深淵に咲く憎華 | ナノ
Original - n
Dahlia

目が覚めて時計を見ると昼過ぎだった。
瞼を擦り気怠い体を起き上がらせた瞬間、首に痛みが走って昨夜の事を思い出させられた。
そして日の光が差し込むようになって部屋の惨状に気付いた。

「……きたない」

ベッドの上や床の上が泥だらけだ。
暗闇でよく見えてなかったけど、あの男はかなり汚れていたのでは。
寝起きでぼんやりとしているうえに細かいことを考えることを放棄した頭では、部屋の汚さについて考えることでいっぱいいっぱいだった。
今は他の事を考えたくなかっただけなのかもしれないが。

「――おい」
「ひゃいっ!!」

ぼんやりとしていたら急にドアがノックも無しに開かれた。
思い切り開けられたわけでもないのに、昨日の今日なので男の声にびくりと肩を震わせ思わず変な声をあげてしまった。
そしてその瞬間一気に目が覚め顔は真っ青になり手が震える。
変な対応をして機嫌をそこなうような事をしたら殺されるかもしれないと思ったからだ。

「起きたなら早く着替えてこっちに来い」
「は、はい、急ぎますごめんなさい!」
「逃げるなよ?」
「逃げないですっ!」

開いたドアから少し顔を覗かせた男は、やはり髪で顔が隠れていて顔が見えないので表情がわからない。
表情が見えないと言う事は、男の怒りの度合いもわからないので、些細な事にも気を使い注意をしなければならないなと着替えながら考える。
もしも上手く抜け出せても男に追いつかれず街まで行ける気がしないので、まずは出来る限り男の情報を集めた方が良さそうだ。

着替えを済まして、頬を両手で挟み込むように叩き気合を入れる。
そして深呼吸をして、いざ参る、と死地へ赴く兵士の気持ちで部屋を出る。
するとなぜか空腹感を刺激する良い香りに包まれた。
考えもしていなかった事に驚き戸惑っていると、私のお腹が代わりにぐうと声を上げた。

「起きるのが遅い」
「す、すみませ…ん」
「食うぞ」
「え――」
「毒がとか言い出したら怒るからな。いいから座れ」
「…は、い」

良い香りで私を誘惑するのは、ダイニングテーブルの上にある野菜スープとトースト、そしてトーストの上に乗せられた目玉焼き。
小皿にはサラダが取り分けられており、色合いもバランスも良いメニューだ。
普段から朝食は前日の夕食の残りを食べていたが、それでもこんなに豪勢なものではなかった。
状況が状況じゃなければ「美味しそう!」と大喜びで食べていただろう。
そもそもある程度は貯蔵してあるとはいえ、二人分も作った上にこんなに一気に食材を消費したらすぐに足りなくなってしまうだろう。
健康的ではあるが、誰が負担をするんだと思ってしまう。

心の中で溜息をついて席に着く。
得体のしれない汚い人間の作った料理等今すぐにでも捨ててしまいたいが食材に罪はない。
そもそも何種類かの野菜は自家栽培なので、毒が入っていたとしても捨てるなんて出来ないだろう。
自家栽培の野菜を丁寧に扱ってくれたことは嬉しいが、納得はいっていないし、そもそも何故頼まれてもいないのに料理を作ってしまったのだろうか。

「先に食うぞ。……いただきます」

美味しそうな料理を前に鳴りやまぬお腹を無視して考えていると、私が食べるのを待つのに痺れを切らした男が先に自分の分を食べ始めた。
男が料理を食べている様子を見ている限りでは、毒は入っていなさそうだ。
しかし取り分けた私の文にだけ入れている可能性だってある、そもそも無駄に丁寧に作ってあるところが怪しい。
いかにも食べてくださいといわんばかりに丁寧に作られているであろうスープは、その辺のお店で出てきてもおかしくない位見た目も香りも良い。

「…………」
「う……い、イタダキマス…」

疑い迷うも、空腹具合と男の視線と威圧感に耐えられなくなって食べざるを得なくなってしまった。
恐る恐るスプーンでスープをすくい、「どうとでもなれ!」と覚悟を決めて口に含む。

