彼が愛した楽園

自分の目はいつの間に腐ってしまったのかと最初は疑った。
近所に住む、可愛い可愛いと昔から甘やかし振り回し接してきた少年が、どうにも真っ黒な、塗りつぶしたビー玉のような眼をしていると思ってしまった。
彼と二つほど年の差のある私は、どうしても彼から離れなければいけない期間があることを知っていた。例えば、小学校に入ってからの二年間、中学校に入ってからの二年間。この二年の差がまるで親の仇のように憎かった時期もある。そしてその憎しみは正しいのだと、中学三年になってようやく理解した。その時期は彼を変えてしまっていた。

「頼子さん」

前までは「頼子姉ちゃん」と呼んでくれていたその声色は、子供特有のものから男のそれに変わった。

「ほら、子供じゃないんだから」

照れながら言っていたその台詞は苦笑交じりになって、差し出してきた掌も大きく硬いものになった。
ここまではいい変化だ。成長の証、喜ばしい物。たくましくなったその背中を叩いて大いに笑ってやった。つられて彼も笑っていた。そして痛いです、と軽く文句を言った。
そして、いつも通り、久しぶりの、二年ぶりのいつも通り、彼の家の前で別れる。
私の家は彼の家の数メートル先にあった。だから、私が彼の少し先を行く。「じゃあな」そう言おうと振り返った時に、その眼を見てしまった。
名残惜しそうに、なぜ離れてしまうのかと問う子供のように、ピクリと動くことなく私の方を見ていた。その日も、次の日も、その次の日も、だ。
あの目をして、黒いビー玉、何も反射しない球体。
そうなる距離も探ってみた。離れなければ勿論あの目にはならない。一歩、二歩、三歩、四歩、ちょうど五歩目。そこで振り返ると彼はその目になって、じっとこちらを見つめてきた。人ごみに紛れてしまうとその距離はもっと縮む。いつも一緒だとすぐわかった。

「敬治」

そしてわかる。話しかけてやれば、きっとその目はやむのだろう。なんですか、頼子さん。なんていつもの調子で呼ぶのだろう。だが私はそんな簡単なことも出来ずに、家に向かって駆け出した。
怖かった、のかもしれない。私自身、よくわからなかった。
次の日の朝、何もなかったようにいつもの顔で朝の挨拶をする彼がいるせいで、夢だと思い込んでいるのかもしれない、きっと思い込みたかったのだ。だが夢じゃないこともとっくにわかっていた。最初から分かっていた。

「頼子さん」

半径五歩。彼と私がいればなりたつ彼の天国。
無駄に文芸部なんかに籍を置いているものだから、想像がどんどん膨らんでいく。
天国なんて縁起でもない。馬鹿らしい。そんなことを考える自分が気持ち悪い。シャーペンでさらりとメモ書きした紙を、ぐしゃりと握りつぶして捨てた。ああ、彼がやってくる。わたしを迎えに、あの目じゃない、きらきらとした目をしてやってくる。

「頼子さん」

ほぅら、来た。いや、来ていた。
少し怒ったような顔をした彼が椅子に座る私を見下ろしている。気付かなかった、考え事をしていた。そういうと、彼は少し意外そうな顔をする。

「何考えてたんです」

「そうだな」

言っていいものか、悪いものか。

「お前は、天国って信じるか?」

言ってから後悔する。少し唖然としてから彼は少し唇を動かし、にっこり笑ってこう言った。

「そこにあなたがいるのなら」

ああ、愛しているのだと思った。




「彼が愛した楽園」

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