夏虫の身をいたづらに 後


朽木邸の、特に静かな一角に立つ対屋のこと。四楓院の奥方様よりお文で御座いますと、雲雀によってよくよく教育されている従者が恭しく差し出して来たそれを、雲雀は物珍しく思った。花に紙料を括り付けて寄越すなどという、貴族然とした行為を、彼が行ったのが意外だった。互いに最高位の貴族という、途徹もなく面倒な立場であるので、これが正式なやり取りの仕方ではあるのだが、必要もないほど雲雀は四楓院邸に通い詰めていたので、する機会がなかったそれ。
連日の見合いに、相手を咬み殺す訳にもいかず鬱憤を溜めながらも、一度会ってしまったら離れられなくなるだろうと、ここ最近は四楓院邸に寄り付いていなかった。だが、不意の便りに、最後に抱き締めた愛しい温もりがしみじみと思い出されて、雲雀は心が和まされるようだった。
縁側で、我が物顔で寛いでいた、京楽が目敏く反応した。本来なら自身の生家である京楽家に帰るところを、山本の言い付けで、朽木邸に留まり雲雀を見張る任を与えられていたのだ。しかし、雲雀が本気で逃げ出そうとするならば、京楽ひとりではとても止められないのが現実なので、どちらかと言えば下らない話や鍛練の相手をして鬱憤を晴らしてやる、お守り役といった方が正しかった。

「愛しの若紫からかい?」
「みたいだね。」
「待宵草を寄越してくるだなんて、可哀想に。つれない男に余程ご立腹と見える。」

するすると紙料が解かれ、残った可憐な月色の花に、京楽がからかう。細く折られた文を丁寧に開きながら、雲雀はしれっと答えた。

「まさか。あの子にこんな繊細なことは出来やしないよ、馬鹿だから。たぶん、あの子に侍ってる女達の入れ知恵さ。」
「馬鹿って、お前ねえ…。」
「まあ、それ含めて可愛かったから、僕も大概なんだけど。」

京楽が苦く笑う横で、雲雀は過去に思いを馳せる。馬鹿で不器用で、お砂糖みたいに甘い子供。
開いた文に踊る、薄墨で書かれた下手くそな四つの文字が、雲雀はあの頃の綱吉に酷く似つかわしいと思う。頼りなくて、弱々しくて、…何て愛おしい。

「四字熟語?」

筆跡をなぞる指の先、覗き込んできた京楽が、首を傾げた。恋文と呼ぶには素っ気なくて、相応しくないように感じたのだろう。けれども、雲雀にしてみれば、この上ない愛の告白だと思う。それは、これを書いた彼も同じだろう。本当に不器用な子供だ。寂しいならば、来いと一言言えばいい、そうしたら雲雀は千里だって一夜で駆けて行くのに。もし彼が、それを分かっていてそうしないなら、とんでもない策士だが。浮き雲を引き留めたいというならば、多少の指導が必要だろう。

「京楽、僕は今夜出掛ける。」
「夜の散歩かい?そりゃいいことだ。早く帰ってきてよ――道に迷って、朝帰りにならないように。」

告げると、京楽は共犯者の顔で笑った。


◆◆◆◆◆◆◆


やっぱり、はっきりと言葉にすればよかった。文面を思い出して後悔する。
夜闇の静寂に揺蕩いながら、四楓院ひいづるの仮面を剥がして、綱吉はひとり膝を抱いた。
雲雀は生来物事に無関心で、好感であれ嫌悪であれ、彼が感情を持ったり執着するものは少ない。だから、空気は読めるし人の心の機微も悟れるけれど、面倒だ不必要だと切り捨ててしまう。相手にされたいなら、直接的な方法や言葉で関わるしかないのに。そう知っていたのに。
雲雀が今ここにいないのが、その答えのようで、恐ろしい。
膝に押し付ける形で、顔を伏せていると、唐突に気配が現れた。霊圧こそしないものの、雰囲気から、相当の手練れであると分かって、綱吉は闇に目を凝らす。

