琥珀って、樹液が固まったものなんでしょう? だったら、私たちが流した血も、きれいな宝石になればいのに。……ずっと、ずっと後でもいいから。
ななこが唇に乗せた宝石の名前は、彼女の瞳の色によく似ていた。その薄く濡れた丸い瞳がキラリと光るのを見て、オレは小さく息を飲む。
「どっちかっつーと、氷砂糖かもね」
「氷砂糖といやあよォ〜、氷とか言うくせにちっとも冷たくねえじゃあねーかよォー、あれぁどーいうコトなんだろうなァ〜」
メローネの言葉を受けたギアッチョがキレ始めた。ヤツの思考に火を付けた当の本人はしれっとした顔で立ち上がり、何事もなかったようにその場を立ち去ろうとする。オイなんとかしていけよメローネ。
……プロシュート、
オレが文句を言おうと唇を開いた矢先、ななこがオレの名と共にそっと吐息を零した。その声に含まれた悲壮感みたいなものに、思わず言葉を止める。どうした、と言ってやりたかったのに、ななこの双眸から溢れる涙を見た瞬間、言葉は喉につっかえて溜息さえも出なかった。
暗殺者が泣くんじゃあねー、お前はマンモーナかよ、とでもからかってやらなきゃあいけなかったのに。
「あー、プロシュートが泣ーかしたー!」
「はァ!? てめーらのせいじゃあねーのかよ」
メローネに囃し立てられ、ハッと我に帰る。それにしたってオレのせいってどういうことだ。この状況ならメローネにだってギアッチョにだってその原因はあるだろう。
「だってななこはプロシュートの名前呼んでるだろ」
揶揄うようにそう言われたところで、オレだけが悪い理由は見つからない。ギアッチョは相変わらずキレ散らかしているし、普段の行いの迷惑さで言えばどう考えたってメローネの方が上だ。
「……なんでオレのせいなんだよ」
「……そりゃあ……そうでもしないと後味が悪いからだよ」
メローネが笑いながら、わずかばかり言いにくそうにそう返す。そのマスクの下は普段と変わらないように見えたが、コイツも何か強がっているのだろうか。
「なんとかしてやりなよー、ねぇギアッチョ」
「……ハァ!? オレにどーしろっつーんだよ」
「いやそうじゃあなくってさー、プロシュートがなんとかしてよ、って」
そんなこと言われたって、どうしてやりゃあいいのかわからなかった。コイツはオレたちよりもずっと、冷酷無比な女だったはずなんだから。
「なんとかって言われたってなァ……」
オレたちの会話をよそに、ななこがゆっくりと膝をつく。その姿はギャングにはおおよそ似つかわしくない、まるで何か、神に捧げるために作られた彫刻みたいな美しさだった。
小さな背の震えと共に、ななこの嗚咽が聞こえる。美しい彫刻は無残に崩れ落ち、足元の石に縋るように這いつくばった。
「……わー、こんな時に悪いけどめちゃくちゃ踏んづけたい」
「馬鹿言ってんなよクソが! 変態かテメーは」
二人の見慣れたやりとりに大袈裟に溜息を吐く。普段なら静止の一言でもかけてやるが、今はそんな気分じゃあない。ななこの悲嘆を噛み殺した小さな嗚咽が、まるで耳元で飛ぶ羽虫のように、オレの心をざわつかせる。
「……まさか、ななこがこんなに泣くなんてね」
オレの気持ちを代弁するかのようにメローネがゆっくりと唇を開く。ヤツはそのまま独り言のように「嬉しいんだか辛いんだか、よくわかんないな」と曖昧な笑みを零した。
それを聞いたギアッチョが盛大に舌打ちをひとつ。苦虫を噛み潰したようなその表情は、メローネの言葉への同意を含んでいるように見えた。
「でもプロシュートは死にきれないんじゃあないの?」
こんなの見ちゃったらさ、なんて笑われる。「僕だったら死にきれないね」などとおちゃらけてはいるが、メローネの視線はななこの震える背に固定されたままだった。
「そんなこと言ったって、死んじまったもんは仕方ねぇだろ」
元より、覚悟の上だった。
その呟きはまるで、自分に言い聞かせるみたいだ。別に死ぬことなんて怖くなかった。後悔だってなかった。ただ、己の正義に殉じただけだ。
それは、ななこだってわかっているはずだろう? なのに、どうして泣く?
問いかけることすら今の自分たちにはできない。ましてや、ななこの涙を拭うことも。
「氷砂糖、だったらいいのにね」
「はぁ?」
「……ななこの涙がさ。そしたら食べちゃうのに」
メローネはそう言ってななこの側にしゃがみ込んだ。そうして男にしちゃあ手入れの行き届いた指先を彼女の目元に向ける。
「……やっぱダメかぁ」
「そりゃあそーだろ」
仕方ねえさ、と言ったのは、メローネに向けてだけじゃあない。そうだ、死んじまったモンは仕方ねえ。泣こうが喚こうが、死人に口なしってやつだ。
「ほんとに聞こえてねーのかよォ、オイななこ!」
「ギアッチョうるさい」
ギャンギャン騒ぐギアッチョは、ななこが全く気付かず背を震わせ続けるのを見て戸惑ったように怒りを引っ込めた。握られた拳が叩きつける場所を探して震える。ギリ、と音が聞こえてきそうなほど食いしばった歯は、拳を振り下ろして、もしどこにもぶつからなかったら、なんて恐怖を噛み殺してでもいるのか。
「……で、どーすんのさ」
「どうするったって……行くしかねえだろ」
どういうわけだか、行き先は分かっていた。多分こいつらもそうだろう。天国なんてモンは信じちゃあいないし、仮にあるとしたってオレたちが行くのは地獄だろうが、どこへ行こうが自分の信念の通りに進むだけだ。
「……それじゃあななこ、またどこかで」
「……クソが、泣くんじゃあねーよ」
二人は思い思いにななこに向かって言葉を吐くと、そのままくるりと背を向ける。オレを待たないのはきっと、優しさなんだろう。
相変わらず崩折れたままのななこの隣にしゃがみこむ。そうしてそっと、祈るように言葉を紡いだ。
「……泣かせて悪ィな。文句はいくらでも聞いてやるよ。いつかななこがこっちに来た時に。……その代わり、」
どうせ聞こえないだろう言葉の続きは、心の中に仕舞っておく。言葉にする時は、それがすっかり終わってからでなけりゃあいけないから。
20190404
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bkm