僕の足をあげる

偶然、町でそれを見かけた。
ただそれだけの理由だった。
何かの記念日でもないし、祝い事があったわけでもない。
ただふと目に留まって、気に入ってしまったから。
そう言うと、彼女は小さくため息をついて苦笑した。
買ってきたものを手に取り、表面の革を撫でる。
今日、赤い靴を買った。
赤と言ってもそこまで派手ではないけれど、葡萄酒色をした靴。
外出が稀な彼女にとって、靴などいらないのかもしれなかったが、それでも。
「似合いそうだったから」
それだけだった。
どうしてだろう、こんなに惹かれたのは。
白や黒、シックな色合いしか好まない彼女に、まさかこんな色を贈るなんて。
今までなかったのに、どうかしてるのかもしれない。
そう思いながらも、彼女の手から靴を取り上げ椅子へと彼女を促す。
されるがままになる彼女は年齢よりもいくらか幼く見えた。
腰かけたのを確認すると、片足を浮かせて靴にはめ込む。
もう片方も同じようにしてはめ込んだら出来上がり。
想像通りの光景が目の前に広がっているのに、どこか違う。
違和感の塊が目の前に鎮座している。
足りない、わけではない。
これで完成しているのだと確かに思う。
喪失感などではなく、ただの違和感だ。
何かが違うと頭のどこかがしきりに主張する。
どこだろう、どこが違うんだろう、こんなに似合ってるのに。
足から目線を上げて彼女を見ると、少し意外そうな顔をしていた。
どうしてそんな顔をするの、そう聞くと、今日はいつもと違うのね、と返ってくる。
いつもと違う。
そうなのかと首をかしげると頬に彼女の手が当たる。
「ヨーロッパの田舎じゃ、靴は求婚の証なんでしょう?」
気障なセリフでもくれるのかと思ったわ、なんて。
笑いながら彼女は言う。
ああ、思い出した。
確かにこれはらしくない、足りないことが正しいなんて。
「じゃあ、今からこの足を切り落とそう」
汚い奴らが君に触れてしまう前に。
赤い靴はきっとそのための目印なんだろう。
斧を持って、踊ってくる君を待とう。
そして君が来て足を切った後は、ずっと一緒に暮らそう。
ああなんて醜い願いなんだろう。
こんなのが僕らしくてお似合いだ。
森の奥の奥に住む、一人ぼっちの首狩り役人。
粗末な小屋の中で斧を磨きながら、カーレンの足音を待っている。
「そうしたら一生囲ってあげる。足は捕まえて、ガラスケースにでも飾っておけばいい」
足の甲をするりと撫でて、ついていた片膝をあげた。
手を差し出せば取ってくれて、立ち上がれば二三ステップを踏む彼女の腰に手を添える。
ヒールを裸足でかわしながら、家具の合間を縫ってくるくると回る。
かわしきれずに踏まれた足は、ところどころ赤紫に染まった。
足の側面は抉られて、赤い筋から血が湧き出る。
「それなら、その足も切り取って同じケースに飾ってあげるわ」
痛みの麻痺しだした足は段々動きも鈍くなって、そのうち感覚もなくなるんじゃないかと思った。
「その赤い靴、とっても素敵よ」

さあ黒の服で礼拝に出かけよう。
こっそり履いた赤い靴を神様の前で自慢げに鳴らして。
おばあさんは死んでしまうけれど、僕はずっと待っているから。
斧が錆びないように研ぐことは忘れないで。
もし踊りつかれた君が泣いてしまったら。
「僕の足をあげる」
なんてことはない。
ただ消えることのない約束がほしかっただけ。

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