そうして入っていた毒により私はこの世とおさらば―――なんてことはなく。

「――なにこれ、凄い美味しい」

寧ろ想像を超える程の美味しさだった。
野菜はほろほろと口の中でとろけ、スープは野菜の旨味が凝縮されていて味付けも絶妙だ。
寧ろその辺のお店なんか非にならないんじゃないかというくらい、とにかく美味しい。
トーストをかじってみれば、素晴らしい焼き加減に、目玉焼きは蕩け過ぎずでも固まりすぎでもないという程よい半熟。
サラダはといえば、よく見るとかかっているドレッシングは手作りのオニオンドレッシングのようだ。
どれくらい美味しいのか、ドキドキしながら口に含めば、脂っこくなくすっきりした味にさらりとした舌触り、玉葱は殆どが均一の大きさでみじん切りにされていてサラダの食感の邪魔をしない。
それぞれが、それぞれを邪魔しない味付けで、どの食べ方をしても問題無いようになっているのに、食べてそれで美味しかったねハイご馳走様という風にはならず後に美味しいという気持ちがずっと残る。
こんな所で人に強引に匿わせるような暇があるのなら、どうにかしてどこかの街で店でも出した方がよっぽどマシな人生を歩めるのではないだろうか。
まだその方が、好意的に匿ってくれる協力者も募る事ができそうだ。


「――ご馳走様でした。その、凄く美味しかったです…」
そんなことを考えつつも、あまりの美味しさに手が止まらず、気付いた頃には綺麗に完食してしまっていた。

こんな状況なのに我を忘れてしまったという思いと、仮にも男性の目の前だというのにがっつり食べに食べつくしてしまった事の恥ずかしさで、ここに穴があったら今すぐにでも入ってしまいたいと強く思った。

「おう」
「……あの、片付けますね?」
「ん」
「…………」

それにしても、と洗い物をしながら考える。
先ほどはあまりにも料理がおいしかったので気にしていなかったが、よく見るとリビングには汚れがない。
しかもよく見るといつの間にかシャワーを浴びたらしく髪も綺麗だ、というか勝手に色々使われたのかさらふわヘアーになってる気がしないでもない。
ただ服が汚いままなので、あんまりシャワー浴びてきた意味がないんじゃないのだろうか、水の無駄遣いはやめてほしい。
しかし思ったよりも悪い人ではないようで、少しは安心出来そうだ。
本当に悪い人なら部屋の掃除や、私にご飯作ってくれたりするはずないだろうし。
まあそれが自分に対しての対応をよくするために行っている可能性もある訳だけれども。
そもそもマイナス百点が一点二点とちょっとプラスになったからって対して変わる訳ではないので、私からしたら好印象を抱く程ではない。
好印象を抱いてほしいのなら今すぐにでも出て行ってほしいものだ。

「えーと……」

洗い物が終わって時計を見ればまだ起きてから一時間程度しか経っていない。
普段なら畑のチェックや用具の手入れ等やることが沢山あるためすぐにでも作業に取り掛かりたくはあるのだが、いかんせん昨日までとは全く違う、私の生活に異質なものが紛れ込んでしまっているのでどうすればいいのか困ってしまう。
立場的には立て籠もり犯と人質だろうか。
とにもかくにも、そんな感じで主導権はどちらかというと男の方にあるので、どう動こうか迷ってしまう。
下手に動いて逃げようとしていると勘違いされて殺されてもたまったものではない。
確かにご飯は美味しかったが、だからと言って犯人と人質が良好な関係を築けるわけがない。
机を拭きながら様子を窺うも、やはり髪に隠れていて表情がわからない。
そもそも目を開いているのか閉じているのか、私を見ているのか見ていないのかすらわからない。

「片付けが終わったんならそこに座れ、話がある」
「は、はいっ!」

そんな私に気付いたのか気付いていないのか、それはともかくとしてどうすればいいのかもわからないので大人しく椅子に座った。
話とは何なのだろうか、想像もつかないだけに不安になる。

