トランクィッロ15
封印の洞窟。地底に伝わる闇のクリスタルの一つが置かれ、古くから閉ざされている祠である。封印を解くためにはドワーフ族の王家に伝承される宝玉が必要だが、ゴルベーザはそれを強引に暴こうとしている。奴に取られる前に安全な城まで持ってきて欲しい。
これがドワーフ族の王、ジオット王による依頼だった。既に闇のクリスタルは最後の一つを残しゴルベーザの手に渡っている。もうこれで後がない俺たちに断る理由はなく、王女のルカから首飾りを受け取り洞窟を目指し飛空艇に乗り込んだ。
「ねぇ、カイン」
「どうした」
「アイリス…って、みんなの友達なんでしょう?」
頷き、小さな召喚師に視線を落とした。小さな、といっても初めて出会ったときとは比べ物にならないくらいに成長した姿である。それでも背の高い部類の自分からすると小さいという表現で間違っていない。アイリスもそうだったな、とぼんやり思い出してからリディアに問う。何故その名を?隣に並び地底の世界を見渡していた翡翠色の瞳が優しく細められた。
「セシルたちに聞いたのよ」
「成程な」
「私も会ってみたいな。カインにとっても大切な人なのね」
確信めいた口調で続いた言葉は、どうしてかすんなりと自分の中に入ってきた。もちろん間違いではないが、敢えて言葉にされると擽ったくて居心地が悪くなる。
「だって今のカイン、すごく優しい顔をしてるもん」
「…そうか」
そうかもしれないな。噛みしめるように呟いた言葉にもう返答はなかった。たとえ兜で大半を覆っていても隠しきれない程度には顔に出ていたのだろう。幼い頃から一緒にいて、彼女の方が少し年下だからと兄ぶって接してきた。そんな彼女ももう立派に職務を果たすようになっているというのに昔の癖が抜けなくてつい構いたくなる。
遠くに目的地が見えたらしく、舵を取るセシルから声が上がる。船首から先を見据えるエッジはやる気に満ち溢れていて大声でリディアを呼んだ。ため息を溢してから駆け寄るリディアの背を見送ってすっかり打ち解けた2人を見た。
妹のように大切に思っているから。ひとりきりになることを怖がっていたから。憎き敵から守ってやりたいから。どれも確かに本当の自分の気持ちで、だけどそれだけではなく、ただ彼女を助けたいという思いが強くなっていた。泣きそうな顔も恐怖に怯える顔よりも、笑っているのが一番似合うのだから。
「……必ずお前を助ける、アイリス」
****
たどり着いた封印の洞窟でクリスタルを入手し、襲いかかるデモンズウォールを退けてどうにか出口付近まで戻ってきた。
普段はパーティの一番後ろを歩き周囲に注意を払っているのに、今は肩を叩かれねば仲間たちとの距離が離れていても気が付かない程度には気がはやっていた。
「カイン、カインってば!」
「……あぁ、なんだ?」
「なんだ?じゃないよ。焦っても仕方ない、ここは慎重に進もう」
振り返れば自分を呼び止めるセシル、そしてその後ろには続く戦闘に疲弊した仲間がいた。だがのんびりしている訳にはいかない。こうしている間にもゴルベーザの手はすぐそこまで迫っている。
「しかし、」
「気持ちはわかるわ、私達も同じよ」
でも、と言葉を濁しローザは目を伏せて最後尾を歩くリディアとエッジに視線を向ける。黒魔法に対して反撃するデモンズウォールを倒すべく召喚魔法を使ったリディアは見るからに消耗していた。初級魔法の一つも使えない自分にその辛さはわからないが、アイリスはいつも魔力が減ると辛そうにしていたのを思い出す。エッジが彼なりに気遣うように隣を歩き軽口を叩くのが少々鬱陶しそうだが、それに言い返す元気もないようだ。
こちらの視線に気付いたリディアはその顔を上げてエメラルドの髪を揺らし歩く速度を早める。無理やり明るく振る舞っている姿に罪悪感が湧いてくる。
「私は平気よ。それより、みんなの友達を助けなくっちゃ」
「リディア…。無理はしないで頂戴。あなたの召喚魔法がなければ無事にドワーフの城へ帰れるかもわからないのよ」
「大丈夫。だから急ぎましょ!」
「ローザの言う通りだ。無理はしてくれるな」
すまなかった。素直に口にすると忍びの王子さまから揶揄う言葉が飛んでくるが鼻を鳴らして受け流す。生憎自分にも彼に構っている余裕はなかった。ズキン、締め付けるような頭の痛みは出口に近づくほど強くなっている。奴が近くにいる。
《カイン…帰って来い、カイン…》
「…うっ…」
「カイン?」
「いや…なんでもない」
一等強い痛みと共に響いてきた声に思わず立ち止まり額を抑える。支配されかけた身体を気力で引き留めて槍を握る手に力を込めた。
《そのクリスタルを持ち、私の元へ…》
「なんだ?…ゴルベーザ…!」
闇の中から姿を現したゴルベーザはこちらへ近付き威圧的に見下ろしてくる。クリスタルを入手し、疲弊した俺たちを待ち伏せてこの好機を伺っていたというわけか。
