色ではない黄金に輝き、その奥に秘められた魔力を見つけて背筋がぞくりと凍る感覚がした。


「そうか…お前まで……」


洗脳とはほど違う、支配と呼べる術に逆らうことはできない。今頃暗い闇の中で響く声に怯えていることだろう。自分と関わることがなければこんなことにはならなかっただろうに。平和に暮らして、などとはいかずとも友と肩を並べ力を合わせて私に立ち向かっていたかもしれない。

彼女が近づいた拍子に揺れた髪からわずかに甘い香りが届いて目眩がした。柔らかな感触に脳が痺れたように思考が鈍る。毒虫《ゴルベーザ》の餌とはよく言ったものだ。これほど甘美な餌は他にないだろう。小さな体を引き寄せてみればいとも簡単に腕の中に収まった。

自我を殺し、殺されて、そうして生きてきた自分に温もりなど無縁だった。欲しいと思ったことさえなかった。間も無く再びあの方の思念によって私はこの心を失うのだろう。だからせめて今だけは。

魔力を奪わないこの行為に意味など一つもないのだが。

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