制限時間付きの愛

「またやったの」

小さな机の影と畳の匂い、散らばった原稿用紙の立てる音に小さく丸まった男の漏らす嗚咽。
そんなものばかりな部屋に、挨拶がわりの言葉を投げ込んでから、あたしはずかずかと踏み込んだ。

「前も聞きましたけどね、先生」

しゃがみこんで、足元の原稿用紙をガサガサとかき集めて、振られた番号の順に並び替える。
何十枚何百枚と、量がある分にはいい。手間だが難しいことはないから。
だがしかし

「折角書いたものを破くのって、どんな気分?」

用紙の半分ほどは、大きさがまちまちだ。二分の一、四分の一。手で破かれたのか断面は汚い。
今からこの紙でパズル大会だ。ちなみに三回目の開催になる。

「さ、さや、さやちゃん」

顔をあげて、鼻を啜りながらもなんとかあたしの名前を呼んだ先生は、やめて、と呟いて首を振った。
どれだけ泣いていたのか、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。原稿で拭かれたらたまらない。
大会会場の半径を少し小さくするけれど、やめる気はさらさらない。
わざわざ先生によく見えるように移動して、低い声で宣言する。

「嫌。あたしが読む前に破いたのが悪い」

先生はまた顔を伏せて、鼻をすすっていた。
私は三回目といってもパズルに悪戦苦闘。細かくちぎられてピースが多いと進みが悪い。
早く早くと自分の手を急かしながら一枚ずつ片付けていく。
十分、三十分、一時間。
時間がたつにつれて形を取り戻しかけてきた原稿の束を見て、先生はまた泣いた。そして「ようやくここまで来たのに」と恨みがましくあたしに言ってくる。勿論あたしは無視を決め込んで作業を続行。
そんなことを言っている先生だけど、最後のページが完成したらしたで、どこか嬉しそうに、頬についた涙を拭くのも忘れてふにゃりと笑うのだ。そして、自分で破いたくせにおかえり、とでも言う風に束の表面をさらりと撫でる。
矛盾していた。

「読んでいい」

「いいよ」

質問ではない、ただ形を作るだけの言葉を交わしてからあたしはその文字たちと向き合った。
現在昼の一時、日がくれるまでには読みきるだろう。読むのが早いのはちょっとした自慢だ。

「別に、今日読みきらなくてもいいから」

そんな声が聞こえた気がしたけれど、それに返事をするあたしは既にいなかった。

* * *

ごろりと目の前に寝転がった彼女はピクリとも動かなくなった。
話しかけても何も返ってこない、それほどまでに自分の書いたものに没頭してもらえている。そう思うと嬉しくて恥ずかしくて、少し寂しい。

「構ってよ」

そう言ってみても反応はない。そんなことは前からもうわかっている。
じゃあどうしよう。
頬や顎に伝う滴を手の甲で拭いながら考えた。
元々していた作業はすっかり中断させられてしまったし、家事も朝粗方済ませてしまった。構うペットがいたらとは思うけどそんなものはいないし、散歩に行くにもこんな状態の彼女、さやちゃんを一人残していくわけにもいかない。

「詰んじゃった……」

これはもう寝るしかないな。
諦めて横になればすぐ隣にはさやちゃんがいて、きれいな顔がすぐ近くに見える。
すべすべしてそうな頬。触ったら怒られるかな、流石に気づかれそうだな。なんて思いながら、指を組ませて手を腹の上に置く。
そうすると静かなせいかすぐに眠くなってきて、頭のなかに靄がかかった感じになる。
そんななかで考えるのは、彼女が今読んでいる小説のこと。
どんな話だったか、どんな子達が出ていたか、すっかり全部忘れてしまった。
書ききったばかりのお話のはずなのに、こんなに僕は忘れっぽいやつだっただろうか。
ちらりと彼女に目を向ければ、破れたものを繋いだページを読みにくそうにしている。
ごめんね、と小さく呟いたが、やっぱり返事は返ってこない。
目を閉じて、まぶたの裏で夢に落ちるのを待つ。
そして、落ちた先の景色に見覚えを感じて、ああ、と声を漏らす。
みんなみんな、死んでしまったね。
焼け野はらと血だまりが僕を待っていた。

* * *

お話を読みきる頃には外はもう暗かった。四時間ほどで読みきるだろうと思っていたのに、既に六時間が経過している。外の暗闇を見て、これはもう泊まっていこうと勝手に決めた。
外灯の光が差し込んでくる以外何もない室内は、窓があいているせいか少し寒い。
先生は寝てしまっているのだろうか、手探りで紐を探し明かりをつける。
眩しさに目を細めながらもすぐとなりに見つけた先生にはやっぱり意識がなく、それなのにだらだらとまた涙を溢していた。その量は半端じゃない、これはひどい。
顔を横に向けているせいでその滴はすべて畳に落ち、色を変えるばかりか嫌な湿った匂いがする。

「せんせ。せーんーせー」

とりあえずこのまま寝かせておいても仕方がない。肩と鼓膜を揺らしてやると、よく見れば整った顔の眉間に皺が刻まれ、開いているか開いていないか曖昧な薄さで目が開く。
あたしはそのまま先生の隣にどっかりとあぐらをかいて座り、読み終わった原稿を抱いていた。
どうせまたこれは破られてしまうんだろう。そうしないと、先生は書けない。

「破って……」

ほらやっぱり。かすれた声でお願い事がやってくる。しょうもないお願いだ。もうすっかり馴れたけれど。
いいのか、後悔しないのか、既に答えのわかりきった問いかけをすると、何回目か数えるのも諦めたがまた先生は泣いた。ポロリと、二三粒、大粒の滴を溢す。

「もう、殺したから……」

もう読まないし読めない。
そこまで聞くとあたしは遠慮なく原稿を破った。一回、重ねてもう一回、さらにもう一回、出来るだけ細かくしてやる。
ここにもう先生の「子」いないらしい。ならもう大事にする価値はない。
破り終わるとぽいと捨て、元のように畳の上に散らせた。
紙吹雪だ、と笑う先生は可愛かったけれど、きっとまだ半分寝ているのだろう。
ぽんぽんと肩を叩いていると、段々目が覚めていくようだった。少し震えて、ゆっくりと私の胸に顔を埋める。
そんなにない胸と痩せてかたい腕で抱き締めてやると、耳に先生の声が流れ込んできた。
ごめんなさい、やら、許して、やら、誰に言っているのかよくわからない謝罪。でも声は真剣そのもので、胸に濡れた感触が広がっていく。

「よく泣くね、先生」

「……なさけない?」

泣いている理由を簡単に言うなら、よくも悪くも一途だからだ。この人は一つのものしか愛せない。二つをとれば二つを傷つけることを知っている。だから、二つが犠牲になる前に片方を捨ててしまうのだ。捨てる神あれば拾う神あり、という言葉を信じきって。
だからこの人は、子を生むために子を殺す。殺した子は、読者の中で生きるんだと割りきって、自分の中からは消してしまうのだ。そのとき出来た血だまりで、この人の心は悲鳴をあげる。

「やめちゃえばいいのに」

そしてあたしは、こんなに真面目な人にひどいことばかり言う。
不毛だと無駄だと諦めろとやめろと、挙げ句には閉じかけた傷も無理矢理こじ開ける。今回のように。

「愛してるんだよ」

背中に回る先生の腕に力がこもる。肺の中の空気を吐き出して、ああそうかい、と呟いた。

「あたしも好きだよ」

何を、とは言わない。
例え次が来るまでの間だけだとしても。


「制限時間つきの愛」

(きっとそれはとても短い)


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