君の酸素で呼吸する

ただ見ているだけ、同じ空間にいるだけで十分だったんだ。
窓も電灯もあるのに真っ暗な部屋で一人膝を抱えながら、首を横へ向けて落ち着く体制をとる。
少し息が苦しい。出来るだけ呼吸の回数を減らして、時折口から洩れる空気の音を聞いていた。
ひゅー、ひゅー、聞いているのに飽きたら、先ほど思ったことに思考を切り替えて閉じこもる。
そうだ、それで、ただそれだけで十分だったんだ。
それは今思い返してみても間違いではないし、寧ろ確かだろうと思う。
ただ見ることが出来る、同じ空間に存在できるだけで十分で、それ以上を望んだことなんて一度たりともなかった。
それを口に出してしまえば、人は口を揃えて「つまらない人間だなお前は」と僕を嘲笑った。ケラケラ、嫌な声が耳に触れてくる。
嫌だなぁ、とは感じるものの、決して怒ったりはしないところも人からしたら僕を「つまらない」と思う要因の一つらしい。
僕は感情が少々乏しい。そのほんのちょっぴりの違いを探し出してきて、人はあれやこれやと傷つけようとしてくる。特に何も感じないけれど。
その人の中で、何故かあの人は違うと思った。そう、珍しく開いた心の奥底が感じてしまった。
あの人に対して感じたその感情は、人が言うどんな感情とも違う気がして、どれだけ本にを読んでも見つけ出せなくて、僕は首をひねった。
一番近かったのは、眩しいという(感情)。近いというだけで、それだと断定するわけではないけれど、とにかくそれが一番近かった。
太陽のような人、そう例えて口に出すと誰に聞かれているでもないのに恥ずかしくなる。あの人に関してのみ、僕の感情は豊かだった。
あの人の光から、人らしく生きるための何かを貰ってるんだ。きっとそうに違いない。そう自己完結。
あの人の光を遠くでひっそり浴びて、生きるための養分を得る。
まるで植物にでもなった気がしていた。酸素を吐くことも出来ない欠陥品であったとしても、見目で人を癒すことも出来ないのだとしても。
そうか、僕は植物だ。だから人のような感情もないし、光を求めるし、求めても動けない。僕の足は地面にしっかり根を張っていた。
そう気づいてから僕の世界の見方が変わる。あの人が視界にいるときだけが僕の昼で、それ以外は真っ暗な夜なのだと。
夜は昼に浴びた光の温かさを思い出しながら、涙が出そうになるのを肩を押さえて耐えるのだ。植物でも水がなければ生きられない。涙をこぼすなんて命とり以外の何物でもない。
時々思い出すように光がほしくて寂しくなるのは、肩から伸びた二つの椛か、地面の根を見ている時だった。
この椛があの光に触れることはないし、この根が地面から離れてくれることもないのだ。そうしみじみと考えてしまうからだろう。
何で自分は人じゃないのだろう、何であの人を見てしまったのだろう、必要としてしまったのだろう。目玉に抉り出してやろうかと思うほどの憎悪が湧く。
その度に胃からせりあがってくる何かを感じて、しばらく洗面器に伏す羽目になるのだが毎度そのことは頭から抜け落ちていた。
豊かになった感情は、ただ以前はすっきりと整理されていた頭の中身をごちゃごちゃにかき混ぜてラベルを張り替えてわからないものまで詰め込んできただけだった。
自分が人なのか、それとも植物なのか、その境界すら曖昧にしてしまうほど、まるで幼稚園児以下の頭にさせられてしまった。
だから最初、あの人のことも幻覚かと思わされたのだ。もうすっかり懐かしく思えてしまう、秋も深まってきたあの日のこと。


「苦しい」

あの人は僕の部屋の扉をノックもなしに開いては、ただそう呟いた。絞り出したような、本当に小さな声でそう言った。
一歩、一歩、どこかおぼつかない様子であの人は部屋の中に入ってきて、僕はその眩しさに目をやられた。痛くて涙が出てくる。夜がいきなり昼になったものだから、慣れなくて何も見えない。

「苦しいんだ、***」

僕の名前、覚えてくれていたんだね。君とは話したことも、名乗ったことすらなかったのに。ただ見ていただけなのに。
苦しい、苦しい。そう繰り返し続けていた彼はふいに足を止めて、よく見てみれば僕の座り込んでいたベッドのすぐそばにまで来ていた。
そして僕はもう癖にまでなっているかもしれない体育座りの姿勢を解いて、呆然としたときのような膝立ちの姿勢を取る。
あの人の顔が、ベッドの高さも助けになって、ほんの少し上くらいまでに近くなる。最後に見た時と変わらない綺麗な顔をしていた。
だがその綺麗な顔は幾分か青白くなってしまっていて、重い不調が見て取れるほどだった。それを隠すこともなく吐露する、こんな僕に対して。