「久しぶりだな、カイン。いや、我が僕」
「ふざけるな!俺は貴様の思い通りになどならん」
「ほう、それは残念だ……ならば」
予想通りだったのか驚いた様子も見せない。ばさりと大きな音を立てて翻ったゴルベーザの外套の影から現れた小柄な人影に目を奪われた。
「お前にはここで消えてもらおう!」
さぁ、アイリス。低く冷たい声がその名を呼ぶ。アイリスの髪を奴が撫で、隣に寄り添うように立つ姿に怒りにも似た感情が渦巻いた。
「アイリス、無事だったんだね!」
「待ってセシル。様子がおかしいわ」
虚な目で杖をこちらに向け、その口から魔力を紡ぐ呪文が流れる。瞬くよりも早く彼女の周りの空気が凍り、大きく鋭い結晶が作り出される。それは寸分違わず自分に向けられているというのに、にわかに信じられなくてアイリスを見る。
「そんな、ダメよ!…サイレス!」
ローザの魔法によって言葉を封じられたアイリスの紡ぐ呪文が途絶え、はくはくと動く唇からはわずかに空気が漏れるだけになる。大きな氷の塊はパラパラと光を反射して砕け散った。ゴルベーザの手が掲げられ、それに合わせるように杖を放り投げたアイリスは腰に提げたダガーを掴み、まるで彼女とは思えない身のこなしで一気に間合いを詰めるとその刃物を首元目掛けて突き出した。
「くっ…、一体どうしたんだ、アイリス!」
細い手首を掴めば動きは止まる。それでも表情すら変わらないアイリスはまるで精巧な人形のようだと思った。
「アイリス、俺がわからないか?カインだ!」
「……」
「…聞こえているんだろう?」
青く鈍い光を灯す瞳を覗き込んで幾度もその名を呼び掛ければぴくりと掴んだ腕がわずかに反応する。そしてその瞳は澄んだアメジスト色へと変化した。彼女の魔法の色は大きく見開かれ、力の抜けた手からダガーが滑り落ちると共に小さな唇が震えた。
****
遠くでわたしを呼ぶ声が聞こえる。憎しみの篭ったあの声が聞きたくなくて、暗い闇の中で耳を塞いでいたわたしに届いたそれは、ずっと聞きたかったあの人のもの。聞こえてるよ、カイン。ちゃんと届いてるよ。
久しぶりに覚醒した意識。そのときわたしは大切な人へ刃を向けていた。食い込むほど強く掴まれた手首が痛い。竜の兜からわずかに覗く瞳に映るわたしはどんな顔をしていたのだろう。その名を呼ぼうと口を開いても音を紡ぐことは出来なかった。
「…っ」
カイン。声が出なくとも、その名を呼ぶように口を動かすと彼はそれに気付いてくれた。金属音を響かせてダガーが地面に落ちる。
「アイリスよ、その男を消すのだ」
「…っ…」
嫌だ。首を振って抵抗しても手がダガーの方へ伸びる。手首に揺れるブレスレットが強く光っている。
ーお前を必要としているのはその男ではない。
暗い声が再び支配しようとするのを跳ね除ける。そんなことは関係ないのだから。抵抗すればするほど頭に響く声は大きくなり、割れるような痛みに耐えきれなくてしゃがみ込む。ついにダガーを拾い上げたわたしはカインを斬りつけようと腕を大きく振りかざした。
「ダメよ、アイリス!」
「カイン、アイリスから離れるんだ!」
「……そうはいかん……くそ!」
カインはセシルからクリスタルを掴み取る。どうして、まさかまたゴルベーザに操られてしまったのだろうか。先程からカインの意識を支配しようと魔力を送り込むゴルベーザを睨みつける。カインの俯く顔は見えないけれど、地に片膝をつきクリスタルを差し出す姿はとても正気とは思えない。暗い声が聞こえずとも、自分の中に絶望が広がっていく感覚がする。
「テメー、どういうつもりだ!」
「エッジ、落ち着いて!」
見慣れない装束の男が怒りを顕に叫んでいる。わたしのせいだ。わたしのせいでゴルベーザの手に全てのクリスタルが渡ってしまった。カインが再び闇に染まってしまった。わたしが、弱いせいで。
カインの様子に満足したのか、もうここに用はないと吐き捨てゴルベーザは魔法陣を展開する。しゃがみこんだままのわたしをカインが担ぎ上げ、足下まで広がった転移魔法の光に包まれても抵抗などする気力もない。久しぶりに触れた青い鎧は何も変わらなくて泣きたい気持ちを抑えてそっとその腕にしがみついた。
「大丈夫だ、俺がついてる」
お前をひとりにはしない。その言葉を聞いて弾けるように顔を上げてカインを見た。いつかの夜の景色と今のカインの姿が重なる。
あのときと同じように頭に手を置かれて、その暖かさに心に渦巻いていた不安が全てなくなってしまったような気がした。今ここにいるのは操られてなんかいない、本当のカインであることが嬉しくて、そして何より頼もしく思えた。
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