「…?」

庭に、佇む人影がある。夜闇に溶け込んでいて、視認こそ出来ないが、間違いなく人が立っている。

「籠鳥恋雲」優しい声が、綱吉のは耳朶を叩いた。
「きみにしては、随分難しい言葉を知っていたね。」

勝手知ったるかのように、上がり込んできたそのひとを綱吉は見上げた。

「昔、偶然、知ったんです。」

拘束されたものが自由を望むこと。籠の鳥が、大空の雲を恋う意味なのだと知って、それ以来忘れられなくなった言葉だった。
そのひと――雲雀が溜め息をひとつ吐いて、正面から綱吉を抱き込んだ。

「悪くない表現だけど、まどろっこしいね。文を送る度胸はある癖に寂しいって書く度胸はないの?」
「返す言葉もないです…。」

実際、女中達には遠慮しすぎだと言われた。
昼間の様子を思い出して、綱吉が小さく唸る。と、雲雀が綱吉の顔を上げさせて、じっと見つめ始めた。

「綱吉。」
「はい。」
「僕にとって、きみは初めて愛した子で、初めて幸せであれと願った子だ。」
「…はい?」
「だから、僕は、きみをとても好きだ。けれど、きみに同じだけのものを返して貰えなくてもいいとも思う。…でも、きみは違うんでしょう?」
「は、はい。」
「だったら、きみが言いたいこと、ちゃんと教えて。」

凄いことを、言わせている。
ぽかんとした綱吉を見つめる、雲雀の目が真っ直ぐなのが、すこぶる真剣なことを伝えてきて、綱吉は泣きたくなった。雲雀は狡い。狡くて酷い。綱吉の望むものを知っていて、それでも綱吉に手を伸ばせと言うのだ。

「言っても、いいの?」
「うん。」

けれど、そうすることで、雲雀が応えてくれることを知っているから。綱吉は戦慄く唇を閉じられずに、醜い胸の内を開かずにはいられなくなる。

「お見合いなんて、しないで」
「うん」
「他のひとなんて見ちゃ駄目。触るのも駄目。あなたに触れる人間なんてもっと許せない」
「うん」
「本当は、毎日だって会いに来てほしい。朝が来るまで、オレを離さないでほしいんです」
「うん」
「…あなたはオレのだ」

縋るように、雲雀の肩に顔を埋めて、その背に腕を回した。雲雀が嬉しそうに笑った気配がした。

「そこまで言われたら仕方ないね。京楽には悪いけど、迷子になったことにしておこう。」
「ひばりさ、?」
「きみも嫉妬するんだ。可愛いね綱吉、凄く可愛い。」

座ったまま抱き締め合っていたのを、雲雀が立ち上がって、綱吉を抱き上げる。

「きみは小動物だし群れるし大空だから、嫉妬とは無縁な生き物だとばかり思っていたよ。」

移動したと思えば、用意されていながらも入らなかった茵に転がされて、綱吉はひんやりとした感触に震えた。それに構わず、雲雀も寝転んで、再び綱吉を懐に抱き込んだ。

「そうですか?」
「うん。きみの今の名前もひいづるだし。」
「それは関係ないんじゃ、」
「あるよ?日の出づる処、つまり空だもの。尸魂界は地動説の現世と違って天動説だから、太陽が昇るのは果ての空からなんだよ。きみの父親は何となしに名付けたみたいだけど、きみの名前を知った時、僕は運命って奴を信じかけた。」
「…初めて知りました。」

そんな因果があるとは思っていなかったと、綱吉が正直に呟いた。すると雲雀は愉快そうにした。

「いいんじゃない?名前なんて、僕らにはもう意味がないんだから。」
「その割には、下の名前、誰にも呼ばせませんよね?」
「何、他人に呼ばせてもいいの?」
「絶対に駄目です。」
「…っふ、本当にきみは可愛いよ。」

雲雀はとうとう声を上げて笑った。「そんなに心配しなくたって、呼びたがる奴なんていないのに」と笑うひとの腕のなかで、綱吉は惚れたが負けとはこういうことかと溜め息を吐いた。




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