「…ッん…」
思い瞼を持ち上げると、普段と代わり映えしない天井が見えた。ぱちくりと瞬きをして身動ぎをしても、周りに人の気配はない。
「…花京院くん…、?」
名前を呼んでみたけれど返事はなく、代わり映えのないいつもの朝。
「え。……?」
もしかして、夢だったんだろうか。
だとしたら、なんて夢、なんて夢…ッ…!布団で一人足をばたつかせる。そうだ、考えてみれば花京院くんがチェリーボーイだなんてそんなはずはないに違いない。
「…もう、ほんとやだ…」
夢とはいえ自分の妄想の逞しさに涙が出そうだ。いやそりゃあ花京院くんのことは好きだけれど、だからってあんな夢、
「…あれ、今朝はどうしたんだい?」
「か、花京院くんッ!」
聞き慣れた声に慌てて布団を引っ被る。私の様子を見た花京院くんは驚いた顔で「本当に、どうしたの?」と心配そうな声を出した。
「…なんでもないよ、おはよう花京院くん。」
大きく息をついて布団から抜け出す。目の前には相変わらずの花京院くん。彼の足元は床についていないから、きっと手を伸ばせば透けてしまうのだろう。夢とは違って。
試してみたいような、そうでないような複雑な気持ち。触れられなかったら悲しい。でも触れられたら?…もし花京院くんに触れることができたら、昨日のことは本当なんだろうか。
「…ななこ?」
ゆっくりと手を伸ばす私に気付いた花京院くんが、不思議そうな声を上げた。構わず彼の服を掴もうとしたのだけれど、私の手は予想した通りに花京院くんをすり抜けた。
「…やっぱり、夢…だよね。」
安堵なのか落胆なのかわからない溜息を吐いて、ひとりごちる。花京院くんは困った顔で「…どうしたのさ」と呟いた。そうして、二人とも言葉を見つけられずに、気まずい沈黙。
私がぎこちないのはまぁそうなのだけれど、花京院くんまでなぜかよそよそしいような気がした。こちらを見る視線は感じるのだけれど、私が花京院くんを見ると、彼は頬を赤くしてぷい、と顔を背ける。
「…ねぇ、今日は変じゃない?」
「ななこのほうこそ。」
お互い何かを窺うような気まずい空気は嫌なのだけれど、まさかあんな夢を見たなんて言えるはずもなく。
「ちょっとさぁ…変な夢、見て。」
曖昧に笑ってごまかすと、花京院くんは瞳を少しばかり揺らして「ねぇ、それって、どんな夢」と、静かに問いかけた。
「え?…うん、ないしょ…だよ」
「言えないような夢なの?…例えば、僕に」
抱かれる夢、とか。なんて言われてひどく狼狽した。どうして花京院くんがそれを、と慌てて顔を上げると、そんな私を見た彼も驚いたようにぱちくりと瞬きをした。
「…あの、もしかして…花京院くんも…?」
「…本当…だったんじゃあないかな…」
まさか。だったらどうして今、私は彼に触れないのだろう。昨夜の感触はあんなに鮮明だったのに。そう考えたところでふと、私は昨日の出来事が事実かどうか知る術を思い出す。
「あ!…花京院くん。服…脱いで」
「…え!?…なんだい急に…」
花京院くんは驚きながらも、私の言葉に素直に従った。分厚い制服が剥がされた背に、幾筋もの赤い線。私が昨日、花京院くんに爪を立てたのと、同じ。
「…夢じゃあ…ないみたい…」
痛々しくさえ見えるその傷を撫でようとしたけれど、やっぱり私の手は花京院くんに触れることができなくて、疑問ばかりが募る。
「…どうして…?」
花京院くんは不思議そうに首を傾げ、少ししてやっとその理由に気付いたらしく顔を真っ赤にしながらいそいそと服を戻し、「あの、もしかして…僕の背中に…」と期待の篭った視線を投げかけた。
「…ごめん、引っかき傷…」
なんだか私まで恥ずかしくなってしまって、そう返すのが精一杯だった。花京院くんは先ほどとは打って変わって、それはそれは幸せそうな顔で「ななこ!鏡はないのかい?」なんて騒いでいる。
「…痛くないの?」
「全然。…そんなことより、嬉しいんだ」
ななこが僕にくれるものなら、痛みだってなんだって。と、不意に口説き文句みたいな囁きを零すもんだから、心臓に悪い。
「…やめてよ…」
「どうして?…ななこは、嬉しくないの?」
実は憧れていたんだ、なんて言いながら花京院くんは私の胸元をめくるよう促した。言われるままに襟元を緩めて視線を落としてみれば、私の胸にも赤い鬱血の跡。慌てて隠すように襟を引き上げると、花京院くんは満足げに笑って「やっぱり残ってた」なんて。
花京院くんが言うように「嬉しい」って思ってしまった自分がなんだか悔しい。
「…花京院くんのえっち!」
「…いまさらだろう?」
意地悪く笑う花京院くんは、なんだか本当に幸せそうに見えた。
「でも、どうして昨夜だけ…」
「そういえば以前に、夢を操れるスタンド使いに出会ったことがあったんだけど…」
そう言って、花京院くんは「死神13」というスタンドと戦った話をしてくれた。花京院くんの口から彼が学校を休んでいた時に何をしていたか聞くのは初めてだったけど、なんだか突飛すぎて想像もできない。でも、そんな淡々とした語り口で死にかけた話なんてしないでよ花京院くん。彼は、自分が死んだ時のことも、こうやって淡々と話すのだろうかと思ったら、なんだか息苦しいような気持ちになった。
「スタープラチナが見えたんだろう?もしかしたら、そういうスタンドが発現したのかもしれない。」と、やけに真面目な顔で花京院くんは言う。スタンドと言われても、空条くんの後ろのスタープラチナさん(?)が見えただけで、別に私自身に変わったことはない。昨日のことだって、事実だって証拠はあるけれどまるで夢みたいだし、花京院くんの話のようなスタンドなら、本当に夢なのかもしれない。
「…よくわかんないや」
もし花京院くんの言うように、私がスタンド使いになっていたとしたら、また花京院くんに触れられるのかな、なんて思いながら自分の掌を見つめた。
20161206
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