トランクィッロ04
赤い翼が帰還した。その知らせを聞いたわたしは見張りの兵が引き止めるのを振り払って一目散に飛空挺の発着口まで走った。
列を成して帰還する赤い翼の団員。わたしは彼らが戻るのはもう少し遅くなると思っていた。ミストの村は壊滅的な被害を免れなかっただろう。その復興作業を援助してくるものと思っていたからだ。後から増援を送るのかもしれない、まずは3人の安否を確認したくて祈るように胸の前で組んだ手にぎゅっと力を込めた。
そして、青い鎧を纏った人が担架に乗せられているのが見えてわたしは思わず息を飲んだ。急いで駆け寄ると、気を失っているだけだと近くの兵士に教えられる。確かに、多少の外傷を負ってはいるけれど致命傷は見当たらない。
「よかった…」
手を握れば確かな温もりがある。カインの無事に安心して目の前がじわりと滲んだ。傍にいた兵士を呼び止めてセシルとローザはいないかと尋ねる。その兵士はわたしの顔を見ると迷うように目線を泳がせてから俯いた。
「…すみません、アイリスさん。セシル隊長は、見つけられませんでした…。それとローザさんは今回来てないはずですが」
彼の言葉に目の前が真っ暗になったようだった。なんとか人混みを避けて壁際に辿り着き、ずるずるとその場に座り込む。ミストの村がどうなっていたのかわからないけれど、カインがこの様子なのだからセシルも無傷とは思えない。見当たらなかったセシルを探してローザは1人ミストに残ったのではないだろうか。無茶をする親友のことだから、きっとそうに違いない。
「ミストの召喚士の生き残りを始末しろだなんて、陛下は一体どうされたんだ…」
「おいっ、それ以上言うな…。誰が聞いてるかわからないぞ」
ふとそんな会話が聞こえた。やはり赤い翼に与えられた任務はセシルやカインの捜索でもミストへの援助でもなかったのだ。もう尊敬する陛下はどこにもいないのだと現実を突きつけられた気がした。わたしは見張りの兵に本部に連れて行かれるまでそこに座り込んでいた。
****
黒魔道士団本部に連れ戻された後、すぐにわたしは医務室へ向かった。大切な幼馴染みがいるのだと見張り達をどうにか説得し、医務室の前まで一緒に来ることでなんとか決着した。
カインはまだ目を覚ましていない。医師によると、地震の際頭を強く打ってしまった可能性があるらしい。このまま様子を見れば回復するだろうから安心するように言われて、ベッドの傍に座りその大きな手を握った。いつも頭を撫でてくれる手。子供扱いするようなその仕草は大嫌いだけれど、今はすぐにでも目を覚ましてそうしてほしかった。
「…い、…。…ろ、起きろ…アイリス…」
肩を揺さぶられる感覚でわたしは目を覚ました。目を開けて一番に視界に入ったのは白いベッド。どうやら医務室でそのまま寝てしまったらしい。顔を上げるといつもの竜の兜を付けていないカインの顔があった。頭には包帯が巻かれている。
「カイン!気が付いたのね!!」
「…俺は…、帰って来たのだな」
飛びついたわたしを受け止めながらカインはどこか遠くを見るような目をしてぼそりと呟く。その顔を覗き込んで名前を呼べば首を横に振りわたしの目を見た。
「セシルは無事か?」
「それは…。でも、セシルだってきっと無事よ!必ず帰ってくるわ…」
「そうか…。俺は何ということをしてしまったんだ…!」
「ミストで何があったの?」
それからカインはぽつりぽつりとバロンを出てからのことを語った。
****
「早くミストへ向かおう!」
「ああ、そうだな」
セシルとカインはミストの洞窟入り口で、任務達成を意気込んだ。洞窟内部はひんやりとした霧がかかっていて、見通しはあまり良くない。近くに人影がないかカインは注意を払いながら進んだが洞窟内は魔物が住み着いているだけだった。
〈 引き返しなさい… 〉
「何者だ!」
そして洞窟内を進んでいると突然どこからか2人に呼び掛ける声が聞こえた。濃い霧のためその姿は見えなかったが人間のものではない。武器を構え見渡しても何も見えない。
〈 直ぐに立ち去るのです… 〉
「この声の主が、幻獣なのか?」
〈 バロンの者ですね… 〉
「誰だ!」
〈 ここで引き返せば、危害は加えません。即刻、引き返すのです 〉
「姿を見せないか!」
〈 引き返す気はないのですね…? 〉
「このボムのゆびわを、ミストの村まで届けなくてはならないんだ!」
〈 ならば…仕方ありません! 〉
「霧が集まる…!」
色濃く漂っていた霧が一点に集まり、そして大きなドラゴンへと姿を変えた。洞窟で立ちはだかるミストドラゴンを倒さなければ先には進めない。カインは霧が薄れたあたりを再び見渡したが人の気配はない。襲いかかるドラゴンに意を決して槍を持つ手に力を込める。
「これが幻獣…。止むを得ん、行くぞセシル」
「カイン、準備はいいかい?」
「当然だ」
ミストドラゴンを倒すと洞窟を抜けることが出来た。そしてその先のミストの村へ入り、ボムのゆびわを取り出すとまるでその時を待っていたかのように指輪は光を放ち、中から炎を宿した魔物が飛び出してきた。
「指輪が光る…!?」
魔物から放たれた無数の炎が村中に飛び散り、ミストの村は焼き尽くされてしまった。崩壊する家、燃える木々、逃げ惑う人々。その炎を止める術は2人にはなかった。
「エーン、エーン…」
どこからか少女の泣き声が聞こえた。声の方へ向かうと、緑色の髪の少女が倒れている母親らしき人に縋り付くように泣き崩れていた。
「あれは?」
「お母さんのドラゴンが死んじゃったから…お母さんも…エッエッ…」
セシルとカインはハッと顔を見合わせた。このタイミングで死んだドラゴンは一匹しか思い浮かばない。カインの中でアイリスの話していた召喚士と幻獣の話が目の前の光景と結びつく。
「そんな…ではやはりアイリスの言っていたことは本当だったのか…!この子の母親は召喚士!」
「まさか僕たちがあのドラゴンを倒したから、この子の母親も…」
顔を青くして呟くセシル。その表情は罪悪感に囚われていた。
「じゃあ、お兄ちゃんたちがお母さんのドラゴンを!」
「まさか…キミの母さんを殺してしまうことになるとは…」
「陛下はこの村の召喚士を全滅させようと…」
「カイン、知っていたのか!?」
「ああ。だが、陛下がそんな命を出すとは思わなかったんだ…」
これが優しかった陛下の出した命なのか。目の前で母親に縋りつきながら涙する少女を見ると、自分たちのしてしまったことの重大さがよくわかる。カインはセシルを試すように敢えて槍を少女へ向ける。
「…可哀想だが、この子も殺らねばならんようだな」
「カイン!」
「殺らねば、俺たちが殺られる!」
「子供だぞ!」
「陛下に逆らえるか?」
「こんな殺戮を繰り返してまで、陛下に従う気はないッ!」
まっすぐ、決して曲がらない決意がセシルの瞳に灯る。その目を見てカインは構えていた槍を下ろしセシルの肩をぽんと叩いた。
「フッ、そう言うと思ったぜ。一人でバロンを抜けるなんて、させやしないぜ」
「じゃあカイン、お前も…」
「いくら陛下に恩があるとは言え、竜騎士の名に恥じる真似を出来るわけなかろう。だが、バロンは世界一の軍事国。俺たち二人がいきがったところで、どうにもなるまい。他の国にも知らせ、援護を求めんとな。ローザとアイリスも救い出さんと!」
「ありがとう、カイン」
そして1人残された少女を共に連れて行こうとセシルが近づく。優しく手を差し伸べて一緒に来るように促すが、少女はそれを拒んだ。
「いや!」
「止むを得ん、無理矢理でも!」
カインも少女を捕まえようと歩みだすが、少女は更に拒絶を示した。地面が唸り石ころや土、さらには地表までが浮かび上がり少女の周りに強い魔力のオーラが纏う。
「待ってくれ!」
「もう、いやあ!みんな!みんな、大っ嫌い!!もう、いやーーーーッ!!!」
****
「…そして、とてつもない揺れが起きた。俺が覚えているのはここまでだ」
苦悩に満ちた表情で全てを語ったカイン。少女やミストの村人への罪悪感、セシルを失った虚無感、陛下に裏切られた絶望感。カインはその全てに押しつぶされてしまいそうだった。
「…そう、だったの…。その少女がタイタンを呼んだのね。でもね、カイン。わたしカインが帰って来てくれて嬉しいよ。セシルもローザも帰ってくる。絶対。大丈夫よ」
カインに言い聞かせるように、自分に言い聞かせるようにわたしは大丈夫、と繰り返した。
「…ローザ?」
「ローザはあなたたちを追ってミストへ行ったの…」
本当はわたしも一緒に行きたかった。ローザは1人で大丈夫だろうか、セシルと合流出来ているのだろうか。魔物に襲われてはいないだろうか。弓の使い手としての腕は高いけれど決して彼女は戦闘員ではない。いつまでも1人でいるのは危険だ。ローザがいなくなってしまうなんて考えたくないけれど、最悪の事態が頭を過ぎって自然と涙が溢れてくる。
「無茶なことを…。アイリス、大丈夫だ。きっとセシルがついているだろう」
「…うん、そうだよね…?」
泣くな、と優しく目尻を拭われる。カインは声を潜めてわたしの名を呼び耳元へ口を寄せた。
「このままバロンにいるのは危ない、俺は回復したらすぐにでも国を出る。お前も来てくれるか?」
「…!ええ、わたしも行くわ」
「お前がいてくれると心強い」
わたしだってカインが一緒なら何でも出来るような気がした。そこで遂に廊下で待機していた見張りの兵が入ってくると本部へ戻るよう促される。カインは誰だ、と怪訝な表情を見せたが大丈夫だと安心させるように笑って見せた。
「じゃあわたしは仕事に戻るね。また来るよ」
カインが回復したら彼らを振り切ってでも国を出る。そしてセシルやローザを探しに行こう。そう胸に決めてわたしは見張り兵と共に執務室へ戻った。カインと話したら心につっかえたものが取れたような気がする。無事を信じていればきっと2人とも大丈夫だから。
青き竜は無事に帰還した。
あと二人の安否を、わたしはただ祈るしかない。
信じるということ(帰って来てくれて、ありがとう)
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