「まず。俺を匿う事は了承したよな」
「え、っと……その、はい」

いきなり言われた言葉にかなりの不満を感じつつも、素直に答えて逆撫でしても仕方がないので極力不満を顔に出さないようにして肯定する。
何なのだろうか、まるで悪徳商法に引っかかって、金品を請求されているような気分になる。

「よし。じゃあ先に言うが…俺をいつまで匿うか、その期間はないと言ってもいい」
「ない…?それって、ずっと、って、ことですか…?」
「まあ、そうなるな」

頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲った。
匿うって事だからいつかはいなくなってくれるのだろうかと淡い期待を抱いていたが、まさかずっとここに居座られるとは。

それはつまりほぼ永久に私は人質状態ではないか――

それはいけない、早く逃げなくては。
必死に考えを巡らせる。
逃げると言っても、本当に逃げ切る事ができるのだろうか?
さすがに色々な策を考えるも体格差等の事もあり、街まで逃げ切れる自信はない。
そもそも逃げ切れたとして、私のせいで街を襲われたら――
もう、いっそのこと殺してでも生き延びるしかないのだろうか。

この家は廃棄してもいいしそもそもこの森は私の領土だから何が埋まっていてもよっぽどじゃない限りはバレはしないだろう。
そもそも匿えといって刃物で人を脅すような人間がまっとうに生きてきた人間のはずがない、それならば殺してでも生き延びた方が良いのでは。
そもそも私を生きたまま解放してくれるとも限らないし、万が一にも開放してくれたとしても下手したら他に被害者が出てきてしまうかもしれない。
ならば私で終わらせるのも正しい行為なのではないだろうか?

――――やるしか、ないのだろうか?

しかし目の前にいる男を改めて見てみれば、私よりもはるかに大きく体つきもそこそこしっかりしているように見える。
これではやられる前にやろうにも、勝てる見込みがなさそうだ。
ならばどうするか――

「――で、」

良くない事を考えていただけに、急に発せられた言葉に思わずびくりと肩を震わせてしまう。
しかし考えていることがバレたわけではなさそうだ。

「俺としては、だ。誰にも俺の存在をバラさずに匿ってもらえるのなら、お前には一切危害も加えないし、なるべく面倒をかけないように心掛けはする。俺に出来ることなら屋根の修理だろうが何だろうが、出来る限りの事ならやってやるつもりだ」

何を言っているんだろうか。
昨晩強盗のような押入り方をしておいて、この人は本当に何を言っているんだろうか。

「まあ、わかりやすく言うならばだ……安心した生活を送るか、怯えて生活を送るかの二択って事だな」
「そ、そんなの…っ!選択肢なんて、殆ど無いも同然じゃない…!」

頭が言葉を理解する事を拒んでいると、言われた事が理解できていないと思われたのか、簡潔に言い直された。
しかし今度の言葉ははっきりとわかりやすく言われたため余計にショックが大きかった。
つい言葉が口から出てしまうが、時すでに遅し。
楯突いた事により機嫌を損ねてしまったかも、と冷や汗が背を伝うも、男は楽しそうにこちらを見ているので恐らくは大丈夫だろう。
無性に腹が立ちはするが。

「そういう事だ。――――これからよろしく頼むぞ」

本日二度目の衝撃を受けた気がする。
もう、なんというか、星が頭の上をくるくるちかちかと回っているような。
頭がクラクラして、もういっそ気を失って倒れてしまった方が楽なんじゃないかと思ってしまう。
こうなった以上、もうこの状況を受け入れてしまった方が楽なのではないかとまで考えてしまう程に疲弊している。
頭が考える事を拒否している。

ああ、もう、何も考えたくない――――

「よ、ろしくお願い…致します…」
「おお、宜しくな。…でだ、さすがにただで世話になろうとは考えていないんだが――――」

男が何か言っている、思考回路が停止状態なので殆どただ返事をするだけになっている。
もうよくわからない。
私は、今後の生活が不安で、今までの生活が恋しくて恋しくて仕方がなかった。

ああ、お願い、誰か私を助けてください――――

願いは虚しく、聞き届ける人もいないこの場所では叶いそうもない。

 − − −

▼ダリア
不安定/気紛れ

2016/03/06:執筆

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