「苦しい、だから、……助けてくれ」

突拍子もないことが起こり過ぎていて、僕の頭は簡単に限界を迎えてしまっていた。ついに妄想癖すら目覚めてしまったのだろうか。
はっとして、気付いた時にはあの人はもうその場所にはいなかった。だからと言って視界の中から消えてしまったわけでもない。
本当に目の前にいたのだ。一番ひどい所をあげてしまえば、唇と唇の間には隙間が一ミリたりともなかった。
翻弄されっぱなしの時間が始まってしまった、そう思ったのはその時間を終えて少し時間を空けてからだ。
まず息が苦しい、実は初めてだったと告白してしまえば、息の仕方すらわからなかったことも納得してもらえるだろう。
それに無駄に暑い。距離は近いし、口腔の中に舌をねじ込まれてしまえば相手の体温を何もはさまずダイレクトに感じてしまう。眩しいものはやっぱり熱かった。
主にその二つ、それに快楽をほんのちょっぴり加えて、それらで出来た雲が頭の中に黙々と充満していくのを感じた。
何を考えようが雲に邪魔されて、絡め捕られて、どこかへふわふわと飛んで行ってしまう。さよなら、と見送るしかできることはない。
その時間は何分ほどだったろうか、それともたった数秒のことだったのだろうか。チュッ、と可愛らしい音を立てて唇が離れていく。
僕に残されたのは荒い息と上がった熱と早い鼓動、与えられたのは上がった熱に対して少しひんやりして感じる空気だけだった。
僕をそんなにしたあの人は先ほどまでの不調が嘘だったように満足そうな顔をしている。遊ぶように一度、二度と、僕の唇を撫でた。
ああ、恥ずかしい。今更出てきた羞恥心がぼろぼろと涙腺を壊しにかかり、顔を赤くさせ、ふいと顔をそらしてしまう。
体制を元の、殻にこもるように膝を抱えた姿勢に戻して、顔も見ないで、どうかしたのか、なにかあったのかと問いかける。
そんな問いかけが出来るような仲でもないことは十分わかっているのだが、問わずにいるのもだいぶ心地悪いものなのだ。
答えないなら答えないでそれでいい、ただ僕があの人に対して「問いかけた」ことが大事だった。あの人からしたらどうでもいいことだろうけど。
だから僕も、どんな答えが返ってこようがどうでもいいと、そう思う事にしようと決めていた。それはもう固く。

「                    」

でも聞こえた言葉はその決意すら粉々に砕いてしまうほど衝撃的なもので、もう今となっては何と言われたのか正確には思い出せない。
ただ今まで無表情なところしか見たことがなかったから笑顔なんて新鮮で、目が痛むのも構わずにずっと眺めていた。

「いいよね、***。お願い」

お願い、という割には、語尾に強制させるような響きがしっかりとくっついてきている。断る気はないが、どこかちょっとひっかかっているようだ。

「いいよ」

僕は首をかしげるような、少しわざとらしい仕草をしながらゆっくりと落とすように言葉を吐きだした。

「君が連れ出してくれるなら」

伸ばした椛は赤くなく、もはや真っ白に近かった。もう一度姿勢を解き、抱きしめてくれと甘えるようなポーズをとる。
あの人となら僕は歩けるだろう、でもそれをしないのは、僕の心を決めつけるあの人へのちょっとした仕返しなのかもしれない。自分でもよくわからない。
あの人の首に回る僕の手と、僕の背と膝裏に感じるあの人の手と。それらに支えられてようやく、僕はお願いを聞いた。


あの人は一言「怖かったんだ」と僕に言った。骨が折れそうなほど力を込めて僕を抱きしめながらそう言った。
僕がいないと生きていけないのだと、だから僕を守る義務があるのだと、あの人は譫言のように僕の耳にささやき続けた。
ああ、そうか。僕もそうなんだよ。一緒じゃないか。一緒にいることが、僕たちの自然なんじゃないか。
いつのまにかそう思うようになって、僕はどうしても最初の僕には戻れなくなってしまってしまったようだ。
見るだけで満足、なんてもう今じゃあ言えない。昔の真実は今ではすっかり嘘に代わっていってしまった。
だから僕はじわじわと君を苦しめる、そうすることで僕自身も苦しくなるのも構わずに。君の酸素を奪っていく。

「***」

「なぁに」

「助けて」


「君の酸素で呼吸する」

(全て納得した後の口づけで、僕はようやく息をした。)

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