「うううう、ぎぼぢわるい〜…」
 八千代は青ざめ口を押さえると一目散に厠へと走った。

「大変だねぇ…」
 茶を啜りながら暢気な事を言っているのは母親であるやちるだ。娘がつわりに苦しむ中、気の毒そうな視線を向けるだけだ。

「うー…母ちゃんはあたしの時どうだったの?」
 口をすすいで戻ってくると、ぐったりと机に突っ伏しながらも尋ねた。机のひんやりとした感触を楽しむように、頬や額にあてている。気を反らしたいと言うことのようだ。
「うーん、あんまりつわりなかったよぉ?ね?剣ちゃん」
「……そうだったか?覚えてねぇ」
 つまり、二人の記憶にないほどだったのだろう。
「うええ…よく母ちゃん、こんな臭いの中平気だったんだね…」
「こんなって?」
「汗臭い…十一番隊って。男所帯だからか、他より臭う…」
 娘の指摘にこれまたやちるは首を傾げるばかりだ。幼いころからいたので全く気がつかなかった。
「……じゃあ、八番隊に避難するか?つわり酷い間だけでも。結婚式も、つわり終わってからさ」
「……つわりって、終わるの?」
 一秋の言葉に八千代は弱々しく顔を上げ、希望に縋った。
「うーんと。体が赤ちゃんに慣れてくると、つわりが終わって、今度は食欲とか出てくるらしいぞ」
 烈にもらったのだろうか、本を捲り説明を読み聞かせる。当然のことながら難しい言葉で説明しても今の八千代の耳には届かないので、解りやすく言いなおしている。

「それならはやく終わって欲しい〜…」
 八千代は小さくうめき声を上げた。
「うーん、こんなに酷いなら、学校も早く休んじゃって、八番隊にいたら?あそこ今、元十刃だっけ?いるんだよね?」
 八千代の様子にやちるが思わずまともな助言をする。
「ええ。今はすることがないから、小さな子供達の世話役してます。あっちは人手も十分あるし、十一番隊より臭いはマシだと思う。母さんもつわりに苦しんでた時あったし」
「ほんと?それなら、そうしたいなぁ…」
「じゃあ、連絡して確認してみるよ」
 一秋は腰を上げてさっそく連絡を取りに向かった。

 剣八はというと怪訝そうに娘の様子を見守るばかりだ。
「…そんなに気持ち悪いのか?」
「んー…、たまーにぐわっとくるんだよねぇ…きもちわるいの…」
「そうか…」
「あ!剣ちゃんが心配してるっ!あたしの時そんなじゃなかったよ!」
 やちるが頬を膨らませる。
「そんなって、オメー自分でもさっき、つわりがあんまりなかったって言ってたじゃねーか。こんな状態俺だって覚えてねぇのに、心配もくそもあるか」
「そうだけどさぁー…。八千代産んだときだって、あんまりうれしそうじゃなかったしぃ」
 一秋のかいがいしさなどを間近で見る所為だろうか、妙に剣八に突っかかる。
「ああ?あんときはそれどこじゃなかったじゃねーかよ。虚退治に行って、オメーがとっとと産んで押し掛けてきて」
 慌ただしい状況で、春水達のように子供が生まれる場所に立ち合ったり、いらいらと待った訳でもない。虚退治の依頼が来たところへ、急に産気づいたのだから。
「……あ、でも、八千代が生まれた時のこと、覚えてたんだ」
「それくらいは、覚えてるさ」
「えへへー…」
 剣八がやけにあっさりと当時の事を思い出し、指摘したことにやちるは気がついた。他の事は殆ど忘れたとか言う癖に、しっかりと言い訳をしたのだ。
 娘が生まれた時の事を、春水たちほど大らかに大っぴらに感情に表わさなかっただけで、彼も関心を持っていたことに改めて気がつき、やちるは満面の笑みになった。

 それだけではない。
 つわりが少なかったことなども反論したり、同調したりしている。つまり、当時の状況をちゃんと覚えているということだ。

 勿論、八千代も両親のやり取りに気が付いていた。弱々しいながらも笑みが浮かぶ。自分はちゃんと愛されて生まれてきたのだ。気持ち悪いながらも、お腹を無意識に手で撫でる。ここに今、小さな命が宿っている。

「ねえ、母ちゃん、もっと聞かせて?」
「ん?何を?」
「気を紛らわせたいから、あたしの生まれるまえのこととか」
「んーー…、生まれる前かぁ、何かあったかなぁ?八千代ってあんま手が掛んなかったから、ななちんみたいに色々したわけじゃないもんなぁ」


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