私はずっと彼を可愛らしい弟分だと思っていて、彼もそうだと思っていた。
多少のスキンシップは日本人離れした姿の所為だと思っていたし、彼が私に纏わり付くのは、犬が懐くみたいなものだと信じていた。
否、もしかしたら全部分かっていて、敢えて見ないフリをしていただけなのかもしれない。
こうなってしまってからでは私は今までの自分の思考回路に自信が持てないし、なにより弟分なんて言葉じゃあこの胸の高鳴りを説明できないことは明白だ。
事の発端はなんだったか、ほんの10分前の出来事なのに混乱した頭では思い出すのは困難だった。親御さんが帰るのが遅いという仗助くんは、よく学校帰りにうちに遊びに来てくれて。旦那の仕事で杜王の街に来て、友達もなく家に篭りがちな私は、彼と会うのをいつも楽しみにしていたはず。
それがどうしてか今は、寝室のベッドに腰掛けた私と、その横に跪く仗助くん。
彼は忠誠を誓う騎士のように私の左手をそっと持ち上げる。そうして私の薬指から銀のリングを外した。結婚してから少しばかり痩せたせいか、それとも私の深層心理を反映してか、それはさしたる抵抗もなくスルリと抜け落ちた。仗助くんは指輪にほんの少しだけ視線を送ると、非常に複雑な顔をしてベッドサイドの小さな引き出しに封印するかのようにしまった。
「ななこさん、お願い。…今は俺のことだけ考えて。」
吐息で無理矢理に押し出した願いを届けるように、彼は何も無くなった私の薬指に口付ける。それは忠誠を誓うと言うには重過ぎるほどに熱く、私の心を磔にした。
逃げられなくなってしまった手に、仗助くんの大きな掌が重なる。彼はきっと、いつの間にか付いてしまったこの指輪の痕も消したいに違いない。そんな確信があった。
彼は何度も慈しむように私の手を撫でた。水仕事でできたあかぎれも爪の横の小さなささくれもすっかり無くなった頃に、諦めたように小さく溜息をついてこちらを見る。
「…ななこさん…」
今にも泣き出しそうだ、と思う。
それは何かを決意したみたいな仗助くんがかもしれないし、雁字搦めになってしまった私かもしれないし、全てを知ったときの旦那かも知れなかった。
仗助くんはゆっくりと立ち上がり、私の肩をそっとベッドに沈める。二人分の体重を受けたベッドは軋んだ音を立て、聞き慣れたはずのその音と目の前の青年を結びつけたくなくて私はぎゅっと目を閉じた。
外気に晒された肌が冷えていくのを阻止するように仗助くんの手が蠢く。この部屋に慣れてしまった私には遮光カーテンの隙間から漏れる光が昼間であることを主張しているように見えて恥ずかしい。彼はそんなこと意にも介さず、先程薬指にしたように身体のあちこちに唇を押し付けた。
「…じょ、すけくん…」
冷静に、と思ったはずなのに、呼んだ名前には殺しきれなかった期待と熱が籠っていた。彼は普段と変わらない優しい視線をこちらに投げかけ、濡れた唇を開いた。
「…ねぇななこさん、気持ちい…?」
フリスビーを取ってきた犬にしては寂しげな瞳。お日様みたいな彼がこんな顔をするのに耐えられず、そしてさせてしまったのは自分だという事実を消したくて、私は唇を開いた。
「…ん、気持ちいーよ…仗助くん…」
「…ホントに?」
拭い切れない不安を払拭するように、彼は私の胸に顔を埋めた。体温を失った人を温めるような、死んだ人間に縋り付くような必死さが、彼の指先から伝わってくる。触れられた部分がひどく熱い。
「…っひ…あッ、…」
心があんまりにも苦しすぎて、どうしていいかわからない。この快楽に溺れてしまえたら、もしかして楽になるのだろうか、なんて。
「ねぇななこさん、…下着も…脱がしていい?」
そんなこと聞かなくても、と思ったけれど捨て犬みたいな瞳を見て理解する。彼は私が許可したという言質が欲しいに違いない。見えない心を知るには、言葉にするのが一番早いから。
「…っあ…ぅ、んッ…」
「…俺、上手くできるかわかんねーけど…」
言いながら手馴れた様子で下着を剥ぎ取った仗助くんは、私が既に濡れているのに気付いて安堵の表情を浮かべた。そうして私の感触を確かめるように指先を滑らせていく。私が声を上げるたびに、「気持ちいい?」と言葉を掛ける。頷くたびに私が暴かれていくような気がして、涙が出そうだ。
「…ななこさん、俺…ななこさんの中、入りたい。…だめ?」
既に侵入を許した指で内壁を擦り上げながらそんなことを言うなんてズルイ。
そもそもどう考えたってダメなのに、こんなことになっている時点でもう引き返せないのだから。…なんて都合のいい言い訳だと、とっくに沸点を超えたはずの思考が冷静に返事をする。けれど勝利するのは当然ながらヒクつく私の身体なわけで。
「…ッだめじゃ、ないっ…あ、っ…じょ…ーすけく…ッん…」
「ねぇ、ななこさんッ…俺、ホントーにアンタのこと愛してるっスよ…」
ゆっくりと身体を割られながら切実な声でそんなことを言われた私は、どこにも逃げられなくなって啼きながら彼にしがみついた。
「…っんん、やぁ…っ、あ…」
「…すげ、気持ちい…ななこさんっ…」
仗助くんは目一杯己を押し込むと私をきつく抱き締めた。隙間がないんじゃないかってくらいに身体中ぴったりくっつけて、幸せそうに吐息を零す彼を見たら、また涙が出た。
「…っう、ぁっ…あッ…、はっ…」
「…ななこさん、目…開いてて…ッ…」
零れる涙を唇で拭って、仗助くんは言う。
言われるままに瞼を上げたけれど、眼前の彼の姿は歪んでいた。揺さぶられる度に涙が落ちるけれど、すぐに濁った視界に戻ってしまう。涙の所為でまるで水中みたいで、このまま溺れ死んでしまいたいと思った。
「…ひぁっ、は、あッ、ん、ッ…」
「…っななこさ…俺ッ…も…」
限界が近いのか余裕のない表情でガツガツと突き上げてくる。ぎゅっと抱き着くとさらに奥へと言わんばかりに抱き返された。
「っうぁ、あぁっ、ッ!」
「…い、く…ッ!!」
最奥でびくびくと跳ねる仗助くんに合わせて、逃がさないとばかりに収縮してしまう自分が恥ずかしくて、彼の胸に額を押し付けた。
*****
「…持って帰るんで、ビニール袋とかあります?」
仗助くんはコンドームの口をぱちんと音を立てて縛って、普段となんら変わらない口調で言った。うちに来た時の思い詰めた様子はなくて少しばかり安心する。
「…ん、ごめんね…」
拒みきれなかった私も同罪なのに、気を遣わせてしまっているのが情けない。いや、仗助くんに罪はない。彼の年ならば、好きとセックスがイコールになるのは当然だろうから。
「…なんでななこさんが謝るんスか…」
俺が悪いんスよ、なんて辛そうな顔で笑うから、思わずぎゅっと抱き締めた。
仗助くんは驚いたように一瞬身体をこわばらせ、すぐに私の大好きな花が咲くような笑顔で笑った。
「…大好きっスよ。」
言葉にしなければ伝わらないのなら、私の心なんて伝わらなければ良かったのに。そう思ったけれど、彼はもうとっくに私の気持ちを知ってしまったのだろう。
絶望を押し隠して、彼と同じように笑って見せた。
20151224
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bkm