濁った無重力の中、発条の切れた玩具に塗れて、生きながらにして死んでいる。温い水中は息苦しいが、何故だか窒息死は出来ないようだ。此処が何処なのかなんて事は知らぬ。ただずっと昔から此処に漂って、不透明な眼下に怯えている。一人きり、己の顔も知らずに。

水中に灯る蝋燭は触れてみても熱くなど無く、妖しげにゆらりゆらりと揺れている。そもそも自分は感覚と言うものを知らない。熱い、冷たい、痛い、柔らかい、そんな物は書物の中でしか見た事が無かった。また感覚と同様に感情と言うものも、限られたものしか知らない。書物に記されていた感情の中で一際興味を惹かれたものが、安堵と呼ばれるものだった。それを手にしたとき、自分は、どのような表情を浮かべるのだろう。この胸にとめどなく広がる黒い波も全て拭い去ってくれると言うその安堵と言うものが、欲しくて堪らなかった。
手に取ったブリキの玩具は発条の部分がひしゃげて、その役目を果たせぬ姿になっていた。それを見た自分の今のこの感情は何なのだろうか。涙が流れたとしても濁った水中に溶けるばかりで、自分は自分の感情を知る術が無かった。


「――ねえ。起きて」

頬に走る微かな痛みに、漸く瞼を上げる。見慣れたその顔は息が掛かる距離にまで居て、心臓が速く脈打つのが分かった。

「泣いてる。怖い夢でも見てたの」

分からない。余程深い眠りに就いていたのかまだ覚醒しきらないでいるのだ。
柔らかい体温に包まれて、涙の原因の記憶を辿る事など放棄する。二人で手にしたこの温もりを壊したくなくて、啄むようにキスをして、愛しさを求めた。
温かくて、優しくて、愛しくて。嗚呼、自分は今安堵の涙を流しているのだ。
roba da chiodi


 
2010/10/16

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