匂へどもしる人もなき 卯ノ花烈が、四番隊にとっては鬼門とも呼べる存在だった十一番隊の隊長である雲雀紫苑と、その許嫁である四楓院ひいづるを大層お気に召しているのは、わりと知られたことだ。 「隊長、何をご覧になっていらっしゃるんですか?」 「ふふ…あちらをご覧なさいな」 縁側に腰かけた卯ノ花に促されるまま、清音もそちらを見やる。と、降り積もった雪のなか、鮮やかな真紅の振袖が揺れるのを見て、清音は頬を弛めた。 四楓院の小さな姫君は、清音が思っているよりやんちゃであそばしたらしい。 「ひいづるちゃんがいらしていたんですね」 清音は運んでいたお茶を卯ノ花へと差し出しながら、その背中を見守る。何やら雪を集めて作っているようだが、あまりにも冷たいのか、上手くいっていないようだった。しかし、いとけなく首を傾げながら夢中な様子は愛らしいもので、清音の心を和ませた。彼女の幼い頃からの主治医でもある卯ノ花は勿論、妹とは年がそう離れていない為に幼子とあまり縁がない清音にとっても、ひいづるは可愛いのだ。 お茶を受け取った卯ノ花が微かな苦みを乗せて微笑した。 「あなたまで風邪を引くからと止めたんですけれどね。どうしても雲雀隊長に雪を差し上げたかったようで」 「…そういえば、雲雀隊長、うちに入院中でしたね」 「まあ、忘れていたんですか?」 「雲雀隊長の病室って隊長とひいづるちゃんしか入れないから、つい…」 卯ノ花が呆れたように溜め息を吐いて、それから、それも仕方ないことかもしれませんねと言った。 雲雀は時折酷く体調を崩す。その原因は風邪の類いであるものの、あまりにも症状が酷いので、大概四番隊の病棟へ入るのだが、彼は人の気配があると眠れない質だ。例外はひいづる以外一切いない。なので、雲雀の入院する部屋の周辺は結界で徹底的に人払いが行われ、ひいづると主治医である卯ノ花以外近づけないようになっている。入院も既にいつものことで、今更仰々しく騒ぎ立てることでもないので、関わることのない清音がそれを忙殺することも当然のように思われたのだろう。 話を反らすように、「ひいづるちゃん」と清音は庭へ下りた。 ややあって、呼び掛けに振り返ったひいづるが、小さく頭を下げる。「お疲れ様です、清音さん」相変わらず年不相応に礼儀正しいのは、やはり育ちの良さからだろうか。 ひいづるの手にある丸い雪玉を見ながら、清音は訊ねた。 「ありがとう。…何を作っているの?おもち?」 「………小鳥、です…」 「え!?あっ、ごめんね!?」 「あ、いや、不器用なのは自覚してるんで、気にしないでください…」 言いながらも落ち込んだひいづるの様子に清音は慌てた。背後の卯ノ花からの視線が痛い。どうにかこうにかフォローしようとして、「あっ」と清音は縁側に置いていたお盆を手に取り、ひいづるへと差し出した。 「ひ、ひいづるちゃん、よかったらこれ使って?」 「え?」 「いつまでも持ってると、小鳥さん溶けちゃうし、手も冷たいでしょう?これに乗せて雲雀隊長に見せればいいんじゃないかな」 悄気ていたひいづるの目が輝いて、ありがとうございます、と笑顔を見せる。清音もほっとして笑顔を返し、雪の小鳥を盆に乗せてせっせと新たに何やら作り出したひいづるから離れ、縁側へと戻った。 「よいところに気づいてくれましたね。あれでは霜焼けになるところでした」 卯ノ花の眼差しも柔らかいものに戻っていた。それに胸を撫で下ろして、清音も縁側へと腰を下ろした。そうして暫く、ひいづるの様子を見守っていると、今までうずくまっていたひいづるが、木の葉や木の実で飾った幾つか雪の塊を乗せて、とてとてと近づいてくる。 「卯ノ花さん、雲雀さんのところ、行ってもいいですか?」 「もうよろしいのですか?」 「はい」 「では、参りましょうか。…ああ、清音もおいでなさいな。あなたなら雲雀隊長もお許しになるでしょう」 「承知しました」 雪の塊は、幼子の手には重いようで、お盆を持つひいづるの手は危うい。清音は代わりに持つことを申し入れたが、ひいづるは即座に却下した。卯ノ花は微笑むだけで、何も言わなかった。 口を開いたのは、よたよたと歩くひいづるの背中の少し後方でだった。 「可愛らしいものでしょう?」 「え?」 「ひいづるさんのことですよ。百年生きておらずとも、愛することがどういうことなのかちゃんと分かっていらっしゃる」 清音はぱちぱちと目を瞬かせて、ひいづるを見た。卯ノ花が可愛らしいというのは、てっきりその容姿や仕草ばかりだと思っていたのだが、どうやら違うらしかった。 「愛することは、自らの時間と手をかけることです。そうして初めてあの雪の小鳥は、ひいづるさんや雲雀隊長にとって特別な小鳥になる。…こういうことは案外、若い方のほうが分かるのでしょうね」 話を聞きながら、清音は現世で読んだ、小さな王子様の話を思い出していた。よく分からない物語だったが、お盆に乗せた雪を一生懸命に運ぶひいづるの気持ちは、清音にも何となく分かるような気がした。 そうしているうちに、雲雀の病室へ辿り着いて、卯ノ花がその扉を開いた。ひいづるに続いて清音も入室すると、静寂のなか、寝台に横たわる美丈夫が、ゆるりと瞼を上げる。 「…ひいづる」 慈愛に満ちた声に誘われるように、ひいづるがその傍らへ寄り添う。 「雲雀さん、お加減はどうですか」 「まあまあだね。その雪は何?」 「ヒバードとロールと、ナッツです!」 何やら聞き慣れない単語が並んだが、雲雀には通じるらしい。へえ、と上機嫌にお盆を持ち、それらをつつく。 「下手くそ」 「うっ」 「相変わらず不器用と言うか、美的センスがないよね」 「ううっ」 その感想は雲雀の常通り、あまりにも容赦がないもので、清音はひいづるに同情した。 「…ま、君にしては上出来じゃないの」 しかし、たった一言でひいづるを満面の笑みにさせてしまうのだから、暴君と囁かれる雲雀が大層もてるのも頷ける話だ。もっとも、彼がこんな優しい声で語りかけるのは、清音が知る限りではひいづるしかいないが。 静かに見守っていた卯ノ花が、そっと退室するのに倣って、清音もその場を後にした。 「あの様子なら、すぐに退院できますね。」 「少し残念ですが、そうなるでしょうね。」 あからさまに残念そうな顔をする卯ノ花の手には、メモとペンがあった。清音はピンときて、苦笑した。 「またネタにするつもりだったんですね」 卯ノ花は現在、月刊瀞霊廷通信で、エッセイを書いている。エッセイなのだから、話題は勿論卯ノ花のプライベートなのだが、そのネタはもっぱら雲雀とひいづるが多い。なので、卯ノ花がふたりを大層お気に召していることは、死神のなかでは周知の事実なのである。 「死神版光源氏と若紫の話を、読者が待っていますから」 悪戯っぽく、死神版紫式部は微笑んだ。 [*前] | [目次] | [次#] |