べたつく裸足をフローリングに貼り付かせながらリビングに歩めば、インスタントコーヒーの香りが鼻孔をかすめた。安っぽくて、中毒性の強いいやなにおいだ。グレーのプルオーバーに裾のぐしゃぐしゃしたチノパンツを穿いた年下の男は、おれの冴えないであろう寝起き姿を見留めた途端破顔し、近寄って寝癖を撫でつけた。こうして至近距離になると、実際数センチしか変わらないはずの身長差が誇張されて現れるようで、目の前の機嫌の良さそうなこいつとは全く逆に、気分が悪くなった。

「いい天気だなあ」
薄いカーテンを開けて清々しく伸びなんてものをして見せたそいつを見て、おれの思考は更にいやな方向へと進んでいくばかりだった。差し出されたコーヒーを啜って時計を見遣れば、もう10時を過ぎていた。俺の寝坊を責め立てているのをぼんやりと聞き流しながら、あの唇はほんの数時間前まで俺のモノを啣えていたんだよなあなんて、実に下らない事ばかりを考えていた。頬を真っ赤にして、ぬるい舌で必死におれの様子を伺いながら。そんなこいつにおれもすっかり浮かされて、気付けば口の中に吐き出していた。なのにこいつは全然気にした様子も無く、にったりと笑って唇を拭ったのだった。俺はそれがきっと、ずっと気に入らなくて。

「ほら、早く着替えてよ。本当は混む前に行きたかったのに」
こいつが今日どこに行くつもりだったのかなんておれは知らない。でも、こいつの中ではおれもそこに一緒に行く予定になっていたらしい。本当に勝手なやつだ。また勝手に俺のカラーボックスを漁ってコーディネートなんて無視の洋服を放り投げてくるものだから、仕方なくパジャマ代わりにしていたネルシャツを脱いで足下に落ちたリネンのシャツに袖を通した。適当に投げられた服に着替えていけば、見事にちぐはぐな格好で笑えた。
うわ、だっさ、なんて声に頭では手前のせいだと罵るが、口に出す事はしなかった。さっさと靴を履き終えたそいつは俺を待ちもせずにドアを開けて行ってしまう。慌ててベッドに埋もれていた眼鏡と腕時計とを装着して、ローテーブルの上に散らばるコンビニ袋や中身の無い缶ビールやらの辺りをまさぐってナイロンの財布を引っ掴み後を追った。

案の定そいつはおれを待つなんて事はせずに先を歩いていたようで、遠くのもう葉桜もいいところの桜の木の下を歩いていた。おい、と呼び掛ければ呑気に振り返って遅いよーなんて叫んでいる。

おれは今日お前の予定に付き合うなんて聞いてないし付き合うとも言っていない。なのにどうしてさも当然のように前を歩いているんだ。何故。
お前の口から、好きだよ、という言葉をおれはまだ聞いていない。なのにお前は当然のようにおれの上に跨がって顔を上気させて、そして翌朝にはけろっとしておれの頭を撫でつけるのか。すべてどうでもいいような顔をして桜を踏み歩くお前に、どうしようもなく焦がれているんだと知ったらお前はどうするんだろうね。
おればかりがいつまでも惨めにお前を欲しがっている。お前があっさりと踏み越えた線に、おれだけが恐れ蹲っている。はじめてその指に触れた日は、春を共に迎えるなんて絶対に不可能だと思っていたのに。
今では桜なんてアスファルトの排水溝に絡まり、あっさりと姿を消そうとしている。それは逸そ美しいとまでに。
よいこの呼吸


 
2012/05